夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」

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次の土曜の練習のことで花宮が話しかけてきた。珍しいこともあるものだった。奇妙だとさえ感じられた。この先輩に呼ばれるとき、火神は大抵、テストで悪い点を取ったり、言葉遣いを謝ったり、どちらかといえば学業面においてやらかしていたのだが。それがバスケに関わるとしたら、もしや補習の通達だろうか。いやまさか。それなら花宮より適任の部員がいる。同じクラスの黒子である。だからといって火神は安心できなかった。花宮の顔色は火神には読み解けない。その花宮が火神を体育館の壁まで連れ出した。

練習を抜け出した。カントクと主将は訳知り顔で見逃した。火神はますます見当がつかない。補習などの通達でないとすれば、やはり部活動に関する内容であるはずで、しかし並大抵のことならば休憩時間に話せばいい。そして、それほどの内容であるならば、ここには花宮ではなく、カントクか主将がいるはずだ。

チームメイトの声と足音、ボールが床をたたく音。まだ三十秒もたたないというのに、バスケットボールに責められている気がしてならない。理由がわからないことも、その気持ちに拍車をかけた。バスケットボールに触りたい。ふと中の先輩と目が合う。木吉だった。彼は火神に笑みだけ向けると、何事もなかったように練習に戻っていく。その奥に見えた相棒は、逆に気づく余裕もないらしい。元より腹を立てることではないが、まあ今の火神にも余裕はなかった。ボール触りてえ、バスケしてえ、次は、次こそ——勝つ。勝つのだ。

「なあ火神」

誠凛高校バスケ部は桐皇学園高校に負けた。インターハイ予選決勝でキセキの世代の青峰大輝に敗北した。完全に。以後も誠凛は桐皇戦の結果を引きずり、一方の桐皇はまもなくインターハイに出場する。優勝候補の一角である。一度でも戦えば、そこに疑いを挟む余地がないことは明白だ。青峰は第二クォーターの終わりに現れ、ウォーミングアップだと言って火神を抜き去り、桐皇の選手さえ置き去りにした。誠凛はコートの五人で束になっても圧倒された。青峰ひとりに。

青峰ひとりに、かなわなかった。

桐皇学園のバスケ部は紛れもない強豪だ。新しい学校ゆえ実績は少ないが、監督を迎え、選手を集めた。そして各分野の実力者がそれぞれ個人技を優先した。チームプレーが重要な五対五の球技で、まったく異色と言えるまでに。しかし各人の高い能力が異色のチームを成立させた。青峰がいなくても機能していた。けれども青峰を獲得した。桐皇にあっても青峰は一人、抜きん出て強かった。

わかっていた、つもりだった。「キセキの世代」がそういうものだと。

——声出し、バッシュ、バスケットボール。一度抜け出すと、火神を誘ってやまない心地のよい騒音。一方で、花宮の声はよく聞こえた。

先輩は、

「おまえカレーつくれるよな。ルーで」

と尋ねてきた。

火神は、

「はい」

と答えた。

はい、つくれます。Yes, I can. イエス、火神はカレーライスをつくれる。カレールーをたくさん使うと、後でたくさん食べられる。特に独り暮らしを始めてからは、全部が火神の分である。はたしてバスケと関係あるのかって、何もないように思われるけれど、火神だけ呼ばれた理由はわかった。花宮が呼びに来た理由も、おそらくは。

花宮と火神は独り暮らしだ。部で二人だけの共通点で、二人の多くない共通項だ。火神は父親の仕事の都合で、花宮も母親の仕事の都合で。そのために二人は自炊をしている。

話のきっかけは黒子だった。家が近所だったんですと、まだ新入部員だったころに報告された。帰り道が一緒になって、と。それを横で聞いていた小金井先輩が、独り暮らし宮は料理上手、なんて話し始める。火神は思わず本人に確認した。花宮はただ同じだなと言って多少のことを教えてくれた。母親が地元で店をやっていること。彼ひとり東京に出てきたこと。

だから自炊をしている。だからルーでカレーライスをつくれる。その連想はよしとして。だからバスケ部の練習のことで呼ばれただって? まさかカレーをつくりながら走り込みをやれとでも?

「そんなバカなことがあってたまるか——です」

火神は思わず大声を出しかけた。うっかり、いろいろ付け足した。

「危険、ですよ、だって、そんなの」

おそるおそる花宮の顔をうかがう。いつもなら即座に「敬語」と一言、厳しい表情をつくる先輩が、今は「ふはっ」と後輩を笑っていた。

「ンなこと、さすがにカントクもわかってる。——カレーつくるときの動作だよ」

「動作」

「ああ。具材を切る、カレーを混ぜる、そういう動作が実はバスケと同じっていう。判断力も鍛えられる。時間感覚も養われる」

「マジ、ですか」

火神は少し納得しかけた。時間は調理のすべてではないが、

「ううん」

「『ううん』?」

「カレーづくりでからだづくり——なわけねえだろバァカ」

火神は先輩を見下ろすことしかできなかった。火神は部では木吉の次に数えられるほど背が高い。そうして大体において見下ろす形になる花宮を今日も見下ろし、見下されていることを確信した。小金井の言うには、花宮には誰も彼もがバカに見えるのだということだが。

「部員に料理を教えてほしい」

マジかよ。花宮の目より高いところで火神はまた声に出す。うっかり今度は英語だった。火神は帰国子女なので、たびたびこういうことがある。同様の理由で日本語も怪しい。会話はできるが、学業成績には影響が出ている。また敬語の扱いも苦手としていた。火神の取って付けたような「です」「ます」を矯正してくれる花宮だが、口をついて出た英語をとがめることはしなかった。だから火神も訂正しなかった。単純にその暇もなかった。花宮がすぐに言葉を続けたからだ。

「合宿の計画がある。夏休みにな。去年もやった。施設を借りて、泊まりがけでバスケの練習。費用はあらかた部費から出るが、予算の都合で飯が出ない。去年は部員でカレーをつくった。今年の飯も、そうなる予定だ」

「ってことは」

火神はたちどころに理解した。

「それが人にものを頼む態度だと——!?」

思わず「マジかよ」の続きも出ちゃった。さすがに日本語だったけれど。

「うん」

花宮は簡単にうなずいた。

おそらくは、こういうことだ。合宿では晩飯にカレーライスをつくる。ぶっつけ本番には不安があるから、事前に——次の土曜日に——カレーづくりの練習をする。そこでの指導を火神も一緒に引き受けてくれないか。ぶっつけ本番を避けた理由は、調理に不慣れな部員がいること。だから逆に日々の自炊で慣れている火神は指導を担う側であると。

「だから断りたければ断ればいい」

「そりゃそうだけど——?」

「粉からつくるってんならまだしも、ルーだぜ。ンなもん合宿でギャーギャー喚いてつくればいいって思うだろ。ウゼェけど。五月の一年合宿でもそうだったんだ。だってのに俺は自炊してるからなんつーアホみてえな理由で料理教室の先生様だ。一生出てくる飯だけ食ってろ、バァカ、俺は毎日練習の後でもつくってんだよ」

それこそ断ればよかったのでは。花宮は火神が返事をする前に見透かしたように遮った。

「それでも練習は必要だという結論に至った」

「ナンデ!?」

驚く後輩に、一転、真顔を形づくる先輩。

「俺らは今年も練習をしなくちゃならない」

「いや、だから」

「俺は引き続き先生をやることになる。今年は一年が入ったから、おまえと分担できればとも考えたが、俺ひとりでも監督は可能だろう。家庭科室を借りる都合上、土曜は顧問の武田先生もいてくれる。自分の面倒だけ見ていられるなら、他にもカレー程度つくれるやつはいる。死傷者は出ないはずだ。そもそも合宿で実際に飯をつくるのは、——カントク主体の予定だからな」

火神は眉を上げた。てっきり花宮と二人で引き受ける羽目になる予想だった。しかし、よかったと胸をなで下ろすより、カントクに対する申し訳のない思いが先立つ。昨年から単純に一学年が増えたのだ。具体的には火神ら後輩が計五名。自分でつくるときは一人も八人も十三人も大差ないと考えるけれど、バスケ部で過ごした三か月と花宮の口ぶりから察するに、カントクは「不慣れ」な部員であある。

すると花宮は、また見透かして、

「そのカントクが合宿だからって張り切ってキッツい練習を組むから、俺らはおそらく台所に立つことすらままならないだろう、っつー予定」

やはり終始、真顔である。

「まあカントクも、俺らと差はあっても疲れることは間違いない。万が一ということもある。だから全員がカレーをつくれそうになっておくことには意味がある。とかなんとか理由をつけて練習に持ち込んだから、今年も当然するものだとカントクが考えての、次の土曜だ」

火神はどこか不安な気持ちになってきた。花宮の顔も今日は特に陰気に見える。妙な言い回しのせいだろうか。死傷者が出ないはずなどという言葉選びは、物騒そのものの先輩の言い回しとしても、かなり大げさな部類である。もちろん台所には命の危険がありふれているけれども、だ。

ぐるぐる渦巻くような思考に、身に起こったわけでもないのに目を回しかけていると、ふはっと笑う声がした。それで火神はなぜか途端に落ち着いた。花宮は安心を与えようとしたわけでもないだろうに。絶対に。しかし火神は穏やかな思考を取り戻せたので、答えを待たれていることも思い出した。

「どうして先輩が来たんですか」

それでも火神は答えなかったが。先輩は答えた。

「おまえカントクとキャプテンに頼まれて断れるか? 家庭科の教科書を読んでこいって言えるか? ただでさえ先輩の監督主将だぞ? ——俺は言えた。そのうえで面倒を見てやった経験から、あと一人でも八人でも十三人でも増えたところで大差ないと結論を出した。先に、もう一度言っておく。俺ひとりで十分だ」

花宮先輩。火神は思わず呼んでいた。先輩は火神の名前のかわりに、それに、と続けた。

「おまえが今ここで何と答えようが、どうせ一年は二年よりまず同じ一年を頼るだろうしな」

「花宮——先輩」

花宮に、じっとにらまれる。指摘される前に言いなおす。ハァとため息を返される。

「どうなるにせよ、おまえには話を通しておくべきだった。一年も二年も全員おまえの自炊は知ってるからな。一年にも自分の面倒くらい見れるやつはいるだろ。去年は水戸部とコガが安定してた」

「へー。水戸部先輩は納得、ですけど」

「コガはいろいろ器用なやつだ」

「勉強とか?」

「バスケもな」

答えた花宮は練習風景に目をくれた。火神が追いかけた視線の先には小金井がいた。このバスケでも器用な先輩は、昨年は誠凛のシックスマンだったという。その練習の手が急に止まった。時を同じくしてカントクの声が体育館に響く。休憩にしましょう。火神は、そろりと花宮を見た。先輩はこれで終わりだと言わんばかりの顔をしていて、

「悪かったな」

「べつに謝られるようなことじゃ」

火神は即座に否定する。練習に戻りたかった気持ちは否定できないけれど、話を聞く前に想像していた内容より、ずっとバスケ部に関係していた。他の一年に先んじて合宿開催を知れた優越感もある。何より、これは先輩からの配慮だった。

ボールの音は、ぱたぱたやんだ。やんだところからチームメイトがコートを出ていく。それの最初を小金井が飾り、最後を黒子の死に体が飾った。

黒子は火神の相棒で、部の誰よりも体力がない。今も、歩けていることが不思議なくらいだ。最上級生が二年生とはいえ先輩を差し置いてまでスターティングメンバーとして数えられるような選手なのに、黒子はバスケの技術も基本的に高くない。この事実は誠凛の選手の実力不足を意味しない。ただただ黒子が特殊なのだ。彼はこうも呼ばれている——。

「でも桐皇の話じゃなかったろ」

——幻の六人目シックスマン

キセキの世代のシックスマンだった。黒子はかつて青峰と同じチームにいた。

桐皇との対戦に当たって、黒子は青峰のことをチームメイトに話した。特に火神はよく聞いた。相棒の過去であることは理由になったが、元より青峰は火神にとってマッチアップの相手だった。プレーの共通点も多い。フォワードでエースで、火神は黒子の相棒で、青峰も黒子の相棒だった。黒子は青峰をよく知っている。同じことは対する青峰にも言えたのだが。

さて黒子が青峰のことを話したように、花宮も桐皇の主将の話をした。今吉というポイントガードだ。中学時代の花宮の先輩だったそうだ。二年生はもちろん、一年生も皆が知っている。例によって最初は小金井に教えてもらった記憶もあるが、先の決勝での対戦前には花宮本人から説明された。あれがすべてだと、今、目の前の先輩が振り向く。

「聞きたきゃ何度でもコガに聞け。俺がうんざりして見えるなら、おまえらのせいじゃない、あいつのせいだ。それだって、どうせ中学の間の話だが。こっち来たとき機種変ついでにデータが消えたんで、今の先輩の連絡先も知らねえよ。桐皇の内部事情なんざ知るわけもない。何なら新情報は去年の冬の予選の試合だし、こないだの予選だ。——あの妖怪、性格悪かったろ」

「まあ素直って感じじゃあ、なかった、かもしれないです」

花宮はたびたび今吉を妖怪と呼んだが、正直なところ印象は薄い。顔を見ればわかる、声を聞けば気づく。あの桐皇で正ポイントガードをやっているだけのことはある。バスケの技術は高かった。桐皇は青峰がいなくても手強かった。だが、すべてが覆るほど、ただ青峰が強かった。青峰がすべてを上塗りした。誠凛は負けた。ダブルスコアがつかなかった、それだけの圧倒的な敗北だった。

「勝てば官軍」

「なんすか」

「今吉さんの、好きな言葉だ。あの人、勝つために桐皇に入ったんだぜ。キセキのエースを獲得できるって」

「——あの人、三年ですよね」

「おまえや青峰の二つ上だな」

「青峰がどこ選ぶかなんて、わかります?」

「だがキセキの世代のエースは桐皇学園にいる」

「そうっすね——?」

「——ま、桐皇のことが知りたきゃ黒子に聞け。青峰もそうだが、桐皇にはキセキのマネージャーもいるだろ」

火神と花宮はその休憩時間を共に過ごして、終わると二人で練習に戻った。合宿の話は、その翌日にカントクの口から発表された。夏休みの最初と最後に二回やると。一年生は驚いた。火神も一緒に驚いた。一回きりの想定だった。ただし大いに納得できた。予算が問題視されるわけだった。


「前に渡した練習日のどこかが合宿に変わる予定よ。まだ調整できるから、相談にくるなら早めにね。あとは、そうね、お盆の時期にはかぶせないわ。安心してて」


土曜日までには、合宿の日程は決まらなかった。決定は月曜日になるだろうと言われた。カレーライスは昼食になった。小腹がすくころ、空の調理室に、制服とエプロンのバスケ部が入った。部員の他は、部屋の隅に顧問がひとり。そこで生徒の調理を見守る役だ。カレーライスは一年生がつくったものを食べたいと、先生は自ら主張した。二年生のものは昨年に食べたから、と言っていた。

だからというわけでもないが、生徒は学年で分かれ、さらに二年生は二班に分かれた。花宮はカントクと主将と伊月と一緒だ。事情を知る火神は、つまりあの中に料理の苦手な先輩が、と目で追ってしまったけれど、すぐに自分たちのことで忙しくなった。花宮の言ったとおりである。一年の四人は、まず火神を頼りにきた。班分けも理由の一つだろう。とはいえ特別に注意が必要な者がいるでもなく。

バスケ部は無事にカレーづくりを終えた。火神の素直な感想だ。小さな問題も起きなかった。カレーライスはうまかった。先輩たちもカレーライスをおいしそうに食べていた。その後の片づけまで含めても怪我人ひとり出ていない。先日の花宮はやはり大げさだったのだ。強いて挙げるとするならば、黒子の影が台所でまで薄かったので、ひやりとした。それくらいだ。顧問が、おいしかったですと、火神にほほ笑んだ。

「去年は花宮先輩のを食ったんですか」

「まさか。去年は水戸部くんたちにもらいました」

何が「まさか」だろうと火神は首をかしげたけれど、その答えは聞けなかった。