# 五月、又は修学旅行

## 一

前の席の奥田愛美は、なかなか本題に入らなかった。ウンとかアーとかエットとか、言葉を形にできないどころか、弁当箱を開けもしない。置いてみて抱いてみて、後ろを見て前を見て、三つ編みのおさげをせわしなく揺らしている。

「どうしたの、奥田さん」

尋ねるだけで、彼女はびくりと肩を震わせた。口を開きかけて、閉じかけて、開いて閉じて、真っ赤な顔と、真っ青な空気。

控えめなクラスメイトである。私の記憶の限りでは、気持ちが控えめなら声も控えめ、主張も控えめ、体格も控えめ。四月は、もっと消極的だった。彼女の積極性は、ことさら関心事に対して強く発揮される。おかげで今やクラスには、彼女の得意科目を知らない者などいないのだ。奥田さんは人並み外れて強く理科を好んでいる。好きこそものの上手なれとは、このクラスメイトを表す言葉に違いない。

よって私は消去法をひとつ進める。奥田さんに昼食に誘われて、かれこれ五分が経過した。仮に「理科」の用件なら、今は弁当をつついているころだ。私は再び呼びかけた。理科が関係していないなら、予想はするだけ無駄である。五月も半ば。しかし今なお私たちは前後の席のクラスメイトだ。

その「前の席のクラスメイト」は、さらに呼びかけて、ようやく、ひとつ返事をした。大丈夫だと、慌てたように言葉が続いた。大丈夫かと尋ねた声は、一応は聞こえていたようだ。

「一緒に食べるのは初めてだね」

「そ、そうですね」

奥田さんは弁当箱を机に下ろした。事態の進展を歓迎し、私も弁当箱の蓋を開ける。そして箸を握ったときには向かいの彼女も、つられるように握っていた。前後の席の私たちは、いただきますの声を最後に、まず黙って食事を取った。

私のおかずは、エビフライとソーセージだ。エビフライは今朝、揚げた。父の希望だ。手間がかからないとは言わないけれど、下ごしらえをしてから寝れば、私は朝は揚げるだけでよい。後片付けは父の役目だ。一方のソーセージは、対照的に手間がかからない。食事の用意を担う私が、重宝しているおかずである。それが向かいの弁当箱にも見えたので、一緒だねと声をかけてみた。

「たこさんウィンナーです」

奥田さんは、はにかんで答えた。ややあって、エビフライもと続く。

「エビフライも、おいしいですよね」

「うん。サクサクしてて、味も好き」

それから、もう少しだけ弁当の話をした。もちろん奥田さんの用件は、弁当に関するものではなかった。だから少しさかのぼって、午前の授業の話をした。わかりやすい授業だったとか、また変な宿題を出されただとか、次の授業が楽しみだとか。それでもないなら午後の授業だ。私たちは前後の席のクラスメイトだ。心当たりなど学校生活をおいて他にない。だが、彼女の用件は午後の授業にも関係しないようだった。

私は消去法に従って、次の話題を導き出す。弁当でも授業でもないのなら、あとは修学旅行のことだろうかと。彼女も、とうとう箸を休めた。

「あの! 同じ班に、なりませんか!」

思いのほか大きな声だった。顔も一気に真っ赤にした。目立つことをしたと感じたのだろう。奥田さんは控えめだ。授業で指名されても彼女は耳まで赤くする。しかし彼女が感じたようには、視線は集まらなかっただろう。昼休みの教室はにぎやかで、彼女の声量は大声であっても小さい部類だ。ちょうど、よその席で複数人が大きく笑った。彼女は気づかず、顔を青くしたのだけれど。

「もしかして、もう決まってましたか」

この妥当な心配のためである。

二泊三日の修学旅行。最初の中間テストを終えた三年生が、班を作って京都を回る。つまり来週末の学校行事で、そのための準備の時間も、今日午後最後に設けられた。まず班分けから始まるはずだが、大抵の場合、話はあらかじめついている。奥田さんも、そうだろう。私は彼女の奥へ視線を向けた。左斜め前、一列を挟んで窓際の席の茅野カエデは、奥田さんにとって最も親しいクラスメイトだ。

——潮田渚の、隣の席の。

奥田さんも、そう言った。

「茅野さんに誘われたんです。渚くんの班で、私も誰か誘っていいって。だから、もし、まだなら、一緒にどうですか」

六人班か七人班を作ることになっていた。クラスを四つに分ける形だ。よって今日に先立ち、あらかじめ四人の代表者が選出された。そのひとりが渚くんだった。彼は問題の少ない人物で、クラスの大半と良好な関係を築いている。教師陣とも奥田さんとも、茅野さんとも。

渚くんと茅野さんは、同じく良好な関係を築いているが、特別な程度ではない。茅野さんは渚くん以上にクラスの誰とも分け隔てなく仲がよい。奥田さんとも仲がよい。私とも仲がよい。もちろん渚くんとも仲がよく、席が隣り合っており、双方クラスで最も小柄な男女である。特別に親しいわけではないようだが、クラスでは何かと見かける組み合わせでもあった。彼女が渚くんの班を選んだことは当然の範疇なのだ。

そして奥田さんにとっても、おそらくは。彼女は、やはり人間関係にも消極的だった。彼女にとっての茅野さんは最も気安い相手のはずだ。茅野さんも、だから彼女を誘ったのだろう。茅野カエデは、また、よく気が利く人物だった。私は再び茅野さんの席を見た。茅野さんが私を見ていた。弁当を食べていた。目を合わせると、にこりと笑って左手を振った。私は表情で彼女にこたえて、再び奥田さんを見た。

断る理由は私にもなかった。

私は断る理由を探さない。ゆえに、真っ先に奥田さんが挙げた可能性、それだけが断る理由たりえたのだ。私の班は、まだ決まっていない。奥田さんがどう考えようと、それは当然の範疇だった。

「今は、えっと、渚くんと茅野さんと杉野くんで四人なんです。それで今度は杉野くんと私で一人ずつ誘おうって話になって。だから——」

「——ありがとう」

杉野友人が誘う相手には見当がついていた。渚くんが彼を誘ったことも当然の範疇だった。渚くんは彼と特別に仲がよい。問題は*六人班なら成立した*ということだ。杉野くんが誘わない相手は、誘う相手よりも明白である。

「実は渚くんにお願いしようかなって迷ってた。ほら、気が楽だから。奥田さん、ありがとう。本当にいいなら、むしろ私からお願いするところだよ。よかったら、ぜひ一緒の班に入りたいな」

正面の目がぱっと見開いて、首がぶんぶん縦に動いた。よかったですと、そして言われた。うれしそうな声だった。

「お昼に班に分かれたときに名前を書くそうです」

「じゃあ、そのとき一緒に行くね」

「はい!」

奥田さんが再び箸を手に取った。私も弁当箱を見下ろした。エビフライが残っている。それをつまんでかみ砕くうちに、彼女も最後のたこさんウィンナーをひょいと持ち上げて口に運んだ。その斜め前の窓際で、茅野さんがまた手を振った。私も今度は手を振ってこたえた。なるほど。まもなく合点する。奥田さんも、どうやら気が利く人物らしい。

六人班なら、成立した。

向かいのクラスメイトが箸を置いて、ごちそうさまと手を合わせる。私も尻尾まで飲み込んで、同じ儀式を遅れて済ませる。一足先に弁当を閉じたクラスメイトが、うかがうように私を見た。私は躊躇なく、それを声に出した。

「明日も、また一緒に食べない?」

返事は、わかりきっていた。

## 二

それから学校行事が訪れるまで、私は毎日、奥田さんと弁当を食べた。初めのうち彼女は机ごと私と向かい合ったが、毎度それでは面倒だろうと言ってやって、最後の二回は私の机に弁当を置いた。きっかけもあって修学旅行の話題はよく出た。理科をこよなく愛する彼女は、すでに化学の角度で——彼女は化学者である——京都を楽しむ算段をつけていた。

さて、きたる週末、私たちは新幹線に乗車した。貸し切りの普通車で、東京から二時間と少し。京都に着いたら、他のクラスと合流することもなく、クラスで昼食を取って、クラスで文化財を見学した。初日の予定の終わりにも、クラスで貸し切りのバスに乗って、貸し切りの宿泊施設へ移動した。多少と言わず寂れたところのある旅館だ。生徒の部屋は、男女別の大部屋だった。

まずは荷物を整理した。あわせて布団の位置も決めた。班で固まったから、すぐに決まった。そこに荷物を置くと、ついで自由時間だからといって、ほとんどの者が廊下に出た。館内を散策するのだろうが、この施設なら、いずれ談話室に集まるだろう。小さな建物ではないが、宿泊施設としては大きくない。客室と談話室を除けば、あとは浴場か宴会場か。先に出た奥田さんと茅野さんも、談話室へ行くと言っていた。

さらに何人かが去ると、誰かが立ち上がって窓を閉めた。窓の外は、とっくの昔に暗かった。もう大部屋には四人しかいない。別の班の二人と、私と、もうひとりの班員である。頃合いだった。私は最後にスマートフォンを抜き取って、スポーツバッグの口を閉めた。横で神崎有希子も同じように荷物をしまった。

神崎さんと私は、こうして最後から二番目に廊下へ出た。閉めてほしいと中から言われて、ふすまを閉める。と、静かに閉まったふすまの前で、神崎さんが私を見た。

「変なことを聞くようだけど、私のノートを見てない?」

「見てないと思う、けど」

何のノートかと尋ねる前に、見かけと中身の説明をされる。修学旅行の計画をまとめたリングノートをなくしたそうだ。神崎さんの記憶によると、新幹線の席で開いて、制服のポケットにしまったようだが。

「この後きっと話すでしょ。もう一度、目を通しておこうと思ったの」

制服はおろか、かばんを探しても見つからなかったということだ。表紙に題名や名前を書いたとも言った。私は神崎さんの字を記憶していたが、首を横に振ることしかできなかった。彼女は落胆を示さなかった。覚悟していたのだろう。彼女は様々な面で評判がよい。文字も汚いどころか奇麗な部類だ。クラスメイトなら、さすがに見当がつくはずだった。

「談話室に行こう」

「——うん。他の人たちにも聞いてみるね。もし駄目でも、大切なことはスマホにも書いておいたから」

「じゃあ、そのときはデータを共有しようか。私は全部スマホなんだ」

談話室は、にぎやかだった。中央で担任が生徒に囲まれている。彼はソファーの背中に体を預けて、目に見えてぐったり青ざめていたが、クラスメイトたちは容赦をしない構えだ。彼の乗り物酔いがひどいことは、今日発覚したばかりの*弱点*である。十分余裕のようだけれども、——部屋の奥に班員の姿が見えた。私たちが最後だった。

合流しても、神崎さんの探し物は見つからなかった。他のクラスメイトも担任も覚えがないと首を振った。神崎さんは落胆を示さなかった。覚悟ができていたのだろう。クラスメイトなら持ち主がわかるものだった。合流直後、相談より先に差し出してくれてもよかったところだ。私たちの担任なら、なおのこと。

私たちの担任は並々ならぬ熱血教師で、今回の修学旅行にも常軌を逸した熱量を注いでいる。問題を見逃さないことはあたりまえに、絶対に未然に防ぐべく、座席をひっくり返して車両点検、天井裏まで掃除した昼食会場、クラスで見物した文化財は前日までに補修を済ませたと言い出す始末。彼の知覚の及ぶ範囲で生徒が物を落としたら、それが地面に触れる前に手ずから渡してくれただろう。

今日はクラス単位の行動がほとんどだった。ずっと担任が一緒だった。私個人に限っては、なおさら神崎さんと一緒だった。班も性別も同じだから、大部屋も一緒、化粧室も一緒、新幹線で売店に寄ったときも一緒、彼女が他校の生徒とぶつかったときも一緒だった。

都内の男子高の修学旅行だ。売店に寄る途中、通り道になった車両を、学生服の男子生徒がそろって座席を埋めていた。クラスの男子生徒より一回り以上も図体が大きかった。私たちの学校の生徒より一回りも二回りも偏差値が低そうだった。治安もよろしくないだろう。通ったときに何度も呼吸を止めたくなった。そして神崎さんに*わざとぶつかった*あの不良は、——きっと頭上を三つの星に飾られていた。

星が一つなら規則違反、星が二つなら反社会的、星が三つなら不忠誠、星が四つなら取り押さえろ、星が五つなら手段を選ぶな。

星が三つなら不忠誠。星が三つなら手配されている。星が三つなら、より大きく疑え。

私は何も言わなかった。

班員は何かを言った。

「けど神崎さん、どーすんの」

私は彼の頭上を確認した。

「俺、貸せます!」

「それで杉野はどうするのよ」

「ぐぬぬ、たしかに。——それなら見せます!」

「あ、僕しおり持ってきたよ」

やいのやいのと班員は言った。神崎さんは私を見た。私は提案することにした。

「夜のうちに、みんなで確認するのはどうかな。どこか抜けてないかなって心配だったんだ」

そして、あの黒色の学生服を努めて忘れることにした。目だけで自分を見下ろしてみる。白色のタイツを履いている。校則には反しない。灰色のスカートを、はいている。学校指定の制服だ。白色のワイシャツも校則に従ったもので、白色のカーディガンも校則に反しないもので。星はひとつも見えなかった。誰の頭上にも見えなかった。当然だった。あの黒色の学生服も星など浮かべてはいなかった。当然だった。

除去すべき脅威などなかった。彼らは誰も、脅威ではなかった。三つの星は脅威を示さない。彼らの頭上に星はない。星のひとつもないことは、まったく反逆と対を成す、つまり健全であることの証明だ。班員のように。私のように。私はすべてを目撃したが、今は何の証拠にもならない。証拠がなくては証明できない。証明できないことは、報告するべきではない。もちろん問題は常に、すべて報告されるべきだ。

だから。私は。

嫌な予感が。

いや。確信が。

——事前に話しておいたとおり、まずは私が神崎さんに日程表を送信した。そして風呂と夕食を済ませた後、班で計画を確認した。自由時間も班員と共有した。消灯時間が近づいたら大部屋に戻って、最初に決めた場所に布団を敷く。それから寝床の近い者と、消灯までの少しの時間に話をした。

朝がきた。

神崎さんの日程表が、ひょっこり顔を出すこともなく、やがて二日目の活動が開始する。

## 三

修学旅行二日目は朝食後すぐに旅館を出た。クラスは、その場で四つに分かれることになる。

私たち——四班——は渚くんを先頭にして道を進んだ。後ろに茅野さんと奥田さん、さらに後ろに神崎さんと私が並ぶ。しばらく歩くと他の班と完全に別れて、教師陣の姿も見えない。班別に計画を立て、生徒だけで京都見物を遂行する。二日目の、丸一日を使った活動である。私たちは教室で今日このときのために*修学旅行のしおり*を広げて、準備を進めてきたのである。日程表の用意もした。

いや、ああ、ええと、渚くんは「修学旅行のしおり」を持ってきてくれたのだが、このことに関しては他班員の意思の介在するところのない、つまり渚くんの自主性によって自発的に願い出ることさえされたものであり、私たちが何か押しつけたような事実は一切存在しえないため、邪推などされないように。昨晩、皆で驚いたのだ。まさか思いもよらないことだった。まさか「しおり」を持ち運ぶ気でいたなんて。

この学校は決まって長期休暇や校外活動の事前に、しおりというものを配布した。生徒会が、運営委員会が。修学旅行も例外ではない。だから私たちのクラスでも、担任が手ずから配布した。私たちは目を疑った。最後のページが一三四四と振られていた。寸法も重量も辞書と比較して遜色なかった。内容を見たら、手書きの文字の羅列だった。私たちの担任は問題を未然に防ぐべく、あらゆる手立てを講じたのだ。

担任の異常性は四月中に皆が承知しており、その異常なしおりにも、すぐに順応してしまった。有用な代物でもあった。クラスの予定が、わかりやすくまとまっていた。持参品の表には分岐があった。一応は計画を書き込む欄もあって、何より京都旅行に役立つ情報が満載だった。へたな検索より充実していた。もちろん全千三百四十四ページの辞書(ハードカバー)は、旅の荷物にしたくはないけれど。

クラスメイトは、しおりを自宅に置いてきただろう。いや教室に放置したかもしれない。持ち帰るにも、かさ張った。かさ張るとはいえ有用だから、荷物に含めた者は、他にもいるかもしれないが。京都観光で持ち歩こうとは、渚くんだけが実行してのけたことだろう。いずれにしても少数派だ。あたりまえに、私は自宅に置いてきた。

もっとも少数派の第一人者たる渚くんも千三百四十四ページを読破したとは言わないのである。

「目次も全然。追ってるうちに疲れちゃって。観光情報も意地で読みきったようなところが」

渚くんが、そうだろうと言うように私を見た。私は、まったく同じ顔をして、渚くんを見た。

全千三百四十四ページものしおりが充実すると、四十ページ強は目次に費やされることになる。いわゆる従来のしおりに相当する内容が、そこから二十ページ弱。六十ページ目からは京都の言葉の解説が始まって、なんと七十七ページ目まで続く。さらに百八ページ目までが、各見開き二ページの、京都の文化財の紹介。千ページを過ぎるころには「困ったときの対処法」の大見出しだ。

「旅行代理店を開けばいいのに」

「いっそ僕らが——、いや、やっぱりなしで」

「——重いもんね」

「——重すぎるよ」

「なんで持ってきたんだよ」

後ろから杉野くんが突っ込んだ。役に立つからと、渚くんは答えた。すぐに、訓練で筋肉がついたもんねと、茶化す言葉。渚くんがそのことに多少の文句をつけて、同じころ茅野さんが、あっと声を上げた。目的の地点が見えてきたのだ。

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「さすが神崎さん!」

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計画は順調だった。

困り果てるほどに迷いはせず、苦しむほどに退屈もせず。修学旅行のしおりと、そして渚くんの功績は大きい。だが、彼が進んでその任を負わなかったとしても、私たちは迷いも退屈もしなかっただろう。しおりは私たちの道程を、より充実したものにしたけれど、同じ目的のために、各自が日程表を用意したのだ。あるいは京都それ自体がもの珍しく、修学旅行それ自体が新鮮だった。

一行は士気を高水準で維持したまま、予定どおりに京都を回り、今度も予定に従って神崎さんの希望のコースにやってきた。祇園の奥の、ちっともひと気のしない道。右に左に立ち並ぶ店は観光客の期待にこたえるようだが、路上はしんとして班員の声がよく響く。一見さんお断りの、と前置詞のつく区画であある。一行は声に出して感心した。

「だから目的もなくふらっと来るひともいないし、見通しがいい必要もない」

神崎さんは、すらすら答えた。これで二度目の主張だった。初めて聞いたとき私たちは、まだ東京の教室で、今日の計画を立てていた。当時は反対意見も出たが、今日は満場一致で可決する。問題点には解決策を用意してある。別の班の報告で、担任と行動を共にするに当たっての、人通りと見通しの重要性を再確認したばかりでもあった。試す価値は十分ある。一行は声に出して感心した。

もう少しだけ先の予定だが、担任と合流することになっている。

担任の企画である。生徒と一緒に、生徒が計画した旅を楽しみたいと。すでに全四班中二班が終え、現在は第三班の番だと聞いた。私たちの四班は、その次、最後の四番目。すなわち最も時間に余裕があり、東京にいる間、早い段階で計画に*下見*を組み込んだ。これまでに訪ねた場所のなかにも、その候補地はいくつもあった。めったにない機会なのだ。「下見」は東京でも満場一致の可決だった。

計画は順調だ。

困り果てることも迷うことも苦しむことも退屈することもなく、東京と違う空気に包まれているようで、強い目的意識の下の観光は充実していて、士気は高く、ひと気がなく、見通しが悪く。目撃者がいなければよいのだと、誰かが笑ったことを思い出した。神崎さんの希望だった。彼女は計画をなくしたが、私たちはこの場にたどり着いた。ここに彼女がいなかったとしても、やはり迷わなかっただろう。

神崎さんは様々な面で評判がよい。字が奇麗なら姿勢も奇麗で、几帳面な性質で、器量のよさも評判だった。杉野くんも、それで彼女を班に誘った。柄の悪い高校生も、同じく彼女に目をつけた。

ひと気がなく、しんとした路上。班員の声がよく響き、まるで私たちだけのようだが、私の耳は、はっきり捉えた。五人組が息を潜めて、今か今かと待っていた。私は、すべてを目撃した。昨日の不良は神崎さんに、わざとぶつかって、そのポケットからノートを盗んだ。私は見て見ぬふりもしなかった。私は何も見なかった。私は何も聞かなかった。だから私は口も閉ざさない。班員と同じく過ごして、

「何かあった?」

——ただの気まぐれで呼ばれた。

「何かって、何が?」

私は至って普通に返事をした。身長で十センチほど私を上回るクラスメイトは、たしかにと言って横で頭をぐるり、動かして、

「カルマくん?」

渚くんも、呼びかけてから身構えた。

狭い路地の奥の向こうから、歩いてやってくる姿があった。上背のある男子生徒が、黒色の学生服を着崩している。ありきたりの不良のようで、どれも昨日すれ違った顔だ。ぴったり三人分の足音が、無神経にこちらを目指している。二人ばかり足りないが、脇の物置に、まず一人分の気配がある。万が一の場合に備えて、奇襲の用意をしているのだ。

気づいたけれど黙っていた。班員たちは気づかずに視線を交わして動揺した。——聞いていた人と、まったく違う。

その一歩前に、ひとりが出た。

「観光が目的っぽくないんだけど」

敵は返事をしたけれど、彼は聞きもしなかった。敵の顎を捕まえて、押し上げ、歯を折り、目潰し、真ん前の電柱に打ち付け。好戦的で評判の悪い生徒だった。敵も呆気に取られたけれど、それは班員も同じだった。小路はにわかにざわめいた。しかし敵は知っている。脇の物置に、彼らの味方が隠れている。そいつが飛び出して金属パイプを振り上げたとき、かの班員は得意げに笑っていた。

私は一拍遅れて息をのんだ。ふりをした。背後で班員が息を潜めた。私は後に続かなかった。かわりに、恐怖に表情をゆがめた。足がすくんで動かなかった。それはそうだろう。クラスメイトより一回り以上も大きな高校生が、四人もそびえ立っているのだ。班員は一人、後頭部を殴打されると倒れてしまった。数で負けていないなどとは、誰も言うことができなかった。彼の戦闘能力はクラスでも頭ひとつ抜けている。

それはそうだろう。

高校生は、もはや何にも阻まれない。男子中学生に殴りかかる。攻撃は、たやすく直撃する。

五人目が現れた。

私は悲鳴を、ただ堪えた。ふりをした。

そして真っ先に茅野さんが狙われた。

## 四

茅野さんはクラスの中で最も小柄で、体育の成績を見る限りにおいても、近接戦闘には向かなかった。だから呆気なく高校生に捕らわれた。人の心配ばかりはできない。まもなく神崎さんも狙われて、私も当然みたいに捕まった。あの不良高校生が女をさらえと指示していた。物騒な指示だ。京都に来てまで犯罪だなんて。けれども彼らに躊躇はなく、お呼びでない男子は武力で殴って、女子三人も乱暴に拘束した。

よかった、などとは思わない。

私たちは車に投げ込まれた。見たところ盗難車だが、それもそのはず、お互い東京の学生である。京都に来てまで犯罪だなんて。無免許運転の車の中で再びあきれた。盗難車だったが、ありふれた車種で、ナンバープレートにも細工があった。彼らにとって、呼吸にも近しい行為なのだろう。東京だろうが京都だろうが、傷害も拉致も強姦も、もはや理由は不要なのだ。

あきれたけれど、私は黙って連れ回された。無免許運転が熟達していたことは——不幸中の——幸いだった。事故が起きなかったという意味で。移動距離が長くならなかったところも歓迎はしておきたい点だ。彼らは最初に見つけた廃墟を、即席の拠点に選んだのだ。

暗い屋内を、せっつかれて歩かされた。放置されて久しいのだろう。散らかったままの遊技場、椅子の欠けたカウンター席、床に転がる空の酒瓶。そういえば班員も地面を転がったなと思ったところで、私たちも地面に投げ出された。足は自由だったけれど、私は、されるがままに体勢を崩す。すぐ後ろに、まだソファーだとわかるものが残されていた。

「ツレに召集かけてるからよ」

そして、それだけの猶予が下った。高校生は、いとも簡単に背を向ける。

(目の前が、ちかちかした)

高校生は久しく手入れのないだろう椅子に、どかりと尻を乗せてにぎやいだ。私たちは顔を見合わせた。こちらは最初に茅野さんが口を開いた。

「神崎さんも、ああいう時期があったんだね」

気遣わしげに右を見た。私の左で神崎さんが目を伏せる。茅野さんの言葉の意味は彼女が一番よく知っている。

高校生が写真を持っていた。神崎さんが映っていた。様々な面で評判のよかった彼女は淑女としても評判だった。その評判を裏切るような姿をしていた。横に本人がいたというのに、指摘されるまで気づけなかった。思うところがあったとしても、指摘がなければ親類縁者を疑うだけにとどまっただろう。ゲームセンターという背景は彼女の評判にふさわしくない。一方で納得もした。彼女は*成績を落とした*のだ。

私たちがかよう椚ヶ丘の校則はゲームセンターを禁じていない。

「うちは父親が厳しくてね」

肩書を求められるのだと、神崎さんは自身の制服を見下ろした。ゲームセンターを禁じてはいないが、椚ヶ丘は中高一貫の名門校だ。創立十年の新しい学校だが、名門大学への進学実績は極めて高い。

「でも、そんな肩書生活から離れたくて、名門の制服も脱ぎたくて、知ってる人がいない場所で恰好も変えて遊んでたの」

修学旅行のはるか昔、昨年夏、ゲームセンターに入り浸ったという。神崎さんは泣き出しそうに後悔の丈を吐き出した。遊んでいるうちに成績を落とした。結果が今年の*E組落ち*だ。おまけに、このような事態を引き起こした。これは高校生の証言だが、あの不良は昨年夏、ゲームセンターで彼女を見つけた。

神崎さんは泣かなかった。茅野さんは黙って耳を傾けた。私も倣って聞き続けた。一方、騒がしいカウンター席からは、あの不良が立ち上がった。

(呼んだツレが来る前に、様子を見てみる気になった)

目の前が、ちかちかした。

しかし思考は造作もなかった。

現状、高校生の数は五人。外の見張りが、うち一人。この屋内には四人いて、頭目は、あの不良だろう。「ツレ」とやらに召集をかけて、これから五人も十人も増えるそうだが、この頭目の態度からいって、いや——その全員を見下すことに畏怖もない——彼がその頂点だ。社会の軸は暴力と犯罪で、その両方で抜きんでている。自慢は*台なしにした*人間の数。その一部始終を残した動画も自慢のひとつだ。

顔を上げると、目が合った。

(導かれるように見下ろした)

正面に、あの不良が立っていた。私たちを見下ろしていた。いかにも不幸な面をしていた。「肩書生活」を外れ続けた者の末路だ。そいつが私の首をつかんだ。

(そいつは思わぬ収穫だった)

本物の衝撃が私を襲う。ソファに背中を打ちつける。思わずうめいた声が言葉にならないでいる。少女の悲鳴のような音が、そこを鋭く通り抜けた。

(女が苦痛にあえぐ音は、そこを強く揺さぶった)

中学生より大きな片手が制服に伸びる。

(捕まえた首は男のそれより、いくらもか細い)

目の前が、ちかちかした。

(目を離すことが、できなかった)

ずきずきと胸が痛んだ。少しだけ。じっと目を見た。長い間。神経が焼けつく。幻覚がした。血管の亀裂。幻覚の侵入。声が聞こえた。幻覚が聞こえた。幻覚とは何ですか。幸福とは何ですか。市民。幻覚。幸福です。幻覚です。義務です。幻覚は。幸福は。幻覚が聞こえた。私が答えた。幻覚が問うた。

---

市民、幸福ではないのですか。

---

運も実力のうちという。道理である。運があることは幸福であることだ。実力があることは幸福であることだ。実力がないことは不幸であることだ。運がないことは不幸であることだ。幸福であることは運も実力もあることだ。秩序正しく、効率的で、生産的であることだ。人生を楽しむことだ。人生を楽しまないことはテロリストに見られる傾向で、翻って、すべてのテロリストは、まったく幸福ではありえない。

不幸であることはテロリストであることだ。テロリストは反逆的だ。つまり不幸であることは反逆的であることだ。人生を楽しまないことは反逆的であることだ。生産的でないことは、効率的でないことは、秩序正しくないことは、反逆的であることだ。幸福の否定は、反逆の証明だ。実力がない者は、運がない者は、すべて、まったき反逆者だ。

はい、私は幸福です。テロリストではありません。人生は楽しい。生産的です。効率的です。秩序正しく、実力があります。運試しの理由もない。それを証明し続けないから*前の私*は死にました。六体全部が死にました。死んだ。死んだ。死にました。だから次の私は、うまくやる。はい、私は幸福です。前の私は、すべて、まったき反逆者でしたが、今の私は、かくあるべくして忠実です!

心臓が、ばくばく鳴った。血液が、どくどく流れた。神経が、ひりひり焼かれた。目の前が、ちかちかした。世界を、ひどく愚鈍に感じた。久しくなかった感覚は、その実、初めて体験するようだった。それもそうなのか。六度も死んだ「前の私」は複数の*ミュータントパワー*を操らなかった。ああ、そう、もちろん「前の私」は「今の私」とは違うのだ。経験すべてを継承されても、違うものは違うのだ。

ザ・コンピューターが、それを意図した。友にして母、彼にして彼女、善性にして知性、完璧にして完全。彼が彼女が完璧に運営する完全な地下都市が、今よりはるかに高度な未来に、あるいはまったく異なる世界に、唯一として存在した。巨大シェルター、アルファコンプレックス。市民はすべて人生を楽しみ、生産的で、効率的で、秩序正しく、つまり完璧に幸福に暮らしていた。六度死ぬ前の私のことだ。

おまえとは違う。

おまえは違う。

私は正気で、おまえは狂気。おまえ。おまえ。おまえだ。おまえが。こうも不衛生を体現する廃墟で、性器を露出する寸前のおまえが、狂気の沙汰だ。性交渉だなんて! 私は——初めて——悲嘆に暮れた。アルファコンプレックス市民は*拡張クローニング施設*で完全に完璧に出生する。異性間性交渉は、これを「台なし」にする反逆である。性ホルモン抑制剤の投与は義務である。

ここは、アルファコンプレックスではないが。この、かつてよりはるかに下等な過去に、あるいはまったく異なる世界に、ザ・コンピューターは君臨しない。指の数より多くの国家が地上に都市をつくっている。人類は異性間性交渉を通して繫殖し、ミュータントでなく、クローンを持たず、生まれて生まれ、死んで死ぬ。性差がある。学生服を着た狂人が、ひどく愚鈍に、私のブラウスに手をかける。

この狂人は、あの不良は、高校生は、汚い手で、ハエが止まるようなスピードで、理性を失して、私の肌に触れようとした。なるほど性欲なるものは、かくも生物を堕落せしめる。そうと肝に銘じるうちに、首元の力も少し緩んだ。逃れることが、また容易になる。本当に気づいていないのだろうか。これほど簡単な事実について? いや、いや、それはそう。この過去世界の人類はミュータントパワーに抗えない。

私が彼らを*洗脳*した。ミュータントパワーで「洗脳」した。そしてミュータントパワー抵抗力は、ミュータントだけの能力だ。

だから思考は造作もなかった。

この*高校生たち*はミュータントパワーに抵抗できない。しかし私も抵抗しない。それが今の私の役目だ。もちろん反逆行為は致さない。私は彼らを*単純にした*が、不衛生は不快である。これは、あくまで時間稼ぎだ。この過去世界にミュータントは発生しない。ミュータントパワーは存在しない。私が引き起こしたことが、自然な欲求の増幅なら、誰もミュータントパワーを気取らない。私は正体を隠匿できる。

高校生の注意を引きつけること。それが今の私の役目だ。いずれ事態は収束する。ここの不良は、班員の一人を見逃した。ここにいない奥田さんは、あの場で殴られることもしなかった。彼女は誠実な部類の人間だ。たとえ逃げても、必ず班員を助け起こす。班員は誰も死ななかった。クラス随一の戦闘員は油断しなければ高校生を倒しきる。そして何より渚くんには修学旅行のしおりがある。

私たちの担任は問題を未然に防ぐべく、あらゆる手立てを講じてくれた。同様に、事故や事件に対しても、あらゆる手立てを講じたのだ。千二百四十三ページ、班員が何者かに拉致られたときの対処法。犯人の手がかりがない場合、まず会話の内容やなまりなどから、地元の者かそうでないかを判断しましょう。地元民ではなく、さらに学生服を着ていた場合。千二百四十四ページ。

「考えられるのは——」

ぱっと首が自由になった。

「——相手も修学旅行生で、旅先でオイタをする輩です」

私は思わずせき込んだ。遅れてミュータントパワー二つの発動を解除する。高校生が完全に私の身体から意識をそらした。不良の頭目も、すでに立ち上がって私から遠い。だからと着衣を整えようとしてみたら、こちらは肘をぶつけて頓挫した。床に体がずり落ちる。そういえば腕を縛られていたのだった。仕方なしに足とソファーを利用して、上体を起こすにとどめておく。

少女の悲鳴はやんでいた。かわりに、もの言いたげな「拉致られ」仲間が両脇にいた。

「大丈夫だよ」

顔を見せて伝えると、二人そろって息をのんだ。私は、ひとつ反省した。一瞬といえど、いささか衝撃的だったか。制服は二、三のボタンを失ったくらいだが、次は——訪れないに越したこともないけれど——制服の被害も防ぐとしよう。

放棄された遊技場の入口に、班員四名が立っていた。せっかく修学旅行だというのに、一人は喧嘩で負かした高校生を捕まえている。渚くんは、しおりを片手に、種を明かした。高校生は何が何だかの状況把握に忙しいようだ。私は再び二人に伝えた。

「大丈夫だよ、二人共。殺せんせーが、もう来てるから」

ちょうど多くの足音がした。この建物の、ずっと外だ。誰もがそちらへ注意を払って、高校生は、それが大勢によるものであることを期待した。仲間を呼んだと言っていた。信用するなら十人かそこら。当然、手数が増えるわけだ。本当に、それが彼らの仲間ならば。当然、彼らは知らないのだ。私たちの担任は異常である。彼は常軌を逸している。

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「不良などいませんねえ。先生が全員、手入れしてしまったので」

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三年E組の担任教師、真っ黄色の触手の怪物、殺せんせー。名前は生徒につけてもらいましたと、出会ったその日に、そう聞いた。
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