夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」

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誠凛高校バスケ部にはかつて二十七人と一匹がいた。カントクが一人、選手が二十六人、犬が一匹。二十七人と一匹。

もちろん瀬戸健太郎のことではない。今日も一週間ぶりに顔を出すなり「瀬戸さん今週もいらしたんですね」と他人行儀に扱われた瀬戸は、それもそのはず他校生である。毎週毎週、来るたび来るたび、違う制服とすれ違い、異物を見る目で振り向かれる。愛校精神など考えたこともなかったけれど、ここにかよい続けていると、制服を懐かしむことにもなる。

とはいえ今日も制服を隠さず身につけ、瀬戸は堂々と他校の体育館に座り込んだ。数秒遅れて、瀬戸の正面で犬がほえた。テツヤ二号である。が、瀬戸はこの犬の名前を覚えていなかった。いや覚えなかった。犬に会うためにわざわざかよっているわけではないのだ。だから、いくら聞かされても聞く耳を持たない。困ったことはない。ただし二号はしっかり瀬戸を覚え、瀬戸が来るたび彼の胡坐に乗り込んだ。

他校生がここに座り込む条件の一つである。

それから、

「瀬戸さん」

一年生。手にアイマスクとヘッドホン。瀬戸は黙ってそれらを受け取り、それぞれ目と耳に当ててしまう。もたつくと足の間の犬がキャンキャン鳴いてうるさいのだ。ヘッドホンは有線で瀬戸の所持品に接続。たちまち音が流れ込んできて、体育館の喧噪が遠ざかっていく。やがては安らかな眠りに包まれ——。

「あの人もう寝たぞ」

「何しに来てるんだ?」

——べつに、寝に来たわけでもないのである。しかし耳にヘッドホン、目にアイマスク、足の間に小型犬。この犬が一番厄介で、瀬戸が拘束を逃れる素振りでも見せようものなら、キャンキャン鳴いてうるさいのなんの。瀬戸は警戒されているのだ。当然といえば当然に。瀬戸はただの他校生ではない。霧崎第一高校はまがりなりにも強豪バスケ部を抱えている。どれくらい強豪かって、冬の大会の予選決勝で誠凛高校と当たったくらい。

その試合がきっかけだった。

十二月のいつか、移動教室で廊下に出たら、前のやつらが横に広がりちんたらちんたら歩いていた。ながら歩きというやつだった。遅刻は恐れることでもないが、邪魔なものは邪魔なのだ。かといって面倒ごとは御免被りたい。事実を伝える程度が無難かと近づいた、そのときだ。歩きながらの続きがわかった。携帯端末で動画を視聴していたのだ。男子四人で横に広がって? ——それは疑問にもならなかった。四人組がバスケ部だったから、ではなくて。

瀬戸はその瞬間から肩を小突かれる直前までのできごとを、まったく何も覚えていない。というか。気づいたら別のクラスの教室にいた。四人組は二人組に。彼らの試合映像はすでに再生終了。授業の用意を始めている。瀬戸は若干の注目を集め、教室前方の戸が開き、ふと手に持った道具を見下ろす。次の授業は化学らしい。鐘の鳴る音に背を向け、瀬戸は歩いて教室を出た。バスケ部のクラスを頭に刻みつけて。

その日それから瀬戸は一度も寝なかった。授業中も、休憩中も。バスケ部の試合が繰り返し繰り返し脳裏に再生されるのだ。ウィンターカップ予選決勝最終日、対誠凛戦。有り体に言ってひどい試合だった。ティップオフ早々、繰り出されるラフプレー。間抜けな審判。負傷するどころか逆にファウルをもらう誠凛高校。度重なる選手交代。得点はわずかに自校が優勢。インターバル。挟んで尚もラフプレーは続く。しかし花宮真が、指を鳴らした。

「おはよう、瀬戸くん」

瀬戸はゆっくり覚醒する。

「あー、もう休憩?」

「外しなよ、それ」

聞きながら、とっくに瀬戸は外していた。まぶしい視界に、入り込んだ花宮の影。足元が急に軽くなる。小型犬が降りたのだ。それを、どうやら花宮が抱えた。持ち上げ、診察するように体を見ていく。

「ひっでーな。俺のこと何だと思ってんの?」

「君はうちの部員じゃないから」

「俺に動物虐待の趣味はないよ」

「そうだろうね」

花宮は素っ気なく、犬の診察と解放を優先する。いやまあ瀬戸も気にしてはいないが。何せ初日からして「犬を殺したいと思う前に遠慮なく申し出て」だ。犬を傷つける許可ではない。警告である。体育館を追い出すぞという。そのときも瀬戸は否定したが、そのときも花宮はうなずかなかった。「君はうちの部員じゃないから」

さて犬を放すと花宮は、

「それで瀬戸くん——」

「おまえとゲームメイクの話がしたい」

「——バスケ部でもないのに?」

「花宮の頭脳に興味がある」

「だってさ、カントク!」

ステージに向かって呼びかけた。

「ダメに決まってるでしょうが!」

即座に女子生徒の声が返る。

「だってさ、瀬戸くん」

何度来ても同じだよ。花宮は再び瀬戸を見た。瀬戸は今日も食い下がらなかった。やがて違う三年生が来る。

「あっ瀬戸くん今週も来たんだ」

小金井である。人間の名前も大して覚えなかった瀬戸だが、小金井の名前は覚えることになった。

「うちの闇宮がお世話になってます」

こういうわけだ。毎週どんな話をするか、瀬戸はまったく覚えていない。小金井との会話は、生産的ではない。こいつは花宮とは違う。

花宮はこいつらとは違う。

あの試合で花宮が何をしたか。何をしていたか。絶対に小金井にはわからないだろう。自校のバスケ部の人間も、実際のところは何もわかっていなかった。おまえらの監督がかわいく見えてくる。瀬戸がそれを説明したとき、バスケ部の連中には鼻で笑われた。

霧崎第一高校バスケ部監督は諸々の罪で逮捕、解雇されている。生徒への体罰、違法薬物の所持、後ろ暗い連中との交際、エトセトラ。やっぱり瀬戸は関心がなかった。ただ学校は大事件として扱って、数度の集会も発生したから、さすがに時期は記憶している。秋の終わり、冬の初め、バスケ部のカレンダーに合わせるならば、ウィンターカップ予選終了直後のことだ。

あの試合の花宮はポイントガードのポジションだった。そして、その役割以上に、緻密に伏線の糸を張り巡らせていた。あたかも蜘蛛が巣を構築するように。花宮はあの監督のやることなすこと、その罪状まで織り込み済みでコートに立っていた。

「瀬戸くんって、やっぱ頭いいんだね」

「うん、いいよ」

何の話をしていたのだったか、アッと言って小金井がいなくなった。休憩が終わったらしい。小型犬が戻ってくる。キャンキャン鳴かれる前に、ヘッドホンを耳に当て、アイマスクを下ろす。犬は乗り込んでこなかった。

いつまでたっても。

重量を感じられないことの違和感で、瀬戸はアイマスクを再び上げる。犬は体育館を出て行ってしまった。小型犬は戻ってこない。かわりにキャンキャン鳴く声が聞こえる。ふと静かなコートを見ると、誠凛生の視線が突き刺さった。ここは無罪を訴えるべきか。とりあえずヘッドホンも下ろし、立ち上がっておく。ゆっくり両手の平も見せると、見事な無抵抗宣言。あとは、あちらが銃を向けてきて、ゆっくり地面に伏せなさいなどと言ってくれれば完璧だが。

小型犬は戻ってきた。当然だけれども五体満足で。二年か一年が犬に駆け寄る。

「二号、何があったんですか」

犬はワンともキャンともほえない。かわりに、

「あっ、ワンちゃん!」

見知らぬ女子生徒が駆け込んできた。当然だけれども誠凛生で、十中八九、泣いていた。彼女は瞬間的に状況を把握し、泣きはらした顔を慌てて隠す。呆然となるバスケ部の中から、しかし一人が彼女を呼んだ。その声に、彼女は肩を震わせた。

尋常ならざる事態である。瀬戸は気づかれる前にと場所を移した。気づかれなかった。女子生徒が嗚咽を漏らす。先の部員が走って彼女の前に立つ。

「えっ、あの、何かあった?」

女子生徒は一段と大きな嗚咽で答える。

「体育館は今、男バスが使ってて」

大きく首を縦に振って返事。

「お、俺に用事——ってこと?」

再度、首が縦に振られる。

「降旗、だけど」

「わ、わっ、わかって、る」

「もしかして、あいつと喧嘩にでもなった?」

女子生徒は再び黙りこくった。ただ大きくしゃくり上げる。いや。

「ち、ちが、ううぅうぅうううううぅ。ふ、ふり、はたくん。違うの。違う。違うの。あのね。降旗くん。あのね、あの、ひと、——死んだって」

おっと。これは急展開。

練習再開は遅れに遅れた。そのことをとやかく言う者は、このバスケ部にはいなかった。

「う——、だって、風邪で休みって」

降旗は体育館を出て行った。誠凛の監督はとがめなかった。彼女自身、女子生徒に付き添って外に出た。

瀬戸の元には花宮が来た。花宮が来て「瀬戸」と呼ばれた。瀬戸は思わず瞬いた。「瀬戸くん」ではなかったから。

「——わかってる。今日は帰るよ」

「『今日は』じゃない」

花宮は言った。

「二度と来るな」


かくして瀬戸は体育館を追い出された。走り去ったバスケ部員、泣きじゃくる女子生徒、それらと同じ出口を通った。他校の敷地を悠々と歩いた。校門の向こう、さらに横断歩道の向こう側に「交通事故がありました」の看板。

「なに最後にノスタルジー出してんの」

「言うほどノスタルジーあったか?」

「いや何か言い忘れたと思って」

「事故の看板に?」

茶化された。瀬戸は返事をしなかった。この場で特に重要視されるような問題ではない。案の定、連中は早々に興味を失って、退屈げに本題に戻っていく。そして責めるような視線を瀬戸に向けた。

「だって、そうでしょ。なんにも収穫がないってことじゃん?」

「当然。誠凛の監督はバカじゃない。気づいてたよ」

ハァ。連中はため息をついた。何を今さら。瀬戸は無視した。人選からして無理があったのだ。口で何を取り繕っても、瀬戸の身長は百九十センチ。これで青瓢箪ならよかったが、残念ながら火神と大差ない体形である。つまり。

「じゃあ火神が——」

火神を失った誠凛でも、霧崎第一には勝てるだろうね」

「——かぶせんなって」

まあこの場で最低身長を見たところで、百八十前後の正センターが出てくるわけだが。そのセンターは不満ぶってこう言った。

「せっかく体罰我慢したってのに」

「まったくだ」

バスケ部レギュラーその二が続いた。

「またやるか?」

「暴力監督探し?」

「いやラフプレー」

瀬戸は何も言わなかったのに、注目は瀬戸に集まった。瀬戸は感慨なく告げた。

「通用しない」

「IQ160はどうした、IQ160は」

関係ないね。とは返事をしない。知能指数の何たるかも、もう説明などしてやらない。バカにつける薬はない。

結論は夏とほとんど同じまま。誠凛に勝つためには無冠かキセキが必要だ。バスケという競技には才能が必要で、誠凛は火神を失ったところで相変わらずそれほどのチームである。そこに頭脳で立ち向かおうったって、べつに悪くない着眼点だが、それには最低でももうひとり瀬戸が必要だった。

「瀬戸ちゃん今から双子になーれ」

「無理、いない、諦めて」