# 秋 夏休み明け、登校したら、クラスメイトがじっと見てきて、おめでとうと口々に言った。もてはやされた。ちやほやされた。先生たちも、居心地の悪そうな部分を見せながらも、誇らしげな様子でバスケ部に言葉をかけた。一方、当のバスケ部は、とっくに、いつもの練習三昧だ。新入部員数名は誰も定着しなかった。いつのまにか秋になった。いつか周囲の関心も薄れていた。 それでも誠凛高校バスケ部は、目まぐるしくもバスケットボールをついている。 バスケ部の一年は、夏では終わらない。秋も大会。冬も大会。高校バスケは、もうまもなくウィンターカップに突入する。 「インハイと国体に並ぶ最重要大会——だっけ」 そらんじるような言葉であったと、小金井は否定しない。今日も今日とてバスケットボールにもてあそばれた、未経験組のひとりである。いや練習は重ねてきた。ルールも基礎も体に刻んだ。もはや夏とは比べるべくもないだろう。絶対に、確実に。それでも時々いやしょっちゅう、未知の学生バスケ事情が小金井の前にやってくる。 ウィンターカップが高校バスケの最重要大会のひとつである、とかのことだ。名前くらいは知っていた。季節もわかった。冬の大会だ。秋の終わりの予選に勝ったら、冬の初めの本選に進める。最近の練習は、この大会を念頭に置いた内容だった。ウィンターカップまでに、と言われない日は皆無に等しい。ただ、このことを小金井は、単に次の大会だと認識していたのだけれども。 「知ってた? カントク、ウィンターカップに向けて調整してくれてたんだって」 次の大会に向けて、ではない。秋の前から、夏の前から、創部からこの方。敵は一年をかけて、このウィンターカップに向けてステータスを仕上げてくると、考えておく必要があると。今日の練習の合間に、話の流れで聞かされた。もちろん私たちもね、と。小金井は飛び上がって声まで上げた。 のに。部活帰り、隣を歩く花宮は反応が薄い。 「そりゃ、まあ高校バスケだし」 それどころか当然のごとし肯定である。 「上目指してりゃ、どこもそうなる」 小金井は目を見開いた。まったく同じ言葉を、これまた例の話の続きに聞かされたところであった。逆隣を見ると、水戸部が花宮と目を合わせて、困ったようにうなずいていた。どうせ花宮が俺をバカにしてるんだ。小金井は構わず水戸部に泣きつく。 「花宮との断絶を感じる!」 水戸部は今度、小金井を見下ろして困ってくれた。大変だなと、背中から聞こえた。小金井は振り返って指を差した。 「花宮、本当はバスケ部出身!」 「帰宅部だったが」 「うっそだあ」 「ンなわけねえだろ、指差すな」 花宮、にらむ。小金井、腕を下ろす。水戸部、困り続ける。花宮が、小金井よりうんと高いところに目線を上げる。そして、わかったと言って、小金井のところまで目線を下ろす。 「いいか、最後だ。コガは耳の穴かっぽじって、よーく聞いてろ」 「えっ待って」 小金井は手を突き出して制止した。花宮は待ってくれた。小金井は息を吸った。吸って、吐いた。吐いて、吸った。耳の穴もかっぽじった。創部から半年以上、つまり花宮との付き合いも半年以上。その半年で学んだことのひとつだが、花宮の「最後だ」は、それで本当の「最後」を意味する。花宮は待ってくれた。小金井は軽く伸びをして、やっと「いいよ」と手を下ろした。 「中学でバスケ部に入ってた先輩に、バスケを教わったり遊んだり、学生バスケ事情も散々聞かされました。終わり」 「終わり?」 「終わり。っつーか、初めてじゃねえだろうが。何度も言わすな。これで最後だ」 「だって!」 「——水戸部も大変だな」 花宮が、また小金井より高いところを見上げた。水戸部が頭を振る気配がした。なんだよと、あくまで花宮をにらむと、花宮が、また小金井を見下ろす。 「水戸部とコガは中学からの付き合いなんだろ」 「だから?」 「だから」 花宮が口元だけで笑ってみせた。水戸部を見ていた。水戸部は首を横に振った。 「俺にもわかるように話してよ、バカ宮!」 「いつも言ってるけど、それ頭悪そうだよ」 「ムキーッ!」 花宮なんか! バカにされていることは知っていた。花宮は、よくバカにした。そういうときの花宮のことが、苦手だった。バカにされることは嫌なことだ。出場する大会に向けて練習を重ねることと同じように当然に、バカにされたくはないのである。花宮なんか嫌いだと、口に出して伝えもした。しかし、それで距離が遠ざかることにはならなかった。むしろ近づいた。小金井は、バカではない。けれども。 きっと張り合う気になれないだけだった。 「花宮は違うんだ」 花宮と小金井の間には明白な断絶がある。 「ううん、つっちーとも違う。水戸部とも、日向とも伊月とも違う。カントクとも違う。みんな言ってる。なあ花宮、おまえ才能あるよ。バスケットボールの、才能」 「そうかもな」 花宮は否定しなかった。小金井は驚いた顔をしたのだろうか、すぐに次の言葉が訪れた。 「先輩に、かなり言われたから」 初耳である。が、意外な事実というわけでもない。花宮の才能は、もはや六か月目の小金井の目にも明らかな事実だ。まがりなりにもバスケ部で、なおかつ直接に教えたという「先輩」なら、もっと早くに気づけたはずだ。そうと知れたとき、どんな気持ちがしたのだろうか。小金井は水戸部との会話を思い返した。夏の大会の最中だった。あのとき水戸部は珍しいことに、たかぶっていて、 「『才能はあるけど天才やない』」 逆に小金井が秋の大会の終わりに、花宮は天才だと気づいたとき、水戸部はどんな顔でこたえてくれたんだっけ。 「言われたの?」 「たしかに俺は、他人のプレーをひと目で完璧にモノにすることはない。スリーポイントは入らないことがある。姿勢が崩れたら得点はできない。ゴールポストを触りたければ、助走をつけて跳ばなきゃならない」 「それは——」 木吉にだってできなかった。 「——どういう先輩だったのさ」 「想像と違った?」 「違った! もっと、こう、アットホームな先輩だと思ってた!」 「それこそ、どんなだ」 「じめじめ気難しくて近寄りたくない友達ゼロ宮のことを、見兼ねて嫌がらないで構って遊んでくれるような、——優しくて憧れられる先輩! ザ・学年の垣根を越えた心温まる友情!」 「おお」 「実は闇宮は、憧れの先輩とバスケで戦いたくって、誠凛高校バスケ部に入ったのである!」 「不正解だ」 不正解なんだ。意気を落とした小金井に、花宮が呆れた目を向ける。 「正解は?」 「苛々してた上級生が、つい握れた新入生の弱みをネタに、鬱憤を晴らしたり、暇を潰したり」 「弱み」 小金井が復唱する。もう無効だと、あっけらかんと返ってくる。うーん本当に一から十まで想像と違う。 「その先輩は今もバスケ部?」 「あの人の進学先も知らねえよと言いたいとこだが、たぶんウィンターカップに出てくるな」 「えっ」 「俺の『憧れの先輩』に予選で会えるってことだ」 「しかも都内!」 「インハイでも予選にいた」 「強いの?」 「性格悪ィんだよ」 花宮より? そう聞く前に、自動販売機が目に入った。小金井は急に喉が渇いて、声をかけて買いに駆け寄る。いくつかの操作の末に購入を終え、振り返ると、背後に待たせた二人がそびえ立っていた。長い影が伸びていた。先に背の高いほうがボタンを押して、背の低いほうは後に手を伸ばす。そうは見えても、どちらもやすやすと小金井の頭上を過ぎる。水戸部はもちろん、花宮だって背が高い。 三人が三人、立ち止まって、思い思いに飲み干した。再び歩き始めるまで、誰も一言も口をきかなかった。 「花宮、才能あるからってバスケ始めた?」 「その影響は否定できない」 最初の疑問は、曖昧な肯定に迎えられた。じゃあ、と小金井は別の名前を出してみた。花宮の入部の経緯は、一応は部員全員が知るところである。木吉である。木吉が誘ったのだ。木吉に誘われたのだ。そして花宮は、これも否定はしなかった。じゃあ。小金井は再び理由を探そうとした。それを遮るように花宮が言った。 「特別な理由がなきゃ、俺はバスケやっちゃいけないのか」 「そんなこと!」 思わず大きな声が出る。そのことに小金井は自分で驚いて、花宮と水戸部の顔を見て、ほっとして言い直す。 「そんなことは、もちろん、ない。けど」 それでも言葉尻は、こうなった。 「ふはっ」 花宮が嘲笑した。 「コガのわりには上出来だったぜ」 --- 「とんでもないやつを拾ってきたもんだ」 日没の歩道で、日向はこぼした。 返事はなかった。 「天才には天才がわかるってのか?」 以前にも聞いたことを、再び口にした。あのときの「天才」は、やるやつだと思って、などと答えやがってくれたのだが。 日向は、たぶん絶対確実に、よい気持ちがしなかった。だって木吉は、日向のときは、携帯の背景画像がきっかけだった。日向の携帯の背景の、バスケの選手の写真がだ。日向は経験者だったのに。花宮のことは未経験だったにもかかわらず、ひと目見てわかったという。花宮は花宮で、接点があった先輩が、などとほざきやがるし。 ——これだから俺は木吉が嫌いだ。 日向は、たびたび、そういった。そのたび木吉は笑ってこたえた。日向は、ますます嫌いだと思った。 だが、木吉には笑顔が似合った。今日はウィンターカップに向けて新しい連携を練習した。それが一度うまくいって、嬉しくて声を上げて、ハイタッチまでしようとして、目の前にあった顔を見た。そのときになって気づいたのだ。木吉の朗らかな表情が、チームに安心をもたらしていたのだ。木吉とやるバスケットボールは、とても楽しかった。 ——無理してリバウンドしくじって大怪我になって、インハイそこそこで俺らとのバスケを終わらせたいってんなら、話は別だが。俺は、おまえがいないバスケ部なんか、ごめんだぜ。とっとと診察と治療を受けて、新人戦かウィンターカップか、来年にでも戻ってこい。出場権くらい、おまえがいなくてももぎ取れる。 「やっぱり、とんでもないやつだったよ」 全部あいつの言うとおりになっちまった。 「おかえり、木吉」 日向は言った。普段の彼なら、決して口にできなかった言葉を。木吉は笑って受け止めた。 三年間バスケをやろう。一緒に日本一になろう。なあ木吉。 --- なあ花宮。 小金井は最後に尋ねた。 「いいの?」 「何が?」 質問は、質問で返された。 小金井は花宮の顔を見て、水戸部の顔を見て、そして言い直した。 「木吉、日向に取られちゃった」 「それを言うならカントクじゃねえの」 花宮は、ただ事実を述べるだけの顔で、小金井に答えた。 うーん。小金井は一度うなって、もう一度尋ねる。 「花宮はいいの?」 すると今度は、すぐには返事がやってこない。おっ、と思って目を見ると、花宮の目と目が合った。 「いいも何も、木吉はクラスの人気者だぜ」 「だぜ?」 「『いい』ってこと。なあ水戸部。おまえらだって同じだろ?」