糸冬いずく
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
冠は余らない
2022-09-02T19:00:00+09:00
<h1>卒業式</h1>
<p>目を開けた。布団を脱いだ。朝日が部屋に差し込んでいた。食卓にはいつもの朝食が並んでいた。家族が外を見て喜んでいた。黒子は決まりきって両手を合わせ、何ともなしに顔を上げた。両目に写真が飛び込んできた。黒子は言葉も食事ものみ込んだ。家族も何も言わなかった。だって、あれは親戚が集まった時の写真で、今日は先輩の卒業式だ。</p>
<p>黒子は家を出る前に携帯端末を拾い上げ、荷物に含めた。直後、振動を感じたけれど、そのまま靴を履いて、家を出た。少し道路を歩いただけで卒業生に遭遇した。</p>
<p>「花宮先輩」</p>
<p>朝がかぶることも、よくあった。</p>
<p>「おまえ、いるならいるって言え」</p>
<p>この一、二週間は行きも帰りもご無沙汰だったが。</p>
<p>「<em>もうひとり</em>なら殺してましたか」</p>
<p>よりにもよって今朝かぶるなんて。</p>
<p>「ふうん」</p>
<p>卒業生が歩みを緩めた。</p>
<p>「今吉さんと電話でもした?」</p>
<p>黒子は無言で横に並んだ。</p>
<p>「聞かされたな。三年三組のミサキの話」</p>
<p>黒子はまだ覚えていた。</p>
<p>「先輩とはまるで真逆の人だったと」</p>
<p>今吉が話していた。ミサキはなんでもできて人気者だった。比べると花宮は不気味で根暗で陰気で、どこにいても独りで、そして、</p>
<p>「<em>いないもの</em>だったんですね」</p>
<p>ミサキを失った三年三組は、ミサキに挨拶をして、名前を呼んで、話しかけ、話しかけられた。ミサキを<em>いるもの</em>として扱った。現象で増えるもうひとり——死者——はいわば彼らの一年の具現化である。だからある年の「いないもの」は挨拶をされない、名前を呼ばれない、話しかけられない、話しかけない。</p>
<p>「いいもんだぜ。遅刻しても早退しても、登校しなくても皆勤賞。模試は免除、行事も免除、むしろいなければいないほうがいい。無視されることはストレスだが、無視することもストレスだ。失敗した年の半分は、いないものの扱いに失敗してる」</p>
<p>しかし花宮の年は成功した。今吉の言うには、そういう人選だったらしいが。本人の性格、校内での立ち位置、家庭の状況。友人が多い人間は向いていない。急な単独行動が不自然に映るから。部活のエースも向いていない。単純にチームが困るから。学年一位も向いていない。かといって最下位には教員の支援が欠かせない。校内には兄弟がいるべきではない。家族が熱心だと都合が悪い。消去法だ。——ワシの知っとる花宮は勉強も運動も平凡な成績やった。</p>
<p>「先輩が<em>二号を嫌っている</em>のも三年三組が理由ですか」</p>
<p>「おまえが考えてるのとはたぶん違うぞ」</p>
<p>花宮は黒子を見ずに答えた。</p>
<p>「三組に転校生が来た年がある。なんでって思うだろ。学校としても入れたかなかったろうが、三組にだけ入れない判断もできなかったって話だ。——まあ問題が起きた。ある年かない年かわからなかった。いないものの説明ができなかった」</p>
<p>「『誰それがいないものの役を担っている』と説明することで、その人をいるものとして扱ったことになりうる——?」</p>
<p>結局、当時の三組は転校生に事情の一切を伝えなかった。うまくいけば、いないもののことは幽霊だとして通してしまえる。が、諸事情により転校生は幽霊でないことを確信しており、折に触れて話しかけ、名前を呼んだ。その月のうちに生徒が死んだ。実は転校生のせいではなかったのだけれど、それはまた別の話。いろいろ特別な年だったのだ。</p>
<p>「だから、途中で部員の数が増えるから」</p>
<p>「そういう苦手意識は俺の中にもあったらしい」</p>
<p>黒子は花宮の顔を見た。</p>
<p>——ある年の三年三組は、新学期の朝、教室の席が足りないらしいで。</p>
<p>今吉の声が脳裏によみがえる。</p>
<p>「おまえマジで全部聞かされたんだな。悪趣味。からかわれてるって思わなかった?」</p>
<p>黒子は口をつぐんだ。</p>
<p>「俺はべつに平気だぜ。元からこういう性格だし、俺らの年はうまくいった。先輩みたいに目の前で死なれたこともない。何よりここは夜見山じゃない」</p>
<p>三年三組の経験則。たとえ三組の関係者だとしても、夜見山の外にいれば現象では死なない。</p>
<p>「だからこそ恐ろしくはありませんか」</p>
<p>ところで、黒子が入部してすぐのゴールデンウィーク明け、降旗が練習に来なかった。後から忌引きだったと聞いた。冬の大会が始まる前には学校の前で交通事故が起きた。部員のクラスメイトだった。大会が終わったら病気がちだったクラスメイトが亡くなった。——祖父母は二月に亡くなった。子供と孫に会いに来る途中で。</p>
<p>「コガの家は四月だったな。六月の水戸部も忌引きだった。七月は土田、八月は相田、九月は日向。十一月にまた水戸部。伊月の家も年明けだったっけ」</p>
<p>三月には木吉の祖父が亡くなった。黒子は胸中で付け足して、</p>
<p>「今年も毎月、誠凛の<em>関係者</em>が亡くなっています」</p>
<p>「忘れちゃいねーよ。秋には降旗の友達が死んでる。覚えてる。——だが、偶然だよ」</p>
<p>花宮も黒子を見た。僅かだけ。</p>
<p>「夜見北というか夜見山って土地が、そもそもよくないんじゃねえかって説がある」</p>
<p>「<em>黄泉</em>だから、ですか」</p>
<p>「そういうこと。誠凛はそんな場所じゃないだろ」</p>
<p>「でも——」</p>
<p>黒子は反射的に口を開いたが、続く言葉は失われていた。</p>
<p>「俺らは木吉を<em>いるもの</em>として扱ったことはない」</p>
<hr>
<p>バスケ部の部室には一つ、不自然に使われていないロッカーがある。先輩のロッカーの並びに一つ。一年の夏、青峰に負けた直後だったか、誰かが気づいて教えてもらった。誠凛高校バスケ部を創った人間、木吉鉄平のことをである。</p>
<p>一年前、一年生だけの学校でバスケ部を創るために奔走したこと、日向の勧誘に多少の時間をかけたこと、屋上で全国進出を宣誓したこと、花宮が木吉に誘われたこと、最後に土田が入ったこと。夏の予選の快進撃。木吉が膝を壊して、そして、子供を助けて溺死した。</p>
<p>戦線離脱を余儀なくされた木吉は、入院したり通院したりと膝の回復に専念していた。亡くなったときも、病院の帰りだったらしい。その日は夏特有の豪雨だった。——足を滑らせて川に引き込まれた。死を覚悟した。だが、誰かに助けてもらった。それが、その子供の証言だ。</p>
<hr>
<p>黒子はまだ覚えていた。</p>
<p>先輩方はいつも、いつでも、このチームでのプレーが最後である可能性を覚悟していた。三年生の有無は関係ない。知っていたのだ。経験していたのだ。木吉と二度とプレーできなくなった、あの夏に。いつも、いつでも、優勝してもできなくても先輩方は悔やんでいた。どうして忘れていたのだろう。黒子も立ったコートの上に、いつも木吉はいなかった。木吉はもう生きていない。だって木吉は亡くなっている。</p>
<p>「いいか黒子、今吉さんの話は忘れろ。あれは人の混乱を楽しんでるだけだ。写真を見てみろ。部室にあるだろ、ウィンターカップで優勝したときの、十三人と一匹で写ったやつが——」</p>
<p>黒子はまだ覚えていた。</p>
<p>木吉の顔を覚えていた。はっきり思い出すことができた。先輩方が写真を見せてくれたのだ。創部当時の集合写真を。そこには、まだ黒子と出会う前の、一年生だった頃の先輩方が写っていた。その中でひとりだけ、わからなかった。後で思い出したんだっけ。中学バスケの有名選手、無冠の四将、鉄心の木吉。</p>
<p>いつしか地面の水たまりを数えていた。</p>
<p>謝らないと。思考することができたときには、学校に着いていた。</p>
<p>「またな、黒子」</p>
<p>花宮が涼しい顔で黒子を見る。校舎に背を向け、足元に水たまりが見えて、あたりまえに桜の木は薄ら寒い。</p>
<p>「ご卒業おめでとうございます」</p>
<p>伝えた黒子に、先輩は「ありがとう」と口元を緩める。「二年前の俺に伝えてくれよ」</p>
<hr>
<p>「殺した、って」</p>
<hr>
<p>教室を目指す廊下の途中でクラスメイトとすれ違った。人手を探していたので名乗り出たが、案の定、驚かれた。「いるならいるって言ってよ」って、先輩にも言われたけれど難しい話だ。</p>
<p>「それで、僕でよければ力になりますが」</p>
<p>「うん、全然お願いしたい!」</p>
<p>椅子が余ってしまったのだと、クラスメイトは困り顔だ。大急ぎで卒業生の席を数えなおしているらしい。黒子は二つ返事で承諾して、その場で行先を変更する。何か忘れているような気もしたが、体育館に着く頃には気にすることもなくなっていた。</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
卒業式 – ある年(三) – 冠は余らない – 二次創作
2022-09-02T19:00:00+09:00
<h1>冬</h1>
<p>火神くん、お久しぶりです。年始のあいさつ以来ですね。アメリカでの生活はどうですか。日本はみんな元気です。バスケ部はすっかり変わりましたが、部活は毎日楽しいです。いい変化にしていきたいです。それから、今日で二月が終わるそうです。ボクには少し信じられません。東京はまだ冬の寒さです。四日前には雪も積もりました。今夜は雨です。桜は咲く気配もありません。でも明日は三月一日です。先輩方が卒業します。</p>
<hr>
<p>———雨が降っていたから傘を差した。</p>
<hr>
<p>黒子は椅子に座ったまま、キャスターを使って後ろに下がった。両手の携帯端末は送信前の文章を表示している。雨の音を聞きながら、すばやくメッセージを推敲する。文字を減らしたり、増やしたり。誰もが送りかねない文面だったが、大枠は変えないでおく。「ボクはまだ<ruby>六人目<rt>シックスマン</rt></ruby>ですよ」とも付け足さない。もちろん最後の二文も消さない。べつに、火神は忘れていないだろう。きっと送信もするだろう。先輩方に「卒業おめでとうございます」って、アメリカから。</p>
<p>相棒の火神は渡米した。夏の終わりのことである。アメリカのとある学校が、日本の高校バスケを見て、火神に目をつけたらしい。</p>
<p>昨夏はたいへん忙しなく過ぎた。火神の渡米ばかりではない。インターハイに出場した。アメリカのチームとも試合をした。ストリート最強と名高いチームが来日したのだ。いろいろあって、黒子は彼らと戦った。キセキの世代が再集結して、そこに火神も加わって。——火神の渡米は一番最後だ。</p>
<p>火神がいなくなってもバスケ部は続く。夏が過ぎたら秋、秋が過ぎたら冬。新人戦もあった。ウィンターカップもあった。思い返すうちにメッセージが完成する。結局、新たに書くことはなかった。新人戦もウィンターカップも、火神にはそのときに結果を伝えた。新しい主将、新しい監督、新しいチーム。誠凛高校バスケ部は十八人と一匹になった。</p>
<p>黒子は一度だけ顔を上げると、躊躇なく送信ボタンを押す。そして同時に二つの事象に襲われた。まず窓の外が白く光って、次に端末が着信を知らせた。知らない電話番号だった。少し遅れて雷鳴がとどろく。</p>
<hr>
<p>———水の飛び散った音はするけれど、世界はザアザアうるさいから、どれがどれだかわからなかった。</p>
<hr>
<p>雨脚が激しくなっていた。電話に出たら関西弁が聞こえてきた。「もしもし黒子くん、今吉やけど」って。</p>
<p>「花宮と家が近いんやってな」</p>
<p>都内の大学生、今吉翔一、花宮先輩の先輩である。付け加えると、黒子の友人の先輩で、対戦経験もあるバスケットプレーヤー。だから、どうして僕の番号を、とは大して疑問に思わなかった。大方、高校の後輩——青峰——にでも聞いたのだろう。桃井は承諾を取ってくれそうだし、中学の後輩——花宮——はそもそも取り合わないような気がするし。今吉も三言目にあっさり明かした。桃井が<em>収集</em>したライバル校のデータの中に、花宮と黒子の些末な関係が含まれていたこと。電話番号は青峰から、急ぎの用事だと言って聞き出したこと。</p>
<p>そう。黒子の疑問はそこなのだ。誰がどうして、ではなくて、どうして僕が、今夜いきなり。たしかに黒子は「花宮と家が近い」が、互いの部屋の照明の様子がわかるような距離でも位置関係でもない。ましてや今夜は雷雨なのだ。一番想像しやすい用件に関しては、あいにく力になれそうもない。だから理由がわからない。</p>
<p>「もちろんワシも、祝卒業なんかの言伝を頼みたいわけやない」</p>
<p>今吉も言った。</p>
<p>「今、おとんおかんは一緒か?」</p>
<p>「いえ」</p>
<p>「じいさんばあさんは?」</p>
<p>「それは、僕ではなく——」</p>
<p>そこで言葉は遮られた。地面を揺らすような音が、窓の外から、電話の向こうから。</p>
<p>「落ちたな」</p>
<p>「落ちましたね」</p>
<p>続け様にまた一閃。黒子は思わずカーテンに触れ、外を見る。嵐のような天候である。天気予報が明日は晴れると言っていたけれど、はいそうですかと信じられない空模様だ。とはいえ、これも黒子にはどうもできない問題だ。てるてる坊主を作ってもよいが、今は電話の途中である。気を取り直して、直前の問いに答えるとする。</p>
<p>「祖父母のことですが、うちは四人ともいないので」</p>
<p>僕は一人で部屋にいます、と。</p>
<p>今吉は声を多少低くして黒子に謝罪の言葉を向けた。黒子は首を横に振って、気にしていないと口で伝える。最初に今吉の意図をくみ取れなかった問題があり、また実際に最後に祖母が亡くなってからもう一年以上も経過している。だからよいというものでもないだろうと、今吉は尚も言ってくれたが、黒子も本当に大丈夫なので。</p>
<p>「ただ、みんなと——部員と——一緒にいるときには、あまり言わないでほしいですが」</p>
<p>「ワシもそこまで悪趣味やない」</p>
<p>「すみません」</p>
<p>黒子が謝罪すると、言い切るか言い切らないかのところで、また雷が落ち、どちらからともなく口を閉じる。その間に黒子の元には父が訪れ、互いに姿を認めると引き返していく。今吉は黙っていた。通話相手の状況を察してくれたのかもしれない。責任を取って黒子から会話を再開する。</p>
<p>「今吉さんはお一人なんですか?」</p>
<p>今吉はうなずいた。</p>
<p>「寮からかけてる。一人部屋や」</p>
<p>「先ほどから人数を聞かれるということは、人がいる所では話しづらい内容なのでしょうか」</p>
<p>「あー、んん、せやな。それもある」</p>
<p>今吉の答えは曖昧だ。しかしようやく本題に入った。</p>
<p>「黒子——自分、怖い話はいける口か?」</p>
<hr>
<p>———バケツをひっくり返したような雨だった。</p>
<hr>
<p><em>はい</em>か<em>いいえ</em>なら「はい」である。本意はともかく黒子は脅かす側でもある。何しろ影が薄いので。部で「怖い話」になった後、半分は黒子の<em>出現</em>におびえた。なかでも「いいえ」と即答するような面々の反応はおもしろく、伊月に依頼されて日向主将に話しかけたこともしばしば。伊月は「はい」で日向は「いいえ」だ。肝心の黒子は、</p>
<p>「小説ならわりと」</p>
<p>ちょうど最近、学校図書館でラヴクラフトを借りて完読した。</p>
<p>「黒子は文学少年やったな」</p>
<p>今吉は思い出したような口ぶりで返事をする。桃井に聞いたことがあったのだろう。それがどうしたと黒子の疑問符は増えたけれど。</p>
<p>「そんな顔せんといてや」</p>
<p>顔も見ていないのに今吉はこのように続けた。</p>
<p>「ワシらの中学の——花宮の中学時代の話、聞いたことあるか?」</p>
<p>「まあ、はい。一昨年の夏、初めて桐皇学園と試合をする前に、あなたのプレースタイルについて——駆け引きが得意だと伺いました」</p>
<p>黒子はオブラートに包んで答えた。</p>
<p>「妖怪やサトリやって?」</p>
<p>「——花宮先輩はあまり自分のことを話さない人ですから、試合がなければ何も知らないままだったとも思います。花宮先輩でなくとも特段、中学の話題にはなりませんし」</p>
<p>何より黒子が中学の話を避けていた。バスケ部で黒子が中学のことを話すとなると、どうしてもキセキの世代に触れることになる。半年前こそ再集結してアメリカのチームと試合もしたようなキセキの世代だが、一年の間、ウィンターカップ以前ならどうだっただろう。中学校生活は楽しかった。キセキの世代とのバスケは楽しかった。しかし幕引きは、ひどく苦々しいものだった。</p>
<p>ある時を境にと明白に区切れることではないが、きっかけは二年目の全中だった。主将の交代、チームメイトの追放、全中の圧勝、監督の病気、監督の交代、才能の開花。チームはぎくしゃくとしていって、最後の全中では、まるで攻め守るゴールが一緒というだけの五人の選手がコートに立っているようだった。やがて五人の天才は、そして黒子は、雌雄を決するべく異なる高校に進学した。</p>
<p>というのが、昨年度、誠凛がウィンターカップで優勝をつかみ取るまでの話。いろいろあったが、今ではすっかり健全に友人かつライバルである。閑話休題。</p>
<p>「花宮先輩は『いける口』ではありましたね。何冊かは先輩のおすすめで読みましたし、僕は映画は全然ですが、先輩は映画にも詳しかったです」</p>
<p>これは口には出さないけれど、花宮がいると雰囲気も出た。今吉はうなずいた。</p>
<p>「中学の頃から不気味なやつやった」</p>
<p>黒子は弁明しなかった。すると今吉は、根暗だの陰気だのと後輩について言葉をつなげる。黒子は同意もしなかったが。</p>
<p>「最初から最後まであいつは一人やった。独りになりたがってた。まあいろいろ言われることもあってな。<em>ミサキ</em>とは真逆の人間やーって」</p>
<p>今吉が知らない名前を出した。二人の共通の知人だろうと、黒子は聞き流そうとした。ところが今吉はこのように続けた。</p>
<p>「その様子やと、ミサキのことは知らんようやな」</p>
<p>質問というより確認だった。今吉は黒子の返事を待たず、次に「学校の七不思議」と口にする。「学校の怪談」と。</p>
<p>「まだ誠凛にはないか」</p>
<p>「そうですね」</p>
<p>黒子は努めて反応を抑えた。</p>
<p>「帝光の話は桃井がしよったな、<em>誠凛にはまだないやろうけど</em>、桐皇にはもうある。ワシらの中学——夜見北——にもあった。有名な話が一つ」</p>
<p>「それがミサキさんですか」</p>
<p>「せや。三年三組の人間は毎月、誰かしら死ぬっちゅう話や」</p>
<hr>
<p>———土砂降りが体をザアザア流していく。</p>
<hr>
<p>何かあったんですか。一般的な七不思議ではありませんよね。どうして三年三組なんですか。毎月、人が死ぬんですか。どうして毎月なんですか。何か、あったんですか。</p>
<p>想像と違ったから、突飛な話だったから、先輩の母校の話だから、先輩の先輩の言葉だから、瞬時に疑問が渦を巻いても、同じだけの速度で返事をすることはできなかった。結局、最初の一つを尋ねた。今吉は「昔々」と返事をした。直後、雷鳴がまた一つとどろいた。</p>
<p>昔々、何百年ではなく何十年か前、夜見北中——夜見山北中学——にはミサキという男子生徒がいた。勉強ができて運動もできて人間もできていて顔もできていて、いつもクラスの中心にいて、一年の頃から学校中の人気者だった。そんなミサキが三年生に上がった五月、とある火事で亡くなってしまう。家が全焼したのである。ミサキも含めて一家四人、全員の焼死体が焼け跡から見つかった。ところが同級生たちは人気者の突然の訃報を受け入れなかった。</p>
<p>「受け入れなかった?」</p>
<p>黒子はそこが要点だと直感した。今吉は答えた。</p>
<p>「たとえば花瓶、亡うなったクラスメイトの席に置いたやろ、あれを降ろした」</p>
<p>朝はミサキにも挨拶をして、点呼のときにはミサキも呼び、配布物はミサキの席にまで回す。だってミサキはここにいる、ミサキはまだ生きている、ミサキは死んでなどいない。クラスの誰かが言い出した。同級生は次々と追従した。学校側も理解を示した。そうして一年間、同級生を中心に、ミサキが死ななかったことにした。</p>
<p>「——ミサキを<em>おる者</em>として扱った」</p>
<p>聞いた限りでは<em>よい話</em>だが、いかんせんこの話は「怖い話」の文脈の上にある。ので、</p>
<p>「卒業写真が心霊写真になったそうや」</p>
<p><em>いない</em>はずのミサキの姿が集合写真に写っていたのだという。</p>
<p>ここまできたら、もはや明白な事実だったが、ミサキのクラスは三年三組だったらしい。</p>
<p>「三年三組の夜見山<ruby>岬<rt>ミサキ</rt></ruby>。探せば名簿に名前が載ってる」</p>
<p>「心霊写真もあるんですか?」</p>
<p>今吉は電話の向こうで首を横に振った。名簿は学校に保管されていた。名簿を探したときに、一緒に心霊写真も探したが、こちらは失われていた。心霊写真を見せてくれるような当事者に伝手があるわけでもなかった。<em>心霊写真を見せてもらえるような動機</em>もありはしなかった。だから今吉は心霊写真を確認できていない。</p>
<p>「自分が黒子でよかったわ」</p>
<p>黒子は首をかしげた。無論、今吉には見えやしない。しかし今吉は答えるかのように言葉を続けた。</p>
<p>「ワシの話、信じたか?」</p>
<p>黒子は、まさかとは言わなかった。信じたとも言えなかったが。今吉は満足げにうなずいた。</p>
<p>まあ、だって、頭ごなしに否定するようなことではない。黒子にとっては。</p>
<p>件の「心霊写真」自体は、現像に失敗した部分があったとか、写りの悪い部分があったとか、光の加減でどう見えたとか、元をたどればそのような事実があるのかもしれない。一方で、偶然にしろ必然にしろ、事実も積み重なれば理由を気にする向きは出てくる。ましてや当時の三組は容易に心霊現象を信じただろう。彼らはともすれば幽霊と学校生活を送っていたのだ。そして、そういうことがあったから後の生徒たちも「三年三組」を理由にする。たとえば三年三組で<em>不幸</em>が多発したときに。</p>
<p>「——一番有名なのは心霊写真や。三年の初めに亡うなったミサキが集合写真に写ってた。時々<em>原因</em>を知ってるやつがおる。ミサキを<em>おる者</em>として扱ってたっちゅう部分や。けど、その次の年に起きたことを知ってるのは、毎年、三、四十人」</p>
<p>黒子は人数の多寡を感じるより先に、身近な概念と<em>比較</em>してしまう。</p>
<p>「ミサキが卒業した次の月、新しい三年三組の生徒が死んだ」</p>
<hr>
<p>———飛び散った液体が視界を延々邪魔していく。</p>
<hr>
<p>再び白い光が見えた瞬間、黒子の心臓が僅かに跳ねた。今吉は淡々と数字を重ねた。「まずは四月」</p>
<p>「四月の次は五月、五月の次は六月、六月の次は七月。三月に卒業するまで毎月、三年三組の関係者が死んだ。死因はいろいろやったけど、みんな一年前のことは覚えてる。黒子が考えたとおりや。そら呪いやーって思った。卒業した後は死なんくなったのもデカいやろうな。三年三組やなくなったら、死なんくなる。つまり人間やなくてクラスが呪われてる——」</p>
<p>視界の端に光がよぎる。</p>
<p>「——そういうことが、たびたび起きた」</p>
<p>耳元では今吉の話す声だけがする。</p>
<p>「五月も六月も七月も、進級してから卒業するまで三年三組の関係者が毎月死ぬ。そういう<em>現象</em>が——<em>ある年</em>がある」</p>
<p><em>ない年</em>があった。しかし「ある年」もあった。</p>
<p>「ない年」が多かったことは、これこそ不幸中の幸いだ。だが、ある年に当たってしまったら、関係者が最低でも十二人は死ぬ。共通点は三年三組。やがて学校も無視できなくなり、できるかぎりのことを試した。二組の次を四組にしてみたり、教室を移してみたり、新校舎を建ててみたり。そうして、三年生の三番目の学級が呪われていることが判明した。</p>
<p>「要するに、お手上げや」</p>
<p>三年三組になってしまったら四月いっぱい、関係者が誰も死なないことを祈って過ごさなければならないのだ。</p>
<p>黒子は慎重に言葉を選んだ。</p>
<p>「三年三組の『関係者』にも何か規則があるんですか」</p>
<p>「ホンマに話が早くて助かるわ」</p>
<p>今吉はあっさりうなずいた。「三年三組とその家族や」</p>
<p>「厳密には三年生の三番目のクラスの生徒と担任と、その人らの二親等以内の親族。父母、祖父母、兄弟姉妹。基本的にそういう人間が、夜見山市内におるときに死ぬ。単なる経験則やけど。——この『現象』には<em>ルール</em>がある」</p>
<p>三年三組にも「ルール」がある。</p>
<p>聞かされる前からわかっていた。三、四十人。その人数は、つまりクラス一つ分だ。</p>
<hr>
<p>———額に前髪がはりついて、ぼたぼた雨が垂れていく。</p>
<hr>
<p>強いて言えば手遅れだった。三年三組のことではない。通話相手のことでもない。黒子自身のことである。</p>
<p>今吉は言った。</p>
<p>「二年のとき——花宮が入学してきた年——バスケ部の二年とコーチが死んだ。二人は親子で、三年三組に姉がおって、娘がおった。二親等以内の親族や。五月に起きた<em>事故</em>やった。けど、四月には一人、三組の生徒が一家心中に巻き込まれてた」</p>
<p>ある年だった。バスケ部の二人は、ある年の五月の犠牲者だった。以後も例によって三月まで毎月、誰かしらが死んだ。</p>
<p>年度末のクラス発表は阿鼻叫喚の惨状だった。二年生の次は三年生。三組とはつまり三年三組。おおむね対岸の火事とはいえども、ある年の三年三組と同じ校舎で一年間を過ごせば、さすがに大半が多少なりともいわくを知る。三年三組に選ばれた生徒は生きた心地がしなかっただろう。ある年はない年より少ない。さらに言えば、実は連続したことはめったにない。けれども可能性がないわけではない。</p>
<p>今吉は三年一組だった。そして、その年はない年だった。</p>
<p>「四月の間、クラスの前を通るのも嫌やった三組が、五月、六月、徐々に<em>普通</em>になって、まあ晴れ晴れと卒業しよったもんや。結局ホンマに安心したかったら、卒業式を迎えるしかない」</p>
<p>知らないうちに関係者が死んでいるかもしれない。知らない「親族」がいるかもしれない。場合によっては三親等も死ぬかもしれない。場合によっては市外でも死ぬかもしれない。現状のルールはすべて経験則である。</p>
<p>黒子は夏休みを思い出していた。今吉が誠凛に来た日のことだ。インターハイの後だった。花宮に用事があると言って、二人で妙な応酬をしていた。どちらかといえば、もめていた。しかし花宮は急遽、帰省することを決めた。今でも道理はわからないが、多少のことは察しがついた。花宮は母子家庭の育ちで、父親を知らないという。だから——。</p>
<p>「今吉さん、僕に何の用ですか」</p>
<p>稲妻が光った。今吉は鳴りやんだ後で答えた。</p>
<hr>
<p>———足りないと思った。</p>
<hr>
<p>通話が終わると送信画面が現れて、黒子は直前の操作を思い出した。ボタンを押したつもりだったが、僅差で着信が勝ったらしい。火神へのメッセージはまだ加筆修正が間に合うのだ。考えたときには、一文字目を入力していた。二文字、三文字、指が止まらない。雨の音が聞こえない。降っていないのか、落ち着いたのか。もう雷も鳴らないのか。明日はきっと晴れるのだろう。三月一日、卒業式。先輩方が卒業する。体育館で名前を呼ばれる。先輩の。</p>
<p>名前を入力することができて、黒子は知らず息を吐いた。文字を増やす、そのたびに一々理由を思い出した。思い出せた。そのたびに安心した。最後にそれを疑問符で締める。</p>
<p>大した長さにはならなかった。一文、それも一行以内だ。一目見て返事ができる。——おまえ何言ってんだ?</p>
<p>黒子は書き足した文字を一気に消した。すべて戻した。そして二度と確かめずに送信した。エラーは返ってこなかった。電話もかかってこなかった。まもなく火神から返事がきた。その間、黒子は何もできなくて、読み終えた後は消灯した。布団をかぶった。</p>
<p>目を閉じた。</p>
<hr>
<p>———だから、もう一度、傘を差した。</p>
<hr>
<p>「花宮は三年三組やった。ある年の。そして一人も欠けずに卒業した。</p>
<p>お手上げっちゅうのはホンマのことや。現に今年——今年度——もある年やった。ワシには四つくらい下の妹がおって、いや、生きてるで。三組やけど。妹のクラスも、まだ犠牲者はゼロや。</p>
<p>いつやったか、有効な対策が見つかったんよ。花宮や妹は<em>おまじない</em>やって言うてる。</p>
<p>実は現象には、もうひとつ特徴があって、クラスの人数が増えるんや。過去の犠牲者が生き返って、一年間クラスにおって、生きてるみたいに、死んでへんように、普通に過ごす。記憶や記録は改変、改竄される。本人に<em>死者</em>の自覚はない。みんな卒業してから気づく。『そういえば、もうひとりクラスにおったような——』</p>
<p>いきなり聞かされてもわからんわな。とにかく一年間だけ幽霊が違和感なく紛れ込んで、その分、クラスの人数がひとり増える。</p>
<p>『おまじない』はこのことを逆手に取った。ひとり増えて人が死ぬんなら、ひとり減らしたらどうやろか。</p>
<p><em>おらん者</em>が<em>おる者</em>になってる分、<em>おる者</em>を<em>おらん者</em>として扱おう。</p>
<p>夜見北中は三月末に新しいクラスを発表する。そこで新しい三年三組は密かに集められて、卒業した三組の生徒から引き継ぎを受ける。かつて三組に起きたこと、これから三組に起きるかもしれんこと。何やいろいろ決めるらしいけど、一緒に『おらん者』も決めておく。四月になって、ある年やったらクラス全員で『おらん者』を無視して、ない年やったらやめればええ。</p>
<p>この対策がうまくいった年もあれば、うまくいかんかった年もある。花宮の年はうまくいったっちゅうわけや」</p>
<hr>
<p>———うつ伏せに倒れたから、仰向けになおして差した。</p>
<hr>
<p>「ああ、ある年の三年三組は、新学期の朝、教室の席が足りないらしいで」</p>
<hr>
<p>———もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。</p>
<hr>
<p>「もちろん忘れてへんよ」</p>
<hr>
<p>———差して、差して、差して、差す。</p>
<hr>
<p>「ちゃんと黒子に用があって」</p>
<hr>
<p>———傘を差す。</p>
<hr>
<p>「今夜しか、おまえにしか聞けんことがある」</p>
<hr>
<p>———もう一度。</p>
<hr>
<p>「木吉のことやねん」</p>
<hr>
<p>———傘を刺す。</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
冬 – ある年(三) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-26T19:00:00+09:00
<h1>秋</h1>
<p>誠凛高校バスケ部にはかつて<em>二十七人</em>と一匹がいた。カントクが一人、<em>選手</em>が二十六人、犬が一匹。二十七人と一匹。</p>
<p>もちろん瀬戸健太郎のことではない。今日も一週間ぶりに顔を出すなり「瀬戸さん今週もいらしたんですね」と他人行儀に扱われた瀬戸は、それもそのはず他校生である。毎週毎週、来るたび来るたび、違う制服とすれ違い、異物を見る目で振り向かれる。愛校精神など考えたこともなかったけれど、ここにかよい続けていると、制服を懐かしむことにもなる。</p>
<p>とはいえ今日も制服を隠さず身につけ、瀬戸は堂々と他校の体育館に座り込んだ。数秒遅れて、瀬戸の正面で犬がほえた。テツヤ二号である。が、瀬戸はこの犬の名前を覚えていなかった。いや覚えなかった。犬に会うためにわざわざかよっているわけではないのだ。だから、いくら聞かされても聞く耳を持たない。困ったことはない。ただし二号はしっかり瀬戸を覚え、瀬戸が来るたび彼の胡坐に乗り込んだ。</p>
<p>他校生がここに座り込む条件の一つである。</p>
<p>それから、</p>
<p>「瀬戸さん」</p>
<p>一年生。手にアイマスクとヘッドホン。瀬戸は黙ってそれらを受け取り、それぞれ目と耳に当ててしまう。もたつくと足の間の犬がキャンキャン鳴いてうるさいのだ。ヘッドホンは有線で瀬戸の所持品に接続。たちまち音が流れ込んできて、体育館の喧噪が遠ざかっていく。やがては安らかな眠りに包まれ——。</p>
<p>「あの人もう寝たぞ」</p>
<p>「何しに来てるんだ?」</p>
<p>——べつに、寝に来たわけでもないのである。しかし耳にヘッドホン、目にアイマスク、足の間に小型犬。この犬が一番厄介で、瀬戸が拘束を逃れる素振りでも見せようものなら、キャンキャン鳴いてうるさいのなんの。瀬戸は警戒されているのだ。当然といえば当然に。瀬戸はただの他校生ではない。<em>霧崎第一高校</em>はまがりなりにも強豪バスケ部を抱えている。どれくらい強豪かって、冬の大会の予選決勝で誠凛高校と当たったくらい。</p>
<p>その試合がきっかけだった。</p>
<p>十二月のいつか、移動教室で廊下に出たら、前のやつらが横に広がりちんたらちんたら歩いていた。ながら歩きというやつだった。遅刻は恐れることでもないが、邪魔なものは邪魔なのだ。かといって面倒ごとは御免被りたい。事実を伝える程度が無難かと近づいた、そのときだ。<em>歩きながら</em>の続きがわかった。携帯端末で動画を視聴していたのだ。男子四人で横に広がって? ——それは疑問にもならなかった。四人組がバスケ部だったから、ではなくて。</p>
<p>瀬戸はその瞬間から肩を小突かれる直前までのできごとを、まったく何も覚えていない。というか。気づいたら別のクラスの教室にいた。四人組は二人組に。<em>彼らの試合映像</em>はすでに再生終了。授業の用意を始めている。瀬戸は若干の注目を集め、教室前方の戸が開き、ふと手に持った道具を見下ろす。次の授業は化学らしい。鐘の鳴る音に背を向け、瀬戸は歩いて教室を出た。バスケ部のクラスを頭に刻みつけて。</p>
<p>その日それから瀬戸は一度も寝なかった。授業中も、休憩中も。バスケ部の試合が繰り返し繰り返し脳裏に再生されるのだ。ウィンターカップ予選決勝最終日、対誠凛戦。有り体に言ってひどい試合だった。ティップオフ早々、繰り出されるラフプレー。間抜けな審判。負傷するどころか逆にファウルをもらう誠凛高校。度重なる選手交代。得点はわずかに自校が優勢。インターバル。挟んで尚もラフプレーは続く。しかし花宮真が、指を鳴らした。</p>
<p>「おはよう、瀬戸くん」</p>
<p>瀬戸はゆっくり覚醒する。</p>
<p>「あー、もう休憩?」</p>
<p>「外しなよ、それ」</p>
<p>聞きながら、とっくに瀬戸は外していた。まぶしい視界に、入り込んだ花宮の影。足元が急に軽くなる。小型犬が降りたのだ。それを、どうやら花宮が抱えた。持ち上げ、診察するように体を見ていく。</p>
<p>「ひっでーな。俺のこと何だと思ってんの?」</p>
<p>「君はうちの部員じゃないから」</p>
<p>「俺に動物虐待の趣味はないよ」</p>
<p>「そうだろうね」</p>
<p>花宮は素っ気なく、犬の<em>診察</em>と解放を優先する。いやまあ瀬戸も気にしてはいないが。何せ初日からして「犬を殺したいと思う前に遠慮なく申し出て」だ。犬を傷つける許可ではない。警告である。体育館を追い出すぞという。そのときも瀬戸は否定したが、そのときも花宮はうなずかなかった。「君はうちの部員じゃないから」</p>
<p>さて犬を放すと花宮は、</p>
<p>「それで瀬戸くん——」</p>
<p>「おまえとゲームメイクの話がしたい」</p>
<p>「——バスケ部でもないのに?」</p>
<p>「花宮の頭脳に興味がある」</p>
<p>「だってさ、カントク!」</p>
<p>ステージに向かって呼びかけた。</p>
<p>「ダメに決まってるでしょうが!」</p>
<p>即座に女子生徒の声が返る。</p>
<p>「だってさ、瀬戸くん」</p>
<p>何度来ても同じだよ。花宮は再び瀬戸を見た。瀬戸は今日も食い下がらなかった。やがて違う三年生が来る。</p>
<p>「あっ瀬戸くん今週も来たんだ」</p>
<p>小金井である。人間の名前も大して覚えなかった瀬戸だが、小金井の名前は覚えることになった。</p>
<p>「うちの闇宮がお世話になってます」</p>
<p>こういうわけだ。毎週どんな話をするか、瀬戸はまったく覚えていない。小金井との会話は、生産的ではない。こいつは花宮とは違う。</p>
<p>花宮はこいつらとは違う。</p>
<p>あの試合で花宮が何をしたか。何をしていたか。絶対に小金井にはわからないだろう。自校のバスケ部の人間も、実際のところは何もわかっていなかった。おまえらの監督がかわいく見えてくる。瀬戸がそれを説明したとき、バスケ部の連中には鼻で笑われた。</p>
<p>霧崎第一高校バスケ部監督は諸々の罪で逮捕、解雇されている。生徒への体罰、違法薬物の所持、後ろ暗い連中との交際、エトセトラ。やっぱり瀬戸は関心がなかった。ただ学校は大事件として扱って、数度の集会も発生したから、さすがに時期は記憶している。秋の終わり、冬の初め、バスケ部のカレンダーに合わせるならば、ウィンターカップ予選終了直後のことだ。</p>
<p>あの試合の花宮はポイントガードのポジションだった。そして、その役割以上に、緻密に<em>伏線</em>の糸を張り巡らせていた。あたかも蜘蛛が巣を構築するように。花宮はあの監督のやることなすこと、その罪状まで織り込み済みでコートに立っていた。</p>
<p>「瀬戸くんって、やっぱ頭いいんだね」</p>
<p>「うん、いいよ」</p>
<p>何の話をしていたのだったか、アッと言って小金井がいなくなった。休憩が終わったらしい。小型犬が戻ってくる。キャンキャン鳴かれる前に、ヘッドホンを耳に当て、アイマスクを下ろす。犬は乗り込んでこなかった。</p>
<p>いつまでたっても。</p>
<p>重量を感じられないことの違和感で、瀬戸はアイマスクを再び上げる。犬は体育館を出て行ってしまった。小型犬は戻ってこない。かわりにキャンキャン鳴く声が聞こえる。ふと静かなコートを見ると、誠凛生の視線が突き刺さった。ここは無罪を訴えるべきか。とりあえずヘッドホンも下ろし、立ち上がっておく。ゆっくり両手の平も見せると、見事な無抵抗宣言。あとは、あちらが銃を向けてきて、ゆっくり地面に伏せなさいなどと言ってくれれば完璧だが。</p>
<p>小型犬は戻ってきた。当然だけれども五体満足で。二年か一年が犬に駆け寄る。</p>
<p>「二号、何があったんですか」</p>
<p>犬はワンともキャンともほえない。かわりに、</p>
<p>「あっ、ワンちゃん!」</p>
<p>見知らぬ女子生徒が駆け込んできた。当然だけれども誠凛生で、十中八九、泣いていた。彼女は瞬間的に状況を把握し、泣きはらした顔を慌てて隠す。呆然となるバスケ部の中から、しかし一人が彼女を呼んだ。その声に、彼女は肩を震わせた。</p>
<p>尋常ならざる事態である。瀬戸は気づかれる前にと場所を移した。気づかれなかった。女子生徒が嗚咽を漏らす。先の部員が走って彼女の前に立つ。</p>
<p>「えっ、あの、何かあった?」</p>
<p>女子生徒は一段と大きな嗚咽で答える。</p>
<p>「体育館は今、男バスが使ってて」</p>
<p>大きく首を縦に振って返事。</p>
<p>「お、俺に用事——ってこと?」</p>
<p>再度、首が縦に振られる。</p>
<p>「降旗、だけど」</p>
<p>「わ、わっ、わかって、る」</p>
<p>「もしかして、あいつと喧嘩にでもなった?」</p>
<p>女子生徒は再び黙りこくった。ただ大きくしゃくり上げる。いや。</p>
<p>「ち、ちが、ううぅうぅうううううぅ。ふ、ふり、はたくん。違うの。違う。違うの。あのね。降旗くん。あのね、あの、ひと、——死んだって」</p>
<p>おっと。これは急展開。</p>
<p>練習再開は遅れに遅れた。そのことをとやかく言う者は、このバスケ部にはいなかった。</p>
<p>「う——、だって、風邪で休みって」</p>
<p>降旗は体育館を出て行った。誠凛の監督はとがめなかった。彼女自身、女子生徒に付き添って外に出た。</p>
<p>瀬戸の元には花宮が来た。花宮が来て「瀬戸」と呼ばれた。瀬戸は思わず瞬いた。「瀬戸くん」ではなかったから。</p>
<p>「——わかってる。今日は帰るよ」</p>
<p>「『今日は』じゃない」</p>
<p>花宮は言った。</p>
<p>「二度と来るな」</p>
<hr>
<p>かくして瀬戸は体育館を追い出された。走り去ったバスケ部員、泣きじゃくる女子生徒、それらと同じ出口を通った。他校の敷地を悠々と歩いた。校門の向こう、さらに横断歩道の向こう側に「交通事故がありました」の看板。</p>
<p>「なに最後にノスタルジー出してんの」</p>
<p>「言うほどノスタルジーあったか?」</p>
<p>「いや何か言い忘れたと思って」</p>
<p>「事故の看板に?」</p>
<p>茶化された。瀬戸は返事をしなかった。この場で特に重要視されるような問題ではない。案の定、<em>連中</em>は早々に興味を失って、退屈げに本題に戻っていく。そして責めるような視線を瀬戸に向けた。</p>
<p>「だって、そうでしょ。なんにも収穫がないってことじゃん?」</p>
<p>「当然。誠凛の監督はバカじゃない。<em>気づいてた</em>よ」</p>
<p>ハァ。連中はため息をついた。何を今さら。瀬戸は無視した。人選からして無理があったのだ。口で何を取り繕っても、瀬戸の身長は百九十センチ。これで青瓢箪ならよかったが、残念ながら火神と大差ない体形である。つまり。</p>
<p>「じゃあ火神が——」</p>
<p>「<em>火神を失った</em>誠凛でも、霧崎第一には勝てるだろうね」</p>
<p>「——かぶせんなって」</p>
<p>まあこの場で最低身長を見たところで、百八十前後の<em>正センター</em>が出てくるわけだが。そのセンターは不満ぶってこう言った。</p>
<p>「せっかく<em>体罰</em>我慢したってのに」</p>
<p>「まったくだ」</p>
<p>バスケ部レギュラーその二が続いた。</p>
<p>「またやるか?」</p>
<p>「暴力監督探し?」</p>
<p>「いやラフプレー」</p>
<p>瀬戸は何も言わなかったのに、注目は瀬戸に集まった。瀬戸は感慨なく告げた。</p>
<p>「通用しない」</p>
<p>「IQ160はどうした、IQ160は」</p>
<p>関係ないね。とは返事をしない。<ruby>知能<rt>I</rt>指数<rt>Q</rt></ruby>の何たるかも、もう説明などしてやらない。バカにつける薬はない。</p>
<p>結論は夏とほとんど同じまま。誠凛に勝つためには無冠かキセキが必要だ。バスケという競技には才能が必要で、誠凛は火神を失ったところで相変わらずそれほどのチームである。そこに頭脳で立ち向かおうったって、べつに悪くない着眼点だが、それには最低でももうひとり瀬戸が必要だった。</p>
<p>「瀬戸ちゃん今から双子になーれ」</p>
<p>「無理、いない、諦めて」</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-4/n-3.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
秋 – ある年(三) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:10+09:00
<h1>夏</h1>
<p>誠凛高校バスケ部にはかつて十三人と<em>一匹</em>がいた。カントクが一人、選手が十二人、<em>犬</em>が一匹。十三人と一匹。</p>
<p>「<em>テツヤ</em>二号です」</p>
<p>いきなり脱がされた新入部員は、二年生からは小型犬を紹介され、破顔し、反芻し、——見比べる。</p>
<p>「黒子<em>テツヤ</em>先輩」</p>
<hr>
<p>「二号先輩が!」</p>
<p>トイレから戻ったら同じ一年のバスケ部員が、こぞって俺を振り向いた。二号先輩が。体育館の入口から、口々に必死に言ってくる。何かあったかと走ってみたが、二号先輩に何かがあったなら俺より先輩方を呼ぶべきでは? 喉元まで出てきた言葉は、駆けつけたところで引っ込んだ。輪の中央には二年がいて、その先輩は小さな犬を抱きかかえていた。</p>
<p>どうしたんですか。先輩がいたことで一応敬語を使ったけれど、真っ先に一年がかみついてくる。</p>
<p>「どうしたもこうしたも!」</p>
<p>ただ首を振る先輩の前で、同じ一年の彼は訴えた。いわく二号先輩が、やたらひっついて離れないのだ。</p>
<p>「そうなんですか、二号先輩」</p>
<p>黒子先輩の腕の中で<em>二号先輩</em>はクウンと鳴いた。</p>
<p>一年より入部が先だったから、二号先輩。二年三年がただ「二号」と呼ぶところ、一年は明確な線引きの下で「先輩」を付ける。実際に二号がどれくらいの先輩かというと、ちょうど先日、インターハイの打ち上げと同時に彼の一周年をお祝いした。二号先輩は昨年この時期に拾われたのだ。黒子先輩に。</p>
<p>だから「テツヤ二号」というわけでもないけれど。もちろん「黒子テツヤ」の「テツヤ」らしいが、由来は拾ったエピソードでなく、一人と一匹の顔だそうな。黒子先輩と二号先輩は目元がとてもよく似ているのだ。さらに言えば、顔にかぎらず性格も似ている。インターハイも終わった八月、思うに、彼らは多少頑固であった。</p>
<p>今回もそれが発揮されたのだろう。理由まではわからないが。</p>
<p>「いやもう休憩入ったらすぐよ、すぐ。水取りに来たら二号先輩が走ってきて、俺の周り回りだすの。もう危ないのなんのって」</p>
<p>おちおち歩いてもいられなくなり、黒子先輩を呼んだそうだ。拾われた恩か、二号は黒子に懐いている(黒子以外に懐いていないわけではない)。案の定、二号は、黒子にはおとなしく捕まったのだ。とはいえ原因は先輩にもわからず、やがてトイレから彼が戻ってきたということだ。</p>
<p>「いや俺だって、黒子先輩がわからないならお手上げ——ですよ」</p>
<p>「そうですか」</p>
<p>黒子先輩は困ったように腕の中を見下ろした。どうやら解放しようものなら、再びつきまといを開始するだろう確信があるらしい。二号先輩もこたえるようにワンとほえた。</p>
<p>解決が見込まれないまま、時間だけが過ぎていく。途中で火神先輩も来たが、なぜか「バッシュ」と一単語つぶやいて去っていった。いよいよ三年に相談する時か。横目でステージを見てみたら、ステージでもちらちらこちらを見ていた。中には火神先輩もいる。先輩たちにも状況は伝わっているのだ。そのうち二人がまっすぐ入口に向かってきた。</p>
<p>「バッシュ」</p>
<p>黒子先輩がつぶやいたのと、ほとんど同時の到着だった。</p>
<p>「カントクが呼んでる。歩いて行け」</p>
<p>三年の先輩は一年のたった一人を見つめた。黒子先輩が顔を上げる。あいつは大量の疑問符を浮かべたが、呼ばれたと聞けばただちに向かう。歩けと言われれば歩いて急ぐ。同じく疑問符を浮かべた他の一年を残して、あいつはたちまち背中を向けた。離れていくあいつに、別の声が飛ぶ。</p>
<p>「後で二号に礼を言うんだぞ!」</p>
<p>いったい何だというのだろう。しかし二号先輩は飛び出さず、逆に黒子先輩は解放し、輪を離れた。ステージ前で火神先輩が黒子先輩を呼んでいる。</p>
<p>バッシュがどうかしたんですか。木吉先輩にも花宮先輩にも聞けなかった答えは、その日のうちに返ってきた。</p>
<hr>
<p>「二号大明神様!」</p>
<p>怪我をするところだった、らしい。ステージ前でそのように診断したカントクは、あいつに別のメニューを厳命すると、二号先輩をたいそう褒めた。二号があいつの体について予兆を感じ伝えてくれたのだと、カントクは信じているようだった。カントクだけではない。他の先輩も二号は本当に賢いと言った。火神先輩などはバッシュの損耗具合を警告されたそうだ。半年未満の付き合いとはいえ、一年にも二号の賢さを否定する気はないが。張本人ともなれば、</p>
<p>「ああっ二号大明神さまっ」</p>
<p>こうなった。再度休憩に入るや否や、二号先輩にやたらひっつき、離れなくなった。小型犬はキャンと鳴いて逃げ出した。立場が逆転してしまっている。</p>
<p>付き合っていられないな、と、彼はカントクの元を目指した。元々、先の休憩で聞いておきたかったことがあるのだ。休憩時間に申し訳ないと思いつつステージ前を訪れると、カントクは一人でバインダーをにらんでいた。</p>
<p>「あら」</p>
<p>まもなく顔が上がる。</p>
<p>「何か用?」</p>
<p>「まずは、あいつの足のことで、ありがとうございました」</p>
<p>「いいのよ。それも仕事のうちだわ。あのバカが二号追いかけるのをやめてくれればベストだけど、まあ、日向くんか鉄平が止めるでしょう」</p>
<p>すると向こうで三年二人が立ち上がった。おお。感嘆が音になる。それでとカントクは彼を見た。</p>
<p>「別の用事があったんでしょ」</p>
<p>「実はお盆休みのことなんですけど」</p>
<p>やっぱり練習したいなー、って。</p>
<p>返事はすぐにはやってこない。体育館には怒声が響く。主将の声だ。それから木吉先輩がなだめる声。一年生が謝る声。二号先輩がワンと鳴く声。再び主将が何かを言って、ようやくカントクは口を開けた。</p>
<p>「一応言っておくけれど、意地悪したいわけじゃないのよ」</p>
<p>二度目だった。彼は以前もこのことについて話した。お盆もバスケを練習したいと。夏休み前、練習日を渡された日だった。カントクはそのときも首を横に振った。お盆は休み、そのかわり明けたらまた嫌というほど練習をすると。実際、お盆行こうのカレンダーはバスケの練習で埋められており、休養も鍛錬のうちとまで言われれば納得して引き下がらないわけにはいかない。それに食い下がる理由もなかった。ただ、習慣だった。お盆休みは三年ぶりだったのだ。</p>
<p>彼の中学は歴史的かつ伝統的で、男子バスケ部は強豪だった。キセキの世代の帝光中学ほどではなかったが、それだけのことだ。明くる日も明くる日も練習三昧。お盆も正月も関係ない。そういうものだと思っていた。</p>
<p>「あの、わかってます。でも、あんな試合を見せられたら、なんか——。インターハイ、すごかった」</p>
<p>「その結果が<em>あのバカ</em>なんだけど?」</p>
<p>カントクが再び喧噪に横目をくれる。「二号大明神様」をあがめる声。不調の(前兆の)原因はオーバーワーク。そこを突かれると少しだけ痛い。ああはならないようにしますから。たやすく言えるはずだったのに、なぜか喉から出ていかない。カントクがため息をこぼした。</p>
<p>「十五日」</p>
<p>「え?」</p>
<p>「うちが体育館を使える日」</p>
<p>ワン! 二号先輩の鳴き声が響く。またあのバカが何かやらかしたのか。しかしあきれる暇などなかった。</p>
<p>「えっと、えっ、——なんで?」</p>
<p>「さあね。理由はいろいろあったはずよ。もちろん。でも今ここで重要なのは、十五日にうちが体育館を使えるってこと。その日に部員が集まらないこと。</p>
<p>意地悪したいわけじゃないのよ。</p>
<p>ただ、その日は<em>集まれない</em>の。三年は全員いないし、二年も一人か二人じゃない? だから去年も一昨年もお盆に練習はやってない。</p>
<p>納得してもらえたかしら?」</p>
<p>返事はすぐにはできなかった。かわりとばかりに二号先輩がほえた。当然、関係はないだろうが。またあのバカがやらかしたのだろう。もう一度、先輩がほえる。それを聞き届けて、ようやく彼はうなずいた。自分でわかるくらい、ぎこちなかった。カントクの顔も見れなかった。</p>
<p>ワン! 二号先輩がまたほえた。</p>
<p>気づいてしかるべきだった。いや、考えなければなかったのだ。バカは俺だ。こんな<em>わかりきったこと</em>をよりにもよってカントクに言わせてしまった。</p>
<p>ワン! またまた二号先輩がほえて、</p>
<p>「休憩はもうすぐ終わりよ。あんたは顔を洗ってきなさい。私はあのバカを仕留めに——」</p>
<p>ワン!</p>
<p>二人は顔を見合わせた。</p>
<p>「——なんか二号先輩」</p>
<p>「——よくほえる日ね」</p>
<p>ワン!</p>
<p>どちらからともなく二号を探す。居場所は当然わかりきっている。部員の背中、背中、その向こう。体育館の入口の一つ。そこに立ちはだかるように、二号がいた。私服の男を阻んでいた。</p>
<p>有り体に言って運動部らしく、同年代のようだった。しかし制服でも運動着でもなく、誠凛生かもわからなかった。特徴らしい特徴もない。強いて言えば眼鏡をしているが、ありふれた特徴である。バスケ部だけでも三人はいる。ということは、やはり他校生なのだろうか。</p>
<p>彼は瞬時に推理した。カントクは違った。</p>
<p>「今吉、翔一」</p>
<hr>
<p>「おっ、花宮」</p>
<p>所変わって入口付近。ワンワンほえる犬を挟んで、その場の半数が彼の名前を知っていた。特に名指しをされた一人は渋々ながらも前に出て、犬を抱えて部員に渡す。犬はたちまち口を閉じた。たまたま黒子が引き取ったのだ。押しつけた花宮はこれまた渋々、今吉を見た。</p>
<p>「今日の部活は十九時までです」</p>
<p>「あと二時間、半、っちゅーとこやな」</p>
<p>今吉は見上げるように顔を動かした。体育館の時計を見たのだ。その隙に花宮は背を向けた。「では」</p>
<p>ちょうどそのとき、ステージ前から三年と一年が到着する。つかつか歩いた三年生は最初に花宮を呼ぶことにした。</p>
<p>「いいの?」</p>
<p>「ああ」</p>
<p>彼女は次に今吉を見た。全然よくない目と目が合った。</p>
<p>「花宮くん」</p>
<p>「何?」</p>
<p>こちらもこちらで全然よくない声を響かせる。</p>
<p>一年生はこっそり一年の輪に加わった。みんなが首の動きで彼を見る。彼らも来客の正体はわかっているらしい。彼の横でカントクがこぼしたように、彼らの横でも先輩方が口にしたのだろう。何なら来客本人が自ら名乗った可能性もある。桐皇OBの、と最初に付けたかまではわからないが。</p>
<p>あの桐皇学園の<em>元</em>主将だった。あのキセキの世代の青峰が入った年のバスケ部で、ポイントガードを務めていた。今吉翔一の試合映像を彼らはこの夏に何度も見た。遠目には思い出せなかったが、近くで見たら、なるほどビデオに映っていた。ビデオで見るより何倍も穏やかな顔をしていた。いっそ柔和とまで言い表せそうだ。あの青峰をチームに招き、主将を務めきった人物なのに。そして中学時代の花宮先輩の、先輩だった——。</p>
<p>一年同士そうこう目配せするうちにカントクが花宮と立ち位置を替えた。</p>
<p>「おめでとうございます」</p>
<p>「せやったな。そちらさんも」</p>
<p>今吉もひとまずカントクと話すことにしたらしい。</p>
<p>インターハイ、ストリート、大会、スターキー、アメリカ、ジャバウォック。覚えのある単語ばかりが飛び交い、徐々に声が増えていく。主将、木吉、小金井、そして二年から火神。</p>
<p>「マジで待つつもりなんですか?」</p>
<p>「え? まー久々に後輩のバスケ見るのも悪い選択肢やないな」</p>
<p>「木吉おまえアイマスクは?」</p>
<p>花宮も口を挟んだ。</p>
<p>「部室だな。ヘッドホンも。——まさか今吉さんに使わせるつもりか?」</p>
<p>「べつにいいだろ。後で消毒でもしてやれば」</p>
<p>「まあ俺は構わんが」</p>
<p>木吉は答えつつ今吉を見る。ライバル校OBの大学生の顔には、はっきりと疑問符が浮かんでいた。</p>
<p>「いや、なんや<em>ええ話</em>してるなーってことは」</p>
<p>今吉はカントクを見る。</p>
<p>「すまんな。突然押しかけたのはこっちや。時間取らせて悪かった。いろいろ疑うところもあるやろうけど、ワシが用があるのは花宮や。花宮だけちょっと借りることはできんやろか。三十分も一時間もかかりはせん。ワシにとっても貴重な時間や」</p>
<p>「だそうよ、花宮くん。私としても、今吉さんみたいな人を真夏の炎天下に放って置くわけにはいかないわ」</p>
<p>カントクは花宮を振り返った。心底嫌そうな目と目が合った。ハァ、と心底嫌そうに息を吐く花宮。</p>
<p>「すぐ終わる話なら今ここでしてください。それができないなら二時間後に。あなたももう大学生です。時間くらいどうにでも潰せるはずだ。それもできないなら、幸いうちにはアイマスクとヘッドホンとオーディオプレイヤーがありますが」</p>
<p>「八日」</p>
<p>今吉は間髪入れずにそう答えた。今度は誠凛生が首をかしげる番だった。「八月八日」と言い直した花宮を除いては。あと何日もない日付である。特に何もない日であって、つまり練習の予定がある日で。</p>
<p>「わかるな、花宮」</p>
<p>「まったく意味がないということくらいは」</p>
<p>今吉は今ここで話すことを選んだのだ。</p>
<p>「<em>あいつ</em>もわかっとる」</p>
<p>外野にはとんとわからない話だが。花宮はうなずいた。</p>
<p>「そうか。あいつももう中三か」</p>
<p>「意外やろ。おまえが卒業してから三年たった」</p>
<p>「意外な事実です」</p>
<p>「いっぺんも帰ってへんのやってな」</p>
<p>「うちは母親しかいないんで」</p>
<p>「なあ、夜見山に帰ってくれんか」</p>
<p>「あなたと一緒に?」</p>
<p>「そうしたいのは山々やけど、ワシの予定は知ってのとおりや」</p>
<p>それだけは外野にもわかった。もちろん花宮にも。花宮はまた一つため息をつくと、</p>
<p>「仕方ないですね。久々にド田舎の空気を吸っておくのも悪くない——なんて言うわけねえだろバァカ!」</p>
<p>と言った。</p>
<p>外野はぎょっとして花宮を見た。三年から一年まで皆、花宮の言動は知っていた。が、今回は仮にも大学生が相手である。チームメイトの動揺を知ってか知らずか、花宮は冷たい声で言葉を続ける。</p>
<p>「ゼロ点です」</p>
<p>「手厳しいな」</p>
<p>しかし今吉も柔和な表情を浮かべている。</p>
<p>「なんなら禁忌肢だ。俺は<em>母親似</em>なんです。冗談じゃない。あなたもルールはご存じでしょう」</p>
<p>「せやったら、大会優勝おめでとう、いうのはどうや?」</p>
<p>「ああ、いいですね。大会優勝おめでとうございます。次の試合も頑張ってくださいね。応援してます」</p>
<p>「キッショ。五十点」</p>
<p>「わかってるじゃないですか」</p>
<p>ではこれで。花宮は今吉に背を向ける。ついでにカントクを呼んだ。</p>
<p>「もういいの?」</p>
<p>「ああ。悪かったな」</p>
<p>「うちはいいのよ。みんなオーバーワーク気味だった。ただ、あの人は全然よくないって顔だけど」</p>
<p>背を向けた花宮にはわからないことである。</p>
<p>「花宮」</p>
<p>それでも声は届いたが。</p>
<p>「大会優勝おめでとう、いうのはどうや」</p>
<p>花宮はぴたりと動きを止めた。</p>
<p>「ふうん。あんた本気なんだな」</p>
<p>花宮の顔は部員からも見ることができない。そして、</p>
<p>「そんなん初めっから本気や」</p>
<p>この瞬間の今吉の表情も、誰も見てはいなかった。</p>
<p>「<em>始まってはいない</em>んですね」</p>
<p>「ああ」</p>
<p>「けど<em>足りなかった</em>」</p>
<p>「そうらしい」</p>
<p>「百点です」</p>
<p>次に見たとき、今吉は元より、花宮も笑みを浮かべていた。</p>
<p>「カントク、後で話がある」</p>
<p>「もう今ここでしなさいな」</p>
<p>「なら八日から十日まで帰省するかも」</p>
<p>「いや『かも』じゃないだろ」</p>
<p>横から主将が口を挟む。</p>
<p>ワン! 久しぶりに二号もほえた。</p>
<p>「じゃあ、その埋め合わせと言っちゃあ何だが十五日——」</p>
<p>鼻歌でも歌いそうな返事。花宮は主将と並んで遠ざかり、</p>
<p>「——あ、花宮、ちょお待て」</p>
<p>行ってしまった。</p>
<p>一年はそろりと他校のOBを見た。なんと、ぴったり目が合った。</p>
<p>「あっ——あの、俺でよければ伝えましょうか」</p>
<p>「なら頼むわ」</p>
<p>今吉はほとんど即答した。もうひとつ言いたいことがあったのだと高校生の目を見て——顎に手を当てた。</p>
<p>一年生はいつでも聞き逃さないよう、聴覚に神経を集中させる。一方で今吉は眉根を寄せて、天を仰いだ。</p>
<p>「あかん、忘れた」</p>
<p>大丈夫ですか? 高校生は尋ねたが、大学生は最終的にはうなずいた。大事な用事は済ませたからと。それなら高校生にできることはない。大学生もくるりと背を向けただけで帰り支度を終えてしまった。</p>
<p>「ええと、親善試合、応援してます」</p>
<p>「どーも、おおきに。そちらさんもウィンターカップがんばってや」</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
夏 – ある年(三) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:09+09:00
<h1>春</h1>
<p>初めての春の始業式。学校の桜は散っていた。桜が咲いている卒業式がいい。自然と考えて、ふと立ち止まる。通り過ぎた桜の木。見下ろした靴の下に桜の花弁。いつなら咲いていただろう。思い出すことはできなかった。見上げた空は、嗚呼、なんて外周日和。</p>
<p>春の始業式といえば、もちろんクラス替えの発表だ。うっすらと寒い桜の木の向こうに、人だかりができている。誠凛高校のクラス替えは外の張り紙で告知されるらしい。知った顔、知らないわけではない顔、知らなかった顔、それぞれが歓声を上げるばかりか、躍り上がったり、飛び上がったり。これではクラスを知ることもできない。はあ。ため息が横から聞こえてきた。まるで知らない顔だったが、後で一緒に名前を見つけた。チームメイトはいなかった。</p>
<p>まるで知らない顔だったが、新しいクラスメイトには顔も名前も知られていた。だって日本一のバスケ部でしょ、などと言われて、うっかり納得してしまう。ウィンターカップで優勝してから、新聞にも雑誌にも載り、学校でも表彰された。写真を撮られた。補欠も補欠のベンチの俺まで、優勝旗と一緒に十三人と一匹で。いや、それだと武田先生が入ってないから——。</p>
<p>さておき知り合ったばかりのクラスメイトとは、教室に入ったら席も前後で、余計に長々と話し込んだ。おかげで先生が入ってきたことに気づけず、早々にお𠮟りをくらってしまう。もしかして新学期最初の反省文は俺たちなのか。戦慄していると、先生が笑いだす。おまえたちで四番目だって。もうそんなに!? 思わず大きな声が出て、また笑われて、なぜか反省文は免除された。</p>
<p>朝のホームルームは出欠確認だけで、すぐに始業式が開かれた。そこで初めて知ったのだけれど、思いきり笑って始業式の引率までをしてくれた先生は、まったく担任ではなかった。きっと反省文もその関係で免除されたのだろう。初めから冗談だった可能性まである。もてあそばれた。あの先生が挨拶するとき、ついにらむように見てしまった。目が合ったような感覚は、もう気のせいだと信じていたい。</p>
<p>始業式は退屈しなかった。まずは新しい気の合うクラスメイトのおかげ。次にバスケ部のカントクのおかげ。カントクは生徒会役員なのだ。しかも副会長。学校行事に際して部員の態度をつぶさに監視していることは、バスケ部の中ではあまりに有名。だって練習内容が変わるから。——退屈しないって、つまり緊張しきりというわけ。</p>
<p>そんなこんなで始業式が終わる。教室に戻る道すがら、クラスメイトと新しい担任の話をする。きっと楽しい一年になる。</p>
<p>席についたら、正しい担任が入ってきた。廊下から徐々に足音が失われる。かわりに隣のクラスで椅子を引く音、座る音。先生の声。そして、また足音。何やら重たげな足取りに、廊下を見たら主将がいた。バスケ部主将が机と椅子を運んでいた。でも、どこに?</p>
<hr>
<p>「席が足りなくてな」</p>
<hr>
<p>バスケ部主将は答えてくれた。</p>
<p>新学期といえども放課後の部活動はいつもと変わらず。四月も数日、強豪バスケ部は何度も練習に集まっているのだ。強いて言えば、休憩時間は新しいクラスの話になった。何組だったとか、<em>二年</em>はバラバラだったとか、<em>三年</em>は結構かぶったとか、担任がどうとか、ホームルームがどうとか、そういえばホームルーム中に二年の廊下を主将が通ったとか。</p>
<p>席が足りなかった。主将の答えはこうだった。</p>
<p>へえ席が、そんなこともあるものだなあ。二年生たちは、それぞれ思った。短くない学校生活を振り返ってみた。高校二年、義務教育九年、春うらら、入学して進級して新しい教室で席を探したら、自分の机と椅子がない。そんな経験は今までにない。と、うんうんうなずいた幻の<ruby>六人目<rt>シックスマン</rt></ruby>だけは、多少の注目を集めることになった。失礼ですよと言う黒子に、注目した連中はそそくさと謝る。</p>
<p>しかし、そんなことって、あるものらしい。</p>
<p>「へえ<em>また</em>席が」</p>
<p>伊月が話を聞きつけた。三年部員はクラスが結構かぶったが、日向と伊月はかぶらなかった。</p>
<p>「たしか去年も席が足りないクラスがあって——」</p>
<p>首をかしげた二年生たちに伊月が教えてやろうとしたら、三年生も半分は覚えていなかった。まあ、わざわざ覚えておくことでもない。伊月もたまたま思い出しただけだ。</p>
<p>ちなみに当時の二年何組は足りない席を空き教室から補充した。新設校ゆえ机と椅子の組み合わせは、校舎のどこにでも余りがあった。今日の日向の足りない席も、空き教室から適当に拝借。</p>
<p>「あとは新入生のクラスをつくったときに、三次チェック四次チェック五次チェック」</p>
<p>——させられた記憶がある。だから伊月は覚えていたのだろう。</p>
<p>「たしかに入学してすぐ席がなかったら落ち込んだかも」</p>
<p>「キャプテンだって落ち込んだよな」</p>
<p>「そーだそーだ!」</p>
<p>「花宮とコガは黙ってろ」</p>
<p>「だいたい花宮だって——」</p>
<p>三年生の思い出話に花が咲く。四月の始業式がどうだった、入学式がどうだった。</p>
<p>二年生も二年生で入学当時の話をした。決め手にならなかった部活動紹介、いきなり脱がされた体験入部、人前で声を張って入部宣言、初めての練習試合でキセキの世代と対戦し、個性的な先輩方と親交を深め。もう一年前の思い出か。並べ立てて、思いをはせた。一年生が二年生になり、二年生が三年生になった。実感はなかった。</p>
<p>「インターハイ」</p>
<p>誰かが言った。</p>
<p>「優勝しようぜ」</p>
<p>「おう」</p>
<p>誰からともなく返事をした。</p>
<p>「まずは新入部員だけど」</p>
<p>この数日後、無事に入学式が執り行われた。新入生のクラスをつくる役に選ばれた降旗は、六次チェックも七次チェックも経験した。さらに数日後には入部希望者が三十名ほど名乗りを上げ、数々の試練を経ておよそ半数が入部したのだ。</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-4/n-1.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
春 – ある年(三) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:08+09:00
<h1>冬</h1>
<p>またかと二年生がつぶやいた。場所は学校体育館。視線の先にはウィンターカップ予選の現状。誠凛高校を含め、決勝を戦う四校が出そろったのだ。対戦相手は泉真館高校、秀徳高校、そして霧崎第一高校。</p>
<p>二校は一年にも覚えがある。泉真館と秀徳はインターハイ予選の対戦相手で、激戦区東京の<em>三大王者</em>だ。特に秀徳はキセキの世代を獲得し、優勝候補に名乗りを上げている。夏の結果にかかわらず、油断のできる相手ではない。霧崎第一は三大王者でもないが、</p>
<p>「霧崎第一もね、前に戦った」</p>
<p>もちろん二年は覚えていた。昨年のインターハイ予選の対戦相手だ。</p>
<p>「ああ。手強かったよな」</p>
<p>「いや木吉は初めてだろ」</p>
<p>「霧崎第一戦もビデオは見た」</p>
<p>木吉が初めて欠場した試合である。ベンチにも座らなかった。膝の治療を優先したのだ。当時、木吉は自身の体調について吞気に振る舞ったが、その実、高校三年間を治療にささげるかどうかの瀬戸際にまで追いやられていた。と、日向と相田、それから花宮だけが聞かされ、他の部員はそれぞれ察した。</p>
<p>木吉の治療は長引いた。夏が終わっても試合に出られなかった。しかし誠凛高校は勝ち進み、結果を出した。やがて木吉も復帰した。一年が入部したときには、強化選手の木吉だった。</p>
<p>「俺も次は初心に返るぜ」</p>
<p>「ダァホ、初日が霧崎第一じゃなかったらどうすんだ」</p>
<p>「<em>二心</em>に返るぜ」</p>
<p>「——何だって?」</p>
<p>「——三日目だったら?」</p>
<p>「<em>三心</em>に返るぜ」</p>
<p>はい、そこまで。カントクが手をたたく。</p>
<p>「緊張感を持つのは悪くないけどね。強敵は秀徳だけじゃない。どこも油断なんてしてくれないわよ。去年にしろ今年にしろ、みんな誠凛に負けたことがあるんだから」</p>
<hr>
<p>敵は本当に油断してくれなかった。あたりまえだった。誠凛だって警戒した。霧崎第一戦に至ってはむしろ厳戒態勢で試合に臨んだ。</p>
<p>初日、泉真館は強かった。しかし誠凛の敵ではなかった。</p>
<p>三大王者は長きにわたって激戦区東京の上位三位を独占し続けたが、今は昔の栄光である。彼らはキセキの世代を獲得できなかったのだ。一方、誠凛には粗削りながら<em>キセキ級の天才</em>の火神がいる。キセキの世代に勝てずに<em>無冠</em>と呼ばれた<em>逸材</em>もいる。才能だけがバスケではなかろう。とはいえ競技の世界では、才能は重要な因子だった。インターハイ上位三位はキセキの世代の獲得校だ。</p>
<p>キセキの世代とは、それほどの才能である。中学バスケ界に現れた十年に一人の天才たちを、わずか一年で<em>上書き</em>した。十年に一人の<em>本物の</em>天才たち。くしくも一つの学校の一つの学年に出現した彼らは、かの中学校に圧倒的三連覇をもたらすと、別の高校に進学し、高校バスケをも塗り変えた。高校バスケ界の人間は選手だろうと監督だろうと皆一様に言う。今後三年、高校バスケはキセキの世代だけが勝ち続ける。</p>
<p>もちろん誠凛の目標は日本一、つまりキセキの世代の打倒だ。火神が入部してくる前から、黒子がキセキの世代の<ruby>六人目<rt>シックスマン</rt></ruby>と判明する前から、バスケ部創部時点から。</p>
<p>二日目、獲得校の秀徳にも当然、打倒キセキの精神で挑んだ。実は彼らには勝ったことがあった。夏のインターハイ予選、桐皇学園——青峰大輝——と当たる直前のことだ。しかし、だからこそ今回も気の抜けない試合になった。キセキの世代——緑間真太郎——を獲得した三大王者の強豪は、それでも負けた相手を前に、もはや一分の隙も見せなかった。そして試合は熾烈を極める。緑間は<em>あらゆる距離</em>から<em>絶対に入る</em>シュートを打ち続け、それを火神だけが妨害できて、——結果は引き分けだ。</p>
<p>秀徳と誠凛はこれで互いに一勝一分け。ウィンターカップ出場をかけて、誠凛は次の試合も勝たねばならない。秀徳の次の相手は泉真館。言っては悪いが、秀徳は万に一つも彼らに負けない。同じことは誠凛の対戦相手にも言えるのだけれど。最終三日目の霧崎第一はごくごく普通の強豪である。</p>
<p>三大王者でなく、キセキはおらず、無冠もおらず、名監督もいない。何なら誠凛は昨年時点で差をつけて勝ち、言わずもがな今年までに経験を積み、キセキ級の新入部員を獲得し、今年またキセキの世代とも数度対戦し、あの秀徳と引き分けた直後だった。もちろん控室でカントク直々に「油断禁物」を厳命されたが、いくら自らを戒めようとしたところで、多少はプレーに出ることもあるだろう、そういう程度の相手だった。</p>
<p>「それじゃ駄目だ」</p>
<p>——都内の高校の制服姿が、控室を出てすぐの廊下で待ち伏せていた。</p>
<p>「今日から集団下校するくらいじゃないと」</p>
<p>思い詰めた声でうつむいた。</p>
<p>「先輩が——もう二度とバスケできないって」</p>
<p>全部の話が終わった後、他校生がいなくなった後、花宮の心底からの退屈を、偶然にも黒子だけが見抜いた。</p>
<hr>
<p>「絶対に一人で帰らないで」</p>
<p>「先輩は休日練の後に<em>襲われました</em>」</p>
<p>「犯人は同年代であることしかわかりませんでした」</p>
<p>「<em>でも霧崎第一だった</em>」</p>
<p>「あいつらが言ったんだ」</p>
<p>「『先輩のお見舞いに行けなくてごめんね』」</p>
<p>「僕は、花宮には、もう——あんな目に遭ってほしくない」</p>
<p>「頼むから試合が終わるまでは絶対に荷物から目を離さないでくれよ」</p>
<hr>
<p>ウィンターカップ東京予選最終日、誠凛対霧崎第一。</p>
<p>インターハイ準優勝の桐皇学園バスケ部はその試合を観戦していた。言うまでもなく目的の一つは、ウィンターカップ出場校を見定めること。緑間を擁する秀徳が<em>泉真館など</em>に負けるはずがない。桐皇学園はインターハイ準優勝の成績によってシード権を得た。他の<em>獲得校</em>も確実に出場権を得る。誠凛の勝敗が肝心だった。もしこの最終日、誠凛が勝てば、誠凛も出場権を獲得したら——。</p>
<p>まだ、わからないのだけれども。</p>
<p>誠凛にはキセキ級と無冠がおり、あの秀徳とも引き分けた。それでも試合の行方はわからなかった。誠凛自身、理解しているのだろう。</p>
<p>「やけに殺伐としてやがんな」</p>
<p>「仕方ないよ。相手は<em>あの霧崎第一</em>だもん」</p>
<p>一年の一人が、あっという間に一冊のノートを出して開く。</p>
<p>「今大会の霧崎第一の対戦記録。ほとんどの試合で対戦相手が<em>本来のエースを使えなくなっている</em>」</p>
<p>「ラフプレーで何人も怪我させてるって——」</p>
<p>「うん。それに、それだけじゃないの。試合前日に怪我したり、直前になってトイレから出てこなくなったり」</p>
<p>「マジかよ」</p>
<p>と、前の席から二年生。霧崎第一のラフプレーのうわさは彼の耳にも届いていた。聞いたときは、セコい真似をしやがってと憤ったものである。しかし後の二つは初耳だった。彼はこの一年の情報収集能力に一定の信を置いている。とはいえ、だ。まさか闇討ちだの下剤だのを仕掛けたとでもいうのか。バスケの試合で勝つために?</p>
<p>彼女はノートを閉じた。</p>
<p>「荷物から全員が目を離した時間があった、みたいですよ」</p>
<p>そして目を伏せる。</p>
<p>昨年まで霧崎第一はこのようなチームではなかった。本当に普通の強豪だった。だが、変わってしまったのだ。チームが。方針が。監督が。</p>
<p>試合はまもなく始まった。珍しく花宮のワンガードだが、伊月はユニフォーム姿でベンチにおり、怪我や体調不良はなさそうだ。ウォーミングアップにも参加していた。単に戦略上の理由だろう。伊月の持ち味は視野の広さと、それによる正確なゲームメイク。今回はそれがかえってあだとなるとの判断か、警戒の表れか、その両方か。</p>
<p>何にせよ、まずは誠凛ボール。さらに、まっすぐ日向のスリーポイント。シュートは成功。多少気負った様子はあるが、どうやら調子はよさそうだ。きっと誠凛は無事に今日の試合を迎えた。よかった。敵ながら彼女は安堵する。しかし、つかの間のことだった。こちらも早速、始まったのだ。霧崎第一のラフプレーが。</p>
<p>テツくん!</p>
<p>頭はたちまち想い人に占領されそうだ。テツくん、テツくん、誠凛の、同じ中学の同じバスケ部の黒子テツヤくん! 彼を目で追えたなら、もっと安心していられたのに。彼女は黒子の性質を、とても、ものすごく、よく知っている。コートで黒子を見つけることは、それでも至難の業である。——霧崎第一の<em>プレースタイル</em>を教えるべきだった、とは決して、可能性さえ想定したこともないけれど。</p>
<p>想い人でも他校の選手。桐皇学園がすでに敗退したならともかく、この試合次第では大会で戦うかもしれない相手。バスケで知り合い、互いにバスケを愛しているからこそ、バスケでは絶対に手を抜かない。</p>
<p>だから彼女の頭は結局、黒子で埋め尽くされはしない。彼女にはまっとうすべき役目があるのだ。テツくんは心配だけど!</p>
<p>「心配することないで、桃井」</p>
<p>「——へ?」</p>
<p>ずっとコートに注目していた前の席から声がかかって、変な返事をしてしまった。慌てて声の主を確認するが、やはり彼はずっとコートに注目しており、彼女のことを見てもいない。</p>
<p>「誠凛はちゃんと霧崎第一の手口を知ってるはずや」</p>
<p>たしかに霧崎第一の対戦校のなかには、誠凛の選手と中学を同じくした選手がいる。彼らのチームは例によってエースを欠き敗退。そのエースも選手生命を危ぶまれるなど、現状最大の被害を受けた学校だった。彼ら、いや彼が中学時代の知人に警告した可能性は、彼女も考慮の上である。しかし、この主将の口ぶり。どうも彼女よりさらに精密に彼の行動を予測したとみえる。</p>
<p>まあ、それもそのはずか。桃井は驚くより納得した。彼らの中学が同じだったというなら当然、今吉翔一は二人を知っているはずなのだ。</p>
<p>今吉はコートを見下ろしている。</p>
<p>「こんなしょーもない<em>小細工</em>が<em>あいつ</em>に通用するかいな」</p>
<p>——今吉の目蓋の裏に中学時代がよみがえる。</p>
<p>二年生の新学期、放課後のバスケ部、監督の交代、破壊と非合理。別離と喪失。新入生。——不慮の事故。</p>
<p>今吉は知らなかった。</p>
<p>それを疑っていたことを。</p>
<p>それを信じていたことを。</p>
<p>それを畏れていたことを。</p>
<p>今吉は知っていた。</p>
<p>「あいつは天才やからな」</p>
<p>第一クォーター終了のブザーが鳴った。誠凛は<em>まだ軽傷</em>だが、火神がすでにファウルを二つ。日向も一つ。女子高生監督が、ねぎらいつつも、たしなめる。無理はない。始まったばかりの試合なのだ。得点源がこの様子では、当分、息もつけないだろう。</p>
<p>一方、霧崎第一も何やら穏やかならざる様子。彼らの監督はもちろん大人だが、選手二人と衝突している。霧崎第一は監督の交代に合わせてレギュラーメンバーも一新したようだったから、てっきり監督の新方針に従える者が残ったと考えたのだけれども、安直が過ぎたか。うーん。ま、ええか。もう霧崎第一とは当たらんやろうし。</p>
<p>やがて第二クォーターが始まる。今吉の後輩は最後にコートに入っていって、不意にゴールポストを見上げた。</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-3/n-4.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
冬 – ある年(二) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:07+09:00
<h1>秋</h1>
<p>「まさか」</p>
<p>何事もなかったバスケ部の練習の帰り道、一年生一同は誰一人として信じなかった。<em>まるごと</em>なんて食べにくいだけで、そのうえ、つまり、<em>まるごと漬けた</em>ということだ。通常の工程では二日も漬ければ十二分でさえあるが、はたしてまるごと漬けるとなると、何日かけて味を浸透させればよいのやら。</p>
<p>ところが食べにくいと言えば、</p>
<p>「でも食べられました」</p>
<p>味が浸透しないと言えば、</p>
<p>「時間をかけたそうですよ」</p>
<p>さらに片手で空気をつかんでみせて、かじってみせて。</p>
<p>一同は幻視する。片手でつかめる大きさの黄色の皮の柑橘類。まるごとレモンのはちみつ漬けだ。</p>
<p>というと、蜂蜜に漬けたレモンである。すぐ食べられて、疲れもとれる。バスケの合間におすすめの一品。誠凛高校バスケ部定番の差し入れ。カントクや水戸部、そして花宮がよく持ってくるけれど、ここにいる全員が味も食べ方も知っており、つくって持参したこともある。レモンと蜂蜜を用意して、切ったレモンを容器に詰めて——。</p>
<p>「どうして切らなかったんだ?」</p>
<p>当然の疑問。何個目だっけ。</p>
<p>黒子は答えた。</p>
<p>「そのほうが<ruby>漢<rt>おとこ</rt></ruby>らしいから——と言っていました」</p>
<p>「誰が!?」</p>
<p>「誰って、さて誰でしょう」</p>
<p>一同は再び幻視した。今日も花宮が持ってきてくれた差し入れのタッパー。最初に花宮に<em>もや</em>がかかる。誰でもない指先が蓋を開ける。タッパーになみなみ注がれた蜂蜜が、もがれたままのレモンを沈めようとしている。輪切りのレモンが思い出せなくなる。そんなことってある? 四人は黒子の顔を見た。黒子の表情はいつもどおりで、何を考えているかも読めやしない。</p>
<p>「はい、これでおしまいです」</p>
<p>その言葉にも脈絡がないように感じられた。</p>
<p>「ひどいですよ。マルバツクイズ。最初に始めたのは降旗くんです」</p>
<p>「そうだっけ」</p>
<p>「次が火神くん」</p>
<p>「あー、そうだった」</p>
<p>かも。と、降旗光樹は頭をかいた。往生際が悪いとまでは、黒子は追及しなかった。</p>
<p>たしかに降旗が最初だった。ちょっと唐突に感じられるくらいの「そういえば!」を切り出して、何も考えていなかったことを実感させるくらい間をとって、やっと話した内容がこちら。主将の部室ロッカーはジオラマになっているらしい。</p>
<p>夏休みに花宮に聞かされた。たまたま二人で帰った日、たぶん先輩が気を利かせてくれた。それとも日頃の仕返しか。花宮が自分のことを語らない分といえばそうだが、他の二年生が勝手に花宮のことを話すから。もっぱら小金井の所業だが、小金井以外がまったく話さないわけではない。そのときは、たまたま主将のロッカーの話になったのだ。話の流れは覚えている。元々、部室ロッカーの話をしていた。</p>
<p>とにかく主将はロッカーをジオラマにしたらしい。「ロッカーを?」と聞けば「底をそのまま地面にしてる」と返ってきた。目撃したことがないと疑えば、鍵を開けてから一年やカントクが来るまでに進めているのだと。「それ時間なくないですか」「だから最近は昼休みにやってんだ」</p>
<p>終盤そこはかとなくヤバそうだったから、降旗はそこまでは話さなかった。そのことがよくなかったのか、現実的でないと考えられたのか、一年生四名には信じてもらえなかった。正直ほっとしている部分もある。話してしまった後になって、話してよかったのか思い出せなくなったせいだ。夏休みの話なんて、もう月単位の時間の向こうなんだから、仕方のないことだけれど。</p>
<p>それに続いた火神も問題だった。そこはかとなく疑われた降旗が黙りこくったら、火神が思いついたような顔をして「花宮先輩は——犬が嫌い」「ダウト」</p>
<p>火神はめいっぱい詰められた。犬が嫌いなのはおまえだろって。</p>
<p>たしかに火神は苦手だった。犬にかまれたことがある。あれがめっぽう怖かった。時間がたっても忘れられない。子犬だろうとかわいく見えない。体格差など関係ないのだ。理屈は問題にならないのだ。時の流れはいくらかの耐性も与えてくれたが。たとえば遠目に犬が映っても、泣いてわめきはしないということだ。そして速やかに道を変更するなどの対処法も身につけた。それで支障なく生きてこられたのだ。今年の夏休みの途中までは。</p>
<p>「そういえば明日は俺が<em>二号</em>の当番だった」</p>
<p>「ぜってー一緒に帰らねえ」</p>
<p>「ほらな」</p>
<p>火神は誰にも信じてもらえず、その弁明の最中にもまた一人が「じゃあこれはどっちだ」と話の真偽を問いにいく。伊月家はダジャレ一家である、マルかバツか。完全にクイズの流れだった。ちなみに一同はかなり悩んだ。伊月という先輩はバスケにおいて冷静な司令塔だが、実もクソもなく筋金入りのダジャレ好きなのだ。残念というか部での受けはよろしくないが、家族間では好評らしい。——可能性としては十分にありえた。</p>
<p>そして四人目が「花宮先輩は霊感がある」で絶妙に周囲をぎょっとさせ、しかし同時に一段落ついたような錯覚も与えたところに、黒子がぬっと顔を上げたのだ。直前の話題が話題だったので、一同はもっとぎょっとした。理解していても忘れてしまう、幻の<ruby>六人目<rt>シックスマン</rt></ruby>の希薄な存在感である。言っちゃ悪いが幽霊のようで、心臓によくない気さえした。実際、声も出せずに硬直してしまったやつらがいる。</p>
<p>べつに彼らのためにその手の話が避けられたわけではなかったけれど。だから怖い話が続いたことは、彼らにとっての不幸である。花宮先輩は除霊ができる、いや伊月先輩のダジャレで悪霊が逃げていく、誠凛にはすでに七不思議がある、トイレの太郎くん、生物室の人体模型、図書室の幽霊、体育館の幽霊、グラウンドの幽霊、屋上の幽霊、売店の幽霊。苦手な者を怖がらせたり、チームメイトを元気づけたり、黒子が釈然としない気持ちになったり。</p>
<p>その日はそんな帰り道だった。</p>
<p>四人と道が分かれてから、黒子はまっすぐ帰路をたどった。のに、気づいたら前を見知った後ろ姿が歩いていた。いるはずがない、わけではないが、多少驚くには値する。</p>
<p>「花宮先輩」</p>
<p>「よう黒子」</p>
<p>「僕たちより後だと思ってました」</p>
<p>「たしかに後から学校を出たが、おまえらがちんたら歩いてたんだろ」</p>
<p>黒子は駆け寄って横に並び、先輩の姿をじっと見た。立ち止まってくれた先輩は、黒子が並ぶと歩き始める。見たところ息は整っていた。しかし走った様子もみられた。練習帰りに走るなんて、黒子の体力には厳しいが、花宮の身体能力なら可能だろう。目撃したこともある。そして走れば、黒子より先んじることも不可能ではない。黒子に気づかせずに先回りする道も、この地点ならまだ複数ある。黒子はよく知っている。帰り道が一緒だから。でもどうして。</p>
<p>「犬に追われた」</p>
<p>尋ねなかったのに先輩は答えた。</p>
<p>「聞いていたんですね」</p>
<p>黒子もすぐに正解した。「どっちだと思う?」と<em>意地悪宮</em>先輩は質問で返したが、いったい何のクイズだろう。正解の<em>選択肢</em>はやはり目に見えている。</p>
<hr>
<p>僕はバツだと思います。</p>
<hr>
<p>黒子は歩いた。先輩も歩いた。口を閉じて、一言も発さず、黙りこくって前進した。ただ歩いた。帰り道が一緒になるといつもこうだ。ながら歩きの気配もない。実は居心地は悪くない。悪くない空気が流れている。かといって、よい空気は流れない。居心地よくもなりはしない。慣れたのかもしれない。慣れることなどないかもしれない。確かなことは、黒子には一つしかわからない。</p>
<p>「では、僕はここで」</p>
<p>黒子の曲がり角に差しかかるまで、二人は沈黙を貫いた。いつもと同じ帰り道だった。お疲れさまでした。別れを告げる黒子の前で、足を止めた先輩が軽く手を上げる。</p>
<p>「おー、お疲れ。車には気をつけろ」</p>
<p>「——先輩は犬にもお気をつけて」</p>
<p>「そーだな、お互い、また明日」</p>
<p>「また明日」</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
秋 – ある年(二) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:06+09:00
<h1>夏</h1>
<p>次の土曜の練習のことで花宮が話しかけてきた。珍しいこともあるものだった。奇妙だとさえ感じられた。この先輩に呼ばれるとき、火神は大抵、テストで悪い点を取ったり、言葉遣いを謝ったり、どちらかといえば学業面においてやらかしていたのだが。それがバスケに関わるとしたら、もしや補習の通達だろうか。いやまさか。それなら花宮より適任の部員がいる。同じクラスの黒子である。だからといって火神は安心できなかった。花宮の顔色は火神には読み解けない。その花宮が火神を体育館の壁まで連れ出した。</p>
<p>練習を抜け出した。カントクと主将は訳知り顔で見逃した。火神はますます見当がつかない。補習などの通達でないとすれば、やはり部活動に関する内容であるはずで、しかし並大抵のことならば休憩時間に話せばいい。そして、それほどの内容であるならば、ここには花宮ではなく、カントクか主将がいるはずだ。</p>
<p>チームメイトの声と足音、ボールが床をたたく音。まだ三十秒もたたないというのに、バスケットボールに責められている気がしてならない。理由がわからないことも、その気持ちに拍車をかけた。バスケットボールに触りたい。ふと中の先輩と目が合う。木吉だった。彼は火神に笑みだけ向けると、何事もなかったように練習に戻っていく。その奥に見えた相棒は、逆に気づく余裕もないらしい。元より腹を立てることではないが、まあ今の火神にも余裕はなかった。ボール触りてえ、バスケしてえ、次は、次こそ——勝つ。勝つのだ。</p>
<p>「なあ火神」</p>
<p>誠凛高校バスケ部は桐皇学園高校に負けた。インターハイ予選決勝で<em>キセキの世代</em>の青峰大輝に敗北した。完全に。以後も誠凛は桐皇戦の結果を引きずり、一方の桐皇はまもなくインターハイに出場する。優勝候補の一角である。一度でも戦えば、そこに疑いを挟む余地がないことは明白だ。青峰は第二クォーターの終わりに現れ、ウォーミングアップだと言って火神を抜き去り、桐皇の選手さえ置き去りにした。誠凛はコートの五人で束になっても圧倒された。青峰ひとりに。</p>
<p>青峰ひとりに、かなわなかった。</p>
<p>桐皇学園のバスケ部は紛れもない強豪だ。新しい学校ゆえ実績は少ないが、監督を迎え、選手を集めた。そして各分野の実力者がそれぞれ個人技を優先した。チームプレーが重要な五対五の球技で、まったく異色と言えるまでに。しかし各人の高い能力が異色のチームを成立させた。青峰がいなくても機能していた。けれども青峰を獲得した。桐皇にあっても青峰は一人、抜きん出て強かった。</p>
<p>わかっていた、つもりだった。「キセキの世代」がそういうものだと。</p>
<p>——声出し、バッシュ、バスケットボール。一度抜け出すと、火神を誘ってやまない心地のよい騒音。一方で、花宮の声はよく聞こえた。</p>
<p>先輩は、</p>
<p>「おまえカレーつくれるよな。ルーで」</p>
<p>と尋ねてきた。</p>
<p>火神は、</p>
<p>「はい」</p>
<p>と答えた。</p>
<p>はい、つくれます。Yes, I can. イエス、火神はカレーライスをつくれる。カレールーをたくさん使うと、後でたくさん食べられる。特に独り暮らしを始めてからは、全部が火神の分である。はたしてバスケと関係あるのかって、何もないように思われるけれど、火神だけ呼ばれた理由はわかった。花宮が呼びに来た理由も、おそらくは。</p>
<p>花宮と火神は独り暮らしだ。部で二人だけの共通点で、二人の多くない共通項だ。火神は父親の仕事の都合で、花宮も母親の仕事の都合で。そのために二人は自炊をしている。</p>
<p>話のきっかけは黒子だった。家が近所だったんですと、まだ新入部員だったころに報告された。帰り道が一緒になって、と。それを横で聞いていた小金井先輩が、独り暮らし宮は料理上手、なんて話し始める。火神は思わず本人に確認した。花宮はただ同じだなと言って多少のことを教えてくれた。母親が地元で店をやっていること。彼ひとり東京に出てきたこと。</p>
<p>だから自炊をしている。だからルーでカレーライスをつくれる。その連想はよしとして。だからバスケ部の練習のことで呼ばれただって? まさかカレーをつくりながら走り込みをやれとでも?</p>
<p>「そんなバカなことがあってたまるか——です」</p>
<p>火神は思わず大声を出しかけた。うっかり、いろいろ付け足した。</p>
<p>「危険、ですよ、だって、そんなの」</p>
<p>おそるおそる花宮の顔をうかがう。いつもなら即座に「敬語」と一言、厳しい表情をつくる先輩が、今は「ふはっ」と後輩を笑っていた。</p>
<p>「ンなこと、さすがにカントクもわかってる。——カレーつくるときの動作だよ」</p>
<p>「動作」</p>
<p>「ああ。具材を切る、カレーを混ぜる、そういう動作が実はバスケと同じっていう。判断力も鍛えられる。時間感覚も養われる」</p>
<p>「マジ、ですか」</p>
<p>火神は少し納得しかけた。時間は調理のすべてではないが、</p>
<p>「ううん」</p>
<p>「『ううん』?」</p>
<p>「カレーづくりでからだづくり——なわけねえだろバァカ」</p>
<p>火神は先輩を見下ろすことしかできなかった。火神は部では木吉の次に数えられるほど背が高い。そうして大体において見下ろす形になる花宮を今日も見下ろし、見下されていることを確信した。小金井の言うには、花宮には誰も彼もがバカに見えるのだということだが。</p>
<p>「部員に料理を教えてほしい」</p>
<p>マジかよ。花宮の目より高いところで火神はまた声に出す。うっかり今度は英語だった。火神は帰国子女なので、たびたびこういうことがある。同様の理由で日本語も怪しい。会話はできるが、学業成績には影響が出ている。また敬語の扱いも苦手としていた。火神の取って付けたような「です」「ます」を矯正してくれる花宮だが、口をついて出た英語をとがめることはしなかった。だから火神も訂正しなかった。単純にその暇もなかった。花宮がすぐに言葉を続けたからだ。</p>
<p>「合宿の計画がある。夏休みにな。去年もやった。施設を借りて、泊まりがけでバスケの練習。費用はあらかた部費から出るが、予算の都合で飯が出ない。去年は部員でカレーをつくった。今年の飯も、そうなる予定だ」</p>
<p>「ってことは」</p>
<p>火神はたちどころに理解した。</p>
<p>「それが人にものを頼む態度だと——!?」</p>
<p>思わず「マジかよ」の続きも出ちゃった。さすがに日本語だったけれど。</p>
<p>「うん」</p>
<p>花宮は簡単にうなずいた。</p>
<p>おそらくは、こういうことだ。合宿では晩飯にカレーライスをつくる。ぶっつけ本番には不安があるから、事前に——次の土曜日に——カレーづくりの練習をする。そこでの指導を火神も一緒に引き受けてくれないか。ぶっつけ本番を避けた理由は、調理に不慣れな部員がいること。だから逆に日々の自炊で慣れている火神は指導を担う側であると。</p>
<p>「だから断りたければ断ればいい」</p>
<p>「そりゃそうだけど——?」</p>
<p>「粉からつくるってんならまだしも、ルーだぜ。ンなもん合宿でギャーギャー喚いてつくればいいって思うだろ。ウゼェけど。五月の一年合宿でもそうだったんだ。だってのに俺は自炊してるからなんつーアホみてえな理由で料理教室の先生様だ。一生出てくる飯だけ食ってろ、バァカ、俺は毎日練習の後でもつくってんだよ」</p>
<p>それこそ断ればよかったのでは。花宮は火神が返事をする前に見透かしたように遮った。</p>
<p>「それでも練習は必要だという結論に至った」</p>
<p>「ナンデ!?」</p>
<p>驚く後輩に、一転、真顔を形づくる先輩。</p>
<p>「俺らは今年も練習をしなくちゃならない」</p>
<p>「いや、だから」</p>
<p>「俺は引き続き先生をやることになる。今年は一年が入ったから、おまえと分担できればとも考えたが、俺ひとりでも監督は可能だろう。家庭科室を借りる都合上、土曜は顧問の武田先生もいてくれる。自分の面倒だけ見ていられるなら、他にもカレー程度つくれるやつはいる。死傷者は出ないはずだ。そもそも合宿で実際に飯をつくるのは、——カントク主体の予定だからな」</p>
<p>火神は眉を上げた。てっきり花宮と二人で引き受ける羽目になる予想だった。しかし、よかったと胸をなで下ろすより、カントクに対する申し訳のない思いが先立つ。昨年から単純に一学年が増えたのだ。具体的には火神ら後輩が計五名。自分でつくるときは一人も八人も十三人も大差ないと考えるけれど、バスケ部で過ごした三か月と花宮の口ぶりから察するに、カントクは「不慣れ」な部員であある。</p>
<p>すると花宮は、また見透かして、</p>
<p>「そのカントクが合宿だからって張り切ってキッツい練習を組むから、俺らはおそらく台所に立つことすらままならないだろう、っつー予定」</p>
<p>やはり終始、真顔である。</p>
<p>「まあカントクも、俺らと差はあっても疲れることは間違いない。万が一ということもある。だから全員がカレーをつくれそうになっておくことには意味がある。とかなんとか理由をつけて練習に持ち込んだから、今年も当然するものだとカントクが考えての、次の土曜だ」</p>
<p>火神はどこか不安な気持ちになってきた。花宮の顔も今日は特に陰気に見える。妙な言い回しのせいだろうか。死傷者が出ないはずなどという言葉選びは、物騒そのものの先輩の言い回しとしても、かなり大げさな部類である。もちろん台所には命の危険がありふれているけれども、だ。</p>
<p>ぐるぐる渦巻くような思考に、身に起こったわけでもないのに目を回しかけていると、ふはっと笑う声がした。それで火神はなぜか途端に落ち着いた。花宮は安心を与えようとしたわけでもないだろうに。絶対に。しかし火神は穏やかな思考を取り戻せたので、答えを待たれていることも思い出した。</p>
<p>「どうして先輩が来たんですか」</p>
<p>それでも火神は答えなかったが。先輩は答えた。</p>
<p>「おまえカントクとキャプテンに頼まれて断れるか? 家庭科の教科書を読んでこいって言えるか? ただでさえ先輩の<em>監督</em>と<em>主将</em>だぞ? ——俺は言えた。そのうえで面倒を見てやった経験から、あと一人でも八人でも十三人でも増えたところで大差ないと結論を出した。先に、もう一度言っておく。俺ひとりで十分だ」</p>
<p>花宮先輩。火神は思わず呼んでいた。先輩は火神の名前のかわりに、それに、と続けた。</p>
<p>「おまえが今ここで何と答えようが、どうせ一年は二年よりまず同じ一年を頼るだろうしな」</p>
<p>「花宮——先輩」</p>
<p>花宮に、じっとにらまれる。指摘される前に言いなおす。ハァとため息を返される。</p>
<p>「どうなるにせよ、おまえには話を通しておくべきだった。一年も二年も全員おまえの自炊は知ってるからな。一年にも自分の面倒くらい見れるやつはいるだろ。去年は水戸部とコガが安定してた」</p>
<p>「へー。水戸部先輩は納得、ですけど」</p>
<p>「コガはいろいろ器用なやつだ」</p>
<p>「勉強とか?」</p>
<p>「バスケもな」</p>
<p>答えた花宮は練習風景に目をくれた。火神が追いかけた視線の先には小金井がいた。このバスケでも器用な先輩は、昨年は誠凛のシックスマンだったという。その練習の手が急に止まった。時を同じくしてカントクの声が体育館に響く。休憩にしましょう。火神は、そろりと花宮を見た。先輩はこれで終わりだと言わんばかりの顔をしていて、</p>
<p>「悪かったな」</p>
<p>「べつに謝られるようなことじゃ」</p>
<p>火神は即座に否定する。練習に戻りたかった気持ちは否定できないけれど、話を聞く前に想像していた内容より、ずっとバスケ部に関係していた。他の一年に先んじて合宿開催を知れた優越感もある。何より、これは先輩からの配慮だった。</p>
<p>ボールの音は、ぱたぱたやんだ。やんだところからチームメイトがコートを出ていく。それの最初を小金井が飾り、最後を黒子の死に体が飾った。</p>
<p>黒子は火神の相棒で、部の誰よりも体力がない。今も、歩けていることが不思議なくらいだ。最上級生が二年生とはいえ先輩を差し置いてまでスターティングメンバーとして数えられるような選手なのに、黒子はバスケの技術も基本的に高くない。この事実は誠凛の選手の実力不足を意味しない。ただただ黒子が特殊なのだ。彼はこうも呼ばれている——。</p>
<p>「でも桐皇の話じゃなかったろ」</p>
<p>——幻の<ruby>六人目<rt>シックスマン</rt></ruby>。</p>
<p>キセキの世代のシックスマンだった。黒子はかつて青峰と同じチームにいた。</p>
<p>桐皇との対戦に当たって、黒子は青峰のことをチームメイトに話した。特に火神はよく聞いた。相棒の過去であることは理由になったが、元より青峰は火神にとってマッチアップの相手だった。プレーの共通点も多い。フォワードでエースで、火神は黒子の相棒で、青峰も黒子の相棒<em>だった</em>。黒子は青峰をよく知っている。同じことは対する青峰にも言えたのだが。</p>
<p>さて黒子が青峰のことを話したように、花宮も桐皇の主将の話をした。今吉というポイントガードだ。中学時代の花宮の先輩だったそうだ。二年生はもちろん、一年生も皆が知っている。例によって最初は小金井に教えてもらった記憶もあるが、先の決勝での対戦前には花宮本人から説明された。あれがすべてだと、今、目の前の先輩が振り向く。</p>
<p>「聞きたきゃ何度でもコガに聞け。俺がうんざりして見えるなら、おまえらのせいじゃない、あいつのせいだ。それだって、どうせ中学の間の話だが。こっち来たとき機種変ついでにデータが消えたんで、今の先輩の連絡先も知らねえよ。桐皇の内部事情なんざ知るわけもない。何なら新情報は去年の冬の予選の試合だし、こないだの予選だ。——あの妖怪、性格悪かったろ」</p>
<p>「まあ素直って感じじゃあ、なかった、かもしれないです」</p>
<p>花宮はたびたび今吉を妖怪と呼んだが、正直なところ印象は薄い。顔を見ればわかる、声を聞けば気づく。あの桐皇で正ポイントガードをやっているだけのことはある。バスケの技術は高かった。桐皇は青峰がいなくても手強かった。だが、すべてが覆るほど、ただ青峰が強かった。青峰がすべてを上塗りした。誠凛は負けた。ダブルスコアがつかなかった、それだけの圧倒的な敗北だった。</p>
<p>「勝てば官軍」</p>
<p>「なんすか」</p>
<p>「今吉さんの、好きな言葉だ。あの人、勝つために桐皇に入ったんだぜ。キセキのエースを獲得できるって」</p>
<p>「——あの人、三年ですよね」</p>
<p>「おまえや青峰の二つ上だな」</p>
<p>「青峰がどこ選ぶかなんて、わかります?」</p>
<p>「だがキセキの世代のエースは桐皇学園にいる」</p>
<p>「そうっすね——?」</p>
<p>「——ま、桐皇のことが知りたきゃ黒子に聞け。青峰もそうだが、桐皇にはキセキのマネージャーもいるだろ」</p>
<p>火神と花宮はその休憩時間を共に過ごして、終わると二人で練習に戻った。合宿の話は、その翌日にカントクの口から発表された。夏休みの最初と最後に二回やると。一年生は驚いた。火神も一緒に驚いた。一回きりの想定だった。ただし大いに納得できた。予算が問題視されるわけだった。</p>
<hr>
<p>「前に渡した練習日のどこかが合宿に変わる予定よ。まだ調整できるから、相談にくるなら早めにね。あとは、そうね、お盆の時期にはかぶせないわ。安心してて」</p>
<hr>
<p>土曜日までには、合宿の日程は決まらなかった。決定は月曜日になるだろうと言われた。カレーライスは昼食になった。小腹がすくころ、空の調理室に、制服とエプロンのバスケ部が入った。部員の他は、部屋の隅に顧問がひとり。そこで生徒の調理を見守る役だ。カレーライスは一年生がつくったものを食べたいと、先生は自ら主張した。二年生のものは昨年に食べたから、と言っていた。</p>
<p>だからというわけでもないが、生徒は学年で分かれ、さらに二年生は二班に分かれた。花宮はカントクと主将と伊月と一緒だ。事情を知る火神は、つまりあの中に料理の苦手な先輩が、と目で追ってしまったけれど、すぐに自分たちのことで忙しくなった。花宮の言ったとおりである。一年の四人は、まず火神を頼りにきた。班分けも理由の一つだろう。とはいえ特別に注意が必要な者がいるでもなく。</p>
<p>バスケ部は無事にカレーづくりを終えた。火神の素直な感想だ。小さな問題も起きなかった。カレーライスはうまかった。先輩たちもカレーライスをおいしそうに食べていた。その後の片づけまで含めても怪我人ひとり出ていない。先日の花宮はやはり大げさだったのだ。強いて挙げるとするならば、黒子の影が台所でまで薄かったので、ひやりとした。それくらいだ。顧問が、おいしかったですと、火神にほほ笑んだ。</p>
<p>「去年は花宮先輩のを食ったんですか」</p>
<p>「まさか。去年は水戸部くんたちにもらいました」</p>
<p>何が「まさか」だろうと火神は首をかしげたけれど、その答えは聞けなかった。</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-3/n-2.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
夏 – ある年(二) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:05+09:00
<h1>春</h1>
<p>入ったばかりのバスケ部に知らない後ろ姿が二つ。その片方が<em>ぎょろり</em>と振り返った瞬間、隣の新入部員も硬直した。黒子テツヤは、はっとする。決して表情には出なかったけれど、うれしくなって隣のチームメイトを見上げる。かつてのチームメイトと同様、強者はやはり強者を知る。火神大我は本物だ。そして黒子も改めて振り返った顔を観察した。後ろ姿は知らなかったが、二人のことは知っていた。このバスケ部の二年生だ。</p>
<p>「ご挨拶だな」</p>
<p>まず振り返った彼が口を開いた。バスケ部らしい運動着、体育館を歩く足取り、身長は黒子より十センチ以上も大きく、バスケも十倍以上うまい。黒子は知識を持っていたが、横の火神は肌で感じた。闘争心が急速に燃え、拳を握る。バスケしようぜ。ンだとコラ。黒子は火神の推移をいち早く算出し、そのどちらもが飛び出す前にと声を出した。</p>
<p>「火神くん」</p>
<p>見上げた顔が、すると今度はぎょっとした。黒子のことを思い出したのだ。ずっと黒子に立っていたのに、何なら教室から一緒だったのに。そう黒子が内心でむっとしたときには、二年生のもうひとりも振り返っていて、</p>
<p>「出た!」</p>
<p>ウワッと叫んで、のけ反った。声量より何より体格が彼の反応を大げさに見せる。校内でも高身長の部類だろう隣の二年生を優に上回る身長百九十センチ超。</p>
<p>「おい木吉」</p>
<p>「はっ、花宮!」</p>
<p>「二人は新入部員だ、バァカ」</p>
<p>「そうか、幽霊部員が二人も」</p>
<p>彼は木吉。木吉鉄平。中高バスケの有名選手だ。そして隣で花宮真が剣吞な目つきをくれている。</p>
<p>「木吉、幽霊部員は幽霊じゃない」</p>
<p>「たしかに——ってことは、おまえたち、まさか」</p>
<p>ハァ。花宮がため息をついた。</p>
<p>「すまないな、黒子くん」</p>
<p>「構いません」</p>
<p>黒子は答えた。実は中学時代、幽霊部員にされたことがある。黒子は皆勤賞のつもりだったが、夏前に突然「最近、黒子を見てないよな」と。さすがに慌てて自己主張をして、部誌や名簿を確認してもらった。思ったとおりデータ上も黒子は皆勤賞だったので、幽霊部員騒動は事なきを得た。</p>
<p>「いや、それは構えよ」</p>
<p>「皆勤賞も取りましたから。あれは風邪で休んだ翌日——」</p>
<p>あと一日で皆勤賞。肩を落として登校したのに、いざ発表された皆勤賞には黒子の名前も連なっていた。後で正直に申告したのに、賞は取り下げられなかった。黒子は絶対に出席していた、とは当時の担任の曲がらぬ主張だ。</p>
<p>正直に言って慣れっこなのだ。こういうことは。この現象は。黒子は生来、影が薄い、らしかった。欠席も早退も遅刻もバレない。かわりに本当にはぐれたときに、なかなか見つけてもらえない。中学時代、体育館に幽霊が出るとうわさが立った。クラスメイトが<em>出る</em>とささやくので、部活終わりの自主練の際には多少なりとも身構えていたのに、うわさの正体は黒子だった。</p>
<p>「慣れればこっちのものですよ」</p>
<p>「なるほど、悪いことばかりじゃないらしい」</p>
<p>花宮が一度、火神を見た。</p>
<p>「けど、いいことばかりというわけでもない」</p>
<p>黒子から目をそらしたのだ。</p>
<hr>
<p>「もうひとりなら殺してた」</p>
<hr>
<p>花宮は記憶力がいいんだ、という謎の言葉に見送られ、火神と黒子は二年生と別れた。すると、すぐに火神がささやいた。</p>
<p>「なんだよ、あいつ、ヤバいんじゃねえの」</p>
<p>「先輩ですよ」</p>
<p>黒子はたしなめたが、二十センチも高い所で「けどよ」と火神がまだ言った。たしかに物騒な言葉だった。</p>
<p>「もしかすると怖がりなのかもしれません」</p>
<p>「そんなふうに見えたかよ——?」</p>
<p>「いいえ、ちっとも。火神くんは?」</p>
<p>「——やる、やつだ。って」</p>
<p>「実際、強い選手ですからね」</p>
<p>誠凛高校バスケ部を全国に導いたプレーヤーだ。</p>
<p>「全国?」</p>
<p>「全国です。誠凛高校はインターハイとウィンターカップで全国に進出したチームですよ」</p>
<p>「でもここ、去年は一年だけじゃ」</p>
<p>それでも新設校の新設部は一年生だけで激戦区東京を制し、全国大会に出場した。ウィンターカップはベスト8。調べたら簡単にわかることだが、火神は日本のバスケ事情に疎いらしい。</p>
<p>疑わしい気持ちも理解はできた。誠凛高校には有名な監督がいない。体験入部でカントクを名乗って出てきた人物は、なんと一学年上の女子生徒だった。結局、バスケ部目当ての新入部員は皆無に等しい。黒子でさえ彼らの実績に重きを置いて学校を選んだわけではない。</p>
<p>しかし入ってみたら、彼らの実績は、まぐれではないことを期待できた。カントクも期待以上の能力を伴っており、何より火神と出会うことができた。火神には才能があった。今はまだ<em>かつてのチームメイト</em>には遠く及ばない。だが、きっと火神は紛れもなく本物のバスケの天才なのだ。最大の、うれしい誤算だ。</p>
<p>黒子は、ちらりと「誤算」を見上げる。百九十センチは、それほどの身長で、身体能力も人並み外れて優れている。おまけにプレースタイルが、黒子のそれと相性がよい。プレースタイルに関していえば、黒子のプレーは特殊だった。</p>
<p>うれしい誤算は脇で、へえ、と気が抜けたような返事をして、慌てて首を横に振る。</p>
<p>「いや、この学校がどうとかじゃ」</p>
<p>「何か気になることでもありましたか」</p>
<p>「——あっちの花宮、先輩っていったか。ええと、ほら、どうして、おまえが黒子だってわかったんだろうな」</p>
<p>「それは——」</p>
<p>黒子は体育館前方に目を向けた。二年生が舞台の前に集まっている。僕らも急いで行かないと。思いつつも、木吉を見つけた。木吉の横に花宮もいた。そして、そのとき花宮が、ぎょろりと、こちらを振り向いた。黒子は<em>またも</em>呼吸を止める。さっき話したときも、そうだった。花宮に見られた気がしたのだ。</p>
<p>気のせいだ。さっきの黒子は、そう片づけた。彼はプレースタイルを磨く過程で<em>光</em>を意識するようになった。生来より薄い彼の影は「光」によって、より薄まる。黒子が注目されないことは、他者が注目されることだ。他者が注目されることは、黒子が注目されないことだ。たとえばバスケの試合なら、高身長、高得点、実力者、バスケットボール。中学以来、黒子の影は意図して薄められている。</p>
<p>気のせいだ。再び言い聞かせたとき、火神が同じところを見た。黒子も改めて前を見た。二年生たちが変わらず、いた。花宮とは目が会わなかった。俺らも行こうぜ。火神が走る。遅れまいと黒子も続く。——黒子は影を薄めるために、たいてい「光」を利用する。注目を集める人物は、黒子の存在感を奪ってくれる。だから仮に誰かが黒子を見るような行動を取っても、実際には「光」を、隣の火神を見ただけなのだ。</p>
<p>火神が走ったことに気づいて、主将が新入部員を集めた。集まった一年は、体験入部から随分と減った。主将も数えていたけれど言及しようともしなかった。かわりに花宮と木吉を呼んだ。</p>
<p>「一年は初めてだろうから紹介しとく。うちの二年の木吉と花宮だ。どっちも強化選手で結構うまいから、それなりに頼れ。次!」</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-3/n-1.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
春 – ある年(二) – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:04+09:00
<h1>冬</h1>
<p>創部一年未満と表すから短いように感じられるのであって、もう半年もなく二年生になると言い換えたらどうだろう。高校一年生が高校二年生になる。それだけの月日が流れた。いや流れようとしている。短いようで長く、長いようでまだ短い。それでも木吉が創った誠凛高校バスケ部は、ついにウィンターカップ予選に出場した。</p>
<p>いろいろなことが、あった。</p>
<p>相田が<em>カントク</em>になった。創部に際して誘いをかけたトレーナーは、他に部員もない運動部ではマネージャーらしい役目を多く引き受けてくれたが、トレーナーとして練習を一から組み立ててくれて、試合に当たっては分析し、なし崩しに<em>監督</em>のように働いた。妥協ではない。彼女に、そうして采配を取る能力があったということだ。新設校の新設部にとって、うれしい誤算のひとつである。</p>
<p>それでインターハイ予選の初日の朝か夕方か、小金井が呼んだ。「カントク」と、おもしろ半分に。すぐに花宮も乗っかったが、他の部員にも異論はなく、本選のころには土田もカントクと呼んでいた。小金井の言葉を信じるなら、水戸部ももう少し早くに相田をカントクとして扱っていて、今や伊月自身も例外ではない。</p>
<p>相田には元々、選手を育てる能力があった。日向や伊月のように同じ中学で運動部だった者は実体験として知っている。伊月はこのことを単にスポーツジムの娘の出自で納得していたのだけれども、彼女が相手の<em>ステータス</em>をひと目で数値化できることは高校生になって初めて知った。現在の能力値のみならず、その伸びしろまで見えるようで、中学時代の助言もそれら「ステータス」に則っていたのだという。</p>
<p>目に見えるというステータスは、誠凛高校の戦略にも生かされた。相田は対戦相手のステータスも見抜いた。見抜いたステータスを加味して分析し、その独自の分析に基づいて戦略を立てた。そして彼女の戦略が、おおむねチームの戦略だ。初めての練習試合から、ウィンターカップ予選まで。ずっと相田が監督だった。</p>
<p>伊月は、相田とはよく話した。初めて練習試合をするときから、彼女は戦術を話し合う相手だった。伊月のポジションは引退後よく指導者に転じるというポイントガードで、チームでは司令塔として機能することを求められている。視野の広さは、はっきり彼の強みである。これだけは部員の誰にも負けない。彼にはポイントガードの適性がある。しかし、それは花宮のことだった。</p>
<p>花宮がポイントフォワードになった。この冬のことだ。ウィンターカップでの彼は、フォワードの位置で、ポイントガードの仕事もする。彼には、はっきり才能があった。秋の終わりには、相田と戦術を話し合う姿も珍しくなかった。小金井は時々「監督宮」と呼んでいる。ポイントガードの選手は引退後よく指導者に転じる。そして伊月が相田に提案した。</p>
<p>花宮はポイントフォワードになった。指導者の適正も強く示した。だが、ポイントガードが伊月である以上に、監督も相田である。選手の微細な伸びしろも、本人にとってさえ違和感未満の不調でも、相田は余さず管理する。彼女も、さらに成長したのだ。インターハイ以降。木吉の一件、それ以降。</p>
<p>すべては木吉の一件以降。相田がカントクになり、花宮がポイントフォワードになり、三歩歩けばトラベリング、一本外せば真っ二つ。木吉の一件はチームメイトの誰をも変えた。誠凛高校バスケ部は誰もが変化を余儀なくされた。伊月も日向も例外ではない。</p>
<p>日向は主将としてシューターとして、シュートを二度と外さない誓いを立てた。以来一度も日向が——シュートを外さなかった試合はない。当然だ。彼は数えられても秀才であって、天才ではない。釈明などしなかったけれど。かわりに彼は特訓し、己を罰した。</p>
<p>シュートを外した試合のたびに、つまりは毎試合後、趣味の収集品を破壊した。家で壊したと言えばよいのに、いつも必ず部員の前で真っ二つにした。この予選でも、試合の数だけの残骸を積み上げている。</p>
<p>「どうした伊月」</p>
<p>「ううん、なんでも」</p>
<p>伊月は答えて、その場所から目を背ける。疲労のせいだと思われただろうか。日向は、そうかと言って黙った。疲労が、にじんだ声だった。冷たい風が頬を、なでる。冬だ。小金井が、わかりきった愚痴をこぼす。寒い、帰ろう、今日も疲れた。今日も疲れた。明日も日向は趣味の収集品を破壊する。今朝ちょうど、ここの右手に集合して、皆の前で二つに折った。残骸の前で、ずびずび泣いた。そして今日も勝ち進んだ。</p>
<p>なんともはや成果は出た。思わず小金井が続こうとして止められた。小金井は食い下がらなかったけれど、日向は明日も続けるだろう。</p>
<p>「それにしても、頭が変になりそうだ」</p>
<p>ずびずび号令をかけた日向は、コートではしかし高確率でスリーポイントを獲得する。いや、それよりは、長くないながらも一定時間すべてのシュートを成功させる、というべきか。</p>
<p>「キャプテン、頼むから気だけは確かにな」</p>
<p>そういう時間が時々あって、そのたび時間を伸ばしている。最初に言及した部員は花宮だった。</p>
<p>「ダァホ、変な心配してんじゃねえぞ。縁起でもない」</p>
<p>「でも実際さ、日向、今日もキレてたんでしょ」</p>
<p>「キレちゃいねえよ」</p>
<p>「いやキレてたろ」</p>
<p>「顔怖かった」</p>
<p>「声怖かった」</p>
<p>小金井と花宮が口々に言う。キレちゃいねえよ。日向が再び否定する。関わらないで、伊月も、いいやと内心で首を横に振る。日向の<em>時間</em>の引き金は、本人がどれだけ否定したって、きっと「キレる」ことだった。</p>
<p>ウィンターカップ予選ともなると、対戦相手の気迫たるや、あたかも呪詛のごとしであった。</p>
<p>ウィンターカップはインターハイより門戸が狭い。東京予選の出場権は、インターハイ東京予選の上位校に与えられる。激戦区東京。全員が強敵なのだ。そのうえ彼らは、この大会のために調整、仕上げ、またさらに、ほとんどの三年生が、この最後のゲームに賭けてくる。三年生の最後の大会、三年生との最後の大会。誠凛高校にありえない動機は、時に声に出して伊月らを呪った。——おまえたちには次がある。</p>
<p>それでも日向はスリーポイントを取り続けた。その時間は大抵、戦況が悪いときに訪れた。決まって彼は別人のように険しくなり、表情も、声色も、しかしまずは彼自身に向けられる。シューターは得点を期待されるポジションだ。そのうえ彼は主将だった。もちろん敗北は日向だけの責任ではない。だが、誰もが訴えたとしても、日向は首を横に振るだろう。木吉と、バスケ部全員で日本一になれなかった。</p>
<p>日向と同じ後悔を部員の誰もが抱えている。</p>
<p>次などない。</p>
<p>一年生たちは勝ち続けた。いつでも三年生は彼らを前にして破れ、最後の試合を終える側だった。日向は明日も収集品を破壊する。誠凛はついに予選決勝に進出した。誠凛の他には、泉真館、秀徳、桐皇学園。</p>
<p>「桐皇学園って?」</p>
<p>準決勝の終わり、更衣室を出る頃の話題は決勝の対戦相手だった。特に桐皇学園高校。泉真館と秀徳とは異なり、桐皇学園とは対戦経験がない。</p>
<p>「うちほどじゃないにしろ新しい学校だけど、泉真館、秀徳ほどじゃないにしろ実力はあるって話は聞くな」</p>
<p>聞いた話だが、近年、優秀な監督を迎えたり、選手のスカウトに力を入れたりしているらしい。誠凛の成績がそうであるように、桐皇学園の成績も決してまぐれではないということだ。</p>
<p>「強いんだ」</p>
<p>小金井が質問とも確認とも取れぬ語調でつぶやいて、一同は廊下の終端に差し掛かる。</p>
<p>急に先頭の日向が足を止めた。</p>
<p>「すみません」</p>
<p>人に衝突しかけたらしい。日向の前に見知らぬ高校生が立っていた。顔と服装から学校の名前を探る間に、</p>
<p>「強いよ、桐皇は」</p>
<p>見知らぬ男子が<em>返事</em>をした。そして伊月は彼のジャージから正体を突き止める。学校の名前には覚えがあった。今日の対戦相手である。うちは新設校じゃないからと、相手は自虐的に切り出した。</p>
<p>「試合には出られなかったんだ。あんたらと同じ一年だよ。——なあ、花宮」</p>
<p>「ああ」</p>
<p>花宮が小金井の横から一歩、前に出る。</p>
<p>「なあ、おまえ花宮だよな」</p>
<p>「うん、久しぶり。卒業式、以来だね」</p>
<p>猫宮だ。口の動きで小金井がささやく。配慮したというより、声が出なかっただけだろう。伊月もそうだ。</p>
<p>驚くチームメイトに気づいてか気づかずか、花宮が振り返って紹介する。「同じ中学だった——」と。紹介された人物は「同じクラスだった」と訂正した。</p>
<p>「だって、そうだろ。なあ花宮、クラス全員で卒業したよな」</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
冬 – 高校一年 – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:03+09:00
<h1>秋</h1>
<p>夏休み明け、登校したら、クラスメイトがじっと見てきて、おめでとうと口々に言った。もてはやされた。ちやほやされた。先生たちも、居心地の悪そうな部分を見せながらも、誇らしげな様子でバスケ部に言葉をかけた。一方、当のバスケ部は、とっくに、いつもの練習三昧だ。新入部員数名は誰も定着しなかった。いつのまにか秋になった。いつか周囲の関心も薄れていた。</p>
<p>それでも誠凛高校バスケ部は、目まぐるしくもバスケットボールをついている。</p>
<p>バスケ部の一年は、夏では終わらない。秋も大会。冬も大会。高校バスケは、もうまもなくウィンターカップに突入する。</p>
<p>「インハイと国体に並ぶ最重要大会——だっけ」</p>
<p>そらんじるような言葉であったと、小金井は否定しない。今日も今日とてバスケットボールにもてあそばれた、未経験組のひとりである。いや練習は重ねてきた。ルールも基礎も体に刻んだ。もはや夏とは比べるべくもないだろう。絶対に、確実に。それでも時々いやしょっちゅう、未知の学生バスケ事情が小金井の前にやってくる。</p>
<p>ウィンターカップが高校バスケの最重要大会のひとつである、とかのことだ。名前くらいは知っていた。季節もわかった。冬の大会だ。秋の終わりの予選に勝ったら、冬の初めの本選に進める。最近の練習は、この大会を念頭に置いた内容だった。ウィンターカップまでに、と言われない日は皆無に等しい。ただ、このことを小金井は、単に次の大会だと認識していたのだけれども。</p>
<p>「知ってた? カントク、ウィンターカップに向けて調整してくれてたんだって」</p>
<p>次の大会に向けて、ではない。秋の前から、夏の前から、創部からこの方。敵は一年をかけて、このウィンターカップに向けてステータスを仕上げてくると、考えておく必要があると。今日の練習の合間に、話の流れで聞かされた。もちろん私たちもね、と。小金井は飛び上がって声まで上げた。</p>
<p>のに。部活帰り、隣を歩く花宮は反応が薄い。</p>
<p>「そりゃ、まあ高校バスケだし」</p>
<p>それどころか当然のごとし肯定である。</p>
<p>「上目指してりゃ、どこもそうなる」</p>
<p>小金井は目を見開いた。まったく同じ言葉を、これまた例の話の続きに聞かされたところであった。逆隣を見ると、水戸部が花宮と目を合わせて、困ったようにうなずいていた。どうせ花宮が俺をバカにしてるんだ。小金井は構わず水戸部に泣きつく。</p>
<p>「花宮との断絶を感じる!」</p>
<p>水戸部は今度、小金井を見下ろして困ってくれた。大変だなと、背中から聞こえた。小金井は振り返って指を差した。</p>
<p>「花宮、本当はバスケ部出身!」</p>
<p>「帰宅部だったが」</p>
<p>「うっそだあ」</p>
<p>「ンなわけねえだろ、指差すな」</p>
<p>花宮、にらむ。小金井、腕を下ろす。水戸部、困り続ける。花宮が、小金井よりうんと高いところに目線を上げる。そして、わかったと言って、小金井のところまで目線を下ろす。</p>
<p>「いいか、最後だ。コガは耳の穴かっぽじって、よーく聞いてろ」</p>
<p>「えっ待って」</p>
<p>小金井は手を突き出して制止した。花宮は待ってくれた。小金井は息を吸った。吸って、吐いた。吐いて、吸った。耳の穴もかっぽじった。創部から半年以上、つまり花宮との付き合いも半年以上。その半年で学んだことのひとつだが、花宮の「最後だ」は、それで本当の「最後」を意味する。花宮は待ってくれた。小金井は軽く伸びをして、やっと「いいよ」と手を下ろした。</p>
<p>「中学でバスケ部に入ってた先輩に、バスケを教わったり遊んだり、学生バスケ事情も散々聞かされました。終わり」</p>
<p>「終わり?」</p>
<p>「終わり。っつーか、初めてじゃねえだろうが。何度も言わすな。これで最後だ」</p>
<p>「だって!」</p>
<p>「——水戸部も大変だな」</p>
<p>花宮が、また小金井より高いところを見上げた。水戸部が頭を振る気配がした。なんだよと、あくまで花宮をにらむと、花宮が、また小金井を見下ろす。</p>
<p>「水戸部とコガは中学からの付き合いなんだろ」</p>
<p>「だから?」</p>
<p>「だから」</p>
<p>花宮が口元だけで笑ってみせた。水戸部を見ていた。水戸部は首を横に振った。</p>
<p>「俺にもわかるように話してよ、バカ宮!」</p>
<p>「いつも言ってるけど、それ頭悪そうだよ」</p>
<p>「ムキーッ!」</p>
<p>花宮なんか!</p>
<p>バカにされていることは知っていた。花宮は、よくバカにした。そういうときの花宮のことが、苦手だった。バカにされることは嫌なことだ。出場する大会に向けて練習を重ねることと同じように当然に、バカにされたくはないのである。花宮なんか嫌いだと、口に出して伝えもした。しかし、それで距離が遠ざかることにはならなかった。むしろ近づいた。小金井は、バカではない。けれども。</p>
<p>きっと張り合う気になれないだけだった。</p>
<p>「花宮は違うんだ」</p>
<p>花宮と小金井の間には明白な断絶がある。</p>
<p>「ううん、つっちーとも違う。水戸部とも、日向とも伊月とも違う。カントクとも違う。みんな言ってる。なあ花宮、おまえ才能あるよ。バスケットボールの、才能」</p>
<p>「そうかもな」</p>
<p>花宮は否定しなかった。小金井は驚いた顔をしたのだろうか、すぐに次の言葉が訪れた。</p>
<p>「先輩に、かなり言われたから」</p>
<p>初耳である。が、意外な事実というわけでもない。花宮の才能は、もはや六か月目の小金井の目にも明らかな事実だ。まがりなりにもバスケ部で、なおかつ直接に教えたという「先輩」なら、もっと早くに気づけたはずだ。そうと知れたとき、どんな気持ちがしたのだろうか。小金井は水戸部との会話を思い返した。夏の大会の最中だった。あのとき水戸部は珍しいことに、たかぶっていて、</p>
<p>「『才能はあるけど天才やない』」</p>
<p>逆に小金井が秋の大会の終わりに、花宮は天才だと気づいたとき、水戸部はどんな顔でこたえてくれたんだっけ。</p>
<p>「言われたの?」</p>
<p>「たしかに俺は、他人のプレーをひと目で完璧にモノにすることはない。スリーポイントは入らないことがある。姿勢が崩れたら得点はできない。ゴールポストを触りたければ、助走をつけて跳ばなきゃならない」</p>
<p>「それは——」</p>
<p>木吉にだってできなかった。</p>
<p>「——どういう先輩だったのさ」</p>
<p>「想像と違った?」</p>
<p>「違った! もっと、こう、アットホームな先輩だと思ってた!」</p>
<p>「それこそ、どんなだ」</p>
<p>「じめじめ気難しくて近寄りたくない友達ゼロ宮のことを、見兼ねて嫌がらないで構って遊んでくれるような、——優しくて憧れられる先輩! ザ・学年の垣根を越えた心温まる友情!」</p>
<p>「おお」</p>
<p>「実は闇宮は、憧れの先輩とバスケで戦いたくって、誠凛高校バスケ部に入ったのである!」</p>
<p>「不正解だ」</p>
<p>不正解なんだ。意気を落とした小金井に、花宮が呆れた目を向ける。</p>
<p>「正解は?」</p>
<p>「苛々してた上級生が、つい握れた新入生の弱みをネタに、鬱憤を晴らしたり、暇を潰したり」</p>
<p>「弱み」</p>
<p>小金井が復唱する。もう無効だと、あっけらかんと返ってくる。うーん本当に一から十まで想像と違う。</p>
<p>「その先輩は今もバスケ部?」</p>
<p>「あの人の進学先も知らねえよと言いたいとこだが、たぶんウィンターカップに出てくるな」</p>
<p>「えっ」</p>
<p>「俺の『憧れの先輩』に予選で会えるってことだ」</p>
<p>「しかも都内!」</p>
<p>「インハイでも予選にいた」</p>
<p>「強いの?」</p>
<p>「性格悪ィんだよ」</p>
<p>花宮より? そう聞く前に、自動販売機が目に入った。小金井は急に喉が渇いて、声をかけて買いに駆け寄る。いくつかの操作の末に購入を終え、振り返ると、背後に待たせた二人がそびえ立っていた。長い影が伸びていた。先に背の高いほうがボタンを押して、背の低いほうは後に手を伸ばす。そうは見えても、どちらもやすやすと小金井の頭上を過ぎる。水戸部はもちろん、花宮だって背が高い。</p>
<p>三人が三人、立ち止まって、思い思いに飲み干した。再び歩き始めるまで、誰も一言も口をきかなかった。</p>
<p>「花宮、才能あるからってバスケ始めた?」</p>
<p>「その影響は否定できない」</p>
<p>最初の疑問は、曖昧な肯定に迎えられた。じゃあ、と小金井は別の名前を出してみた。花宮の入部の経緯は、一応は部員全員が知るところである。木吉である。木吉が誘ったのだ。木吉に誘われたのだ。そして花宮は、これも否定はしなかった。じゃあ。小金井は再び理由を探そうとした。それを遮るように花宮が言った。</p>
<p>「特別な理由がなきゃ、俺はバスケやっちゃいけないのか」</p>
<p>「そんなこと!」</p>
<p>思わず大きな声が出る。そのことに小金井は自分で驚いて、花宮と水戸部の顔を見て、ほっとして言い直す。</p>
<p>「そんなことは、もちろん、ない。けど」</p>
<p>それでも言葉尻は、こうなった。</p>
<p>「ふはっ」</p>
<p>花宮が嘲笑した。</p>
<p>「コガのわりには上出来だったぜ」</p>
<hr>
<p>「とんでもないやつを拾ってきたもんだ」</p>
<p>日没の歩道で、日向はこぼした。</p>
<p>返事はなかった。</p>
<p>「天才には天才がわかるってのか?」</p>
<p>以前にも聞いたことを、再び口にした。あのときの「天才」は、やるやつだと思って、などと答えやがってくれたのだが。</p>
<p>日向は、たぶん絶対確実に、よい気持ちがしなかった。だって木吉は、日向のときは、携帯の背景画像がきっかけだった。日向の携帯の背景の、バスケの選手の写真がだ。日向は経験者だったのに。花宮のことは未経験だったにもかかわらず、ひと目見てわかったという。花宮は花宮で、接点があった先輩が、などとほざきやがるし。</p>
<p>——これだから俺は木吉が嫌いだ。</p>
<p>日向は、たびたび、そういった。そのたび木吉は笑ってこたえた。日向は、ますます嫌いだと思った。</p>
<p>だが、木吉には笑顔が似合った。今日はウィンターカップに向けて新しい連携を練習した。それが一度うまくいって、嬉しくて声を上げて、ハイタッチまでしようとして、目の前にあった顔を見た。そのときになって気づいたのだ。木吉の朗らかな表情が、チームに安心をもたらしていたのだ。木吉とやるバスケットボールは、とても楽しかった。</p>
<p>——無理してリバウンドしくじって大怪我になって、インハイそこそこで俺らとのバスケを終わらせたいってんなら、話は別だが。俺は、おまえがいないバスケ部なんか、ごめんだぜ。とっとと診察と治療を受けて、新人戦かウィンターカップか、来年にでも戻ってこい。出場権くらい、おまえがいなくてももぎ取れる。</p>
<p>「やっぱり、とんでもないやつだったよ」</p>
<p>全部あいつの言うとおりになっちまった。</p>
<p>「おかえり、木吉」</p>
<p>日向は言った。普段の彼なら、決して口にできなかった言葉を。木吉は笑って受け止めた。</p>
<p>三年間バスケをやろう。一緒に日本一になろう。なあ木吉。</p>
<hr>
<p>なあ花宮。</p>
<p>小金井は最後に尋ねた。</p>
<p>「いいの?」</p>
<p>「何が?」</p>
<p>質問は、質問で返された。</p>
<p>小金井は花宮の顔を見て、水戸部の顔を見て、そして言い直した。</p>
<p>「木吉、日向に取られちゃった」</p>
<p>「それを言うならカントクじゃねえの」</p>
<p>花宮は、ただ事実を述べるだけの顔で、小金井に答えた。</p>
<p>うーん。小金井は一度うなって、もう一度尋ねる。</p>
<p>「花宮はいいの?」</p>
<p>すると今度は、すぐには返事がやってこない。おっ、と思って目を見ると、花宮の目と目が合った。</p>
<p>「いいも何も、木吉はクラスの人気者だぜ」</p>
<p>「だぜ?」</p>
<p>「『いい』ってこと。なあ水戸部。おまえらだって同じだろ?」</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-2/n-3.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
秋 – 高校一年 – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:02+09:00
<h1>夏</h1>
<p>知り合ったばかりの女子高生の実家に上がって、彼女の前で(上半身だけ)裸になった。それも今は昔の話。誠凛高校バスケ部は無事成立、さらに一名も部員を増やし、なおかつインターハイ予選出場申請は受理された。</p>
<p>誠凛高校の一年七名いや八名は懸命に戦った。容赦などしなかった。相手が二年だろうと三年だろうと、そして差をつけて勝ち、着実に駒を進めている。</p>
<p>「みんな、よくやったわ」</p>
<p>相田リコは選手たちをねぎらった。控室の選手たちは、それより一休みをさせてほしいと、態度より表情で示している。もちろん、その日も勝ったのだ。決して、たやすかったとは、彼女は言わない。だが圧倒的な結果だった。大差をつけられたと、今日の相手も感じたはずだ。相手は一年だったのに、と。それも新設校であることを思えば、意外な結果だっただろうか。</p>
<p>正直なところ相田は、その半々の気持ちで、ここに立っている。監督なのに。</p>
<p>相田はバスケ部の監督である。そして生徒でもある。対戦校からはマネージャーとも見られただろうが、彼女は校内の各運動部からはトレーナーとして勧誘された。スポーツジムの娘なのだ。その環境は、彼女のいくつか特別な能力を伸ばしてくれた。たとえば、スポーツジムを利用しにきた運動部員に、的確に助言する、とかだ。</p>
<p>相田の中学からは、そして多数の同級生が誠凛高校に進学した。バスケ部にも二人いる。日向と伊月だ。バスケ部が相田を誘いにきた原因のひとつは、この伊月である。</p>
<p>同じ中学の出身であるため、相田は二人をよく知っている。それぞれ、よいシューターで、よいガードだ。特に日向は。彼らの中学のバスケ部は、はっきりと言って弱小の部類だったが、シューターの日向だけは頭ひとつ抜けていた。他校と比較しても実力のある選手だった。つまり仲間の力不足が敗因だったと、伊月は自ら認めている。</p>
<p>とはいえ伊月も優秀なガードだ。常に冷静で的確な司令塔である。特に視野が広い。ポイントガードというポジションに求められる能力のひとつだが、このポジションで優秀と評される選手であっても、彼ほどの水準に達した者はそうはいない。誠凛高校の予選成績は確実に彼に支えられている。</p>
<p>誠凛高校は勝ち進んだ。限られた時間で最大限に練習して、対戦校を研究して、戦略を練った。そのなかで導き出されたラン&ガンのオフェンス重視は、あるいは、それしか道がなかった、ともいえる。まず圧倒的な部員不足。事情を鑑みては、八人という数は集まった部類だが、経験者は内四人。おおむねバスケは五対五の球技である。しかし彼らは、まもなく決勝リーグに進出する。</p>
<p>経験者四人のひとり、水戸部凛之助は堅実なパワーフォワードだ。過度に——創部からこの予選まで誰も一度も声を聞いたことがないほどに——寡黙な人物で、派手なプレーも見せはしないが、役目は果たした。体格もある。百八十五センチ以上の身長は、部では上から二番目だ。オフェンスのみならずディフェンスもこなせるところからいって、センターにコンバートしてもうまく機能するだろう。</p>
<p>しかし。</p>
<p>相田は手前のロッカーを見た。百九十センチを越す大男が、タオルを頭にかぶせている。部内最大、木吉である。その並外れた体格は、しかし彼の才能の一部に過ぎない。優秀なセンターだ。いや、その実力は、ほとんど最強そのものなのだ。この東京予選に、木吉を越える<em>選手</em>は、おそらく現れないだろう。全国大会に進出したところで、やはり彼以上の<em>センター</em>は登場しない。</p>
<p>無冠の四将、鉄心。</p>
<p>木吉は中学バスケの有名選手だ。優秀などというものではない。十年に一人の逸材である。天才と呼ばれたことさえあった。身体能力の高さと、バスケの才能と。それは木吉の身長のことでもあって、またバスケットボールを片手で容易につかむほどの手のことでもある。中学バスケで、やがて木吉は渾名された。それが「鉄心」で、後の「無冠の四将」だ。</p>
<p>まるで奇跡のような学年だった。その年、中学バスケに現れた逸材は、木吉だけではなかった。十年に一人の、ほとんど最強そのもののようなバスケの才能。それが四つも現れた。身体能力と体格はもちろん、四人それぞれが異なる分野に秀でていた。センター、シューター、パワーフォワード、スモールフォワード。だが彼らの中学最後の全中は、そのうちの誰の優勝をも許さなかった。</p>
<p>本当の奇跡は、彼らのわずか一年後、一学年下に訪れる。</p>
<p>——とまれ今の問題は、目の前のインターハイ予選だが。</p>
<p>「わかってるだろうけど、おさらいよ。次の試合に勝てば、予選決勝リーグ進出が確定するわ。決勝リーグでは、私たちと同じように各ブロックから勝ち上がったチームと当たることになる。つまり次の相手も、それほどの強敵よ。霧崎第一高校。三大王者ではないけど、強豪で実績がある」</p>
<p>霧崎第一と比べてしまえば、直前の対戦相手だって、弱かったことになる。かの高校は事実として、これまでの対戦校と一線を画する。誠凛高校も、もう圧倒的には勝てないだろう。誠凛高校には東京予選最強の木吉がいた。しかし圧勝の原因は、それだけではない。直前の対戦校ですら新設校の一年生に油断していた。はたして強豪の油断を誘えるかは、五分と五分といったところだ。</p>
<p>相田は木吉から少し目線を下ろして、日向と伊月を見る。その隣に水戸部と小金井。喋らない水戸部を相手に、小金井は相槌を打ったり笑ったり、話しかけて返事を待ったり。小金井には水戸部の言葉がわかるそうだ。中学が同じで、仲がよかったらしい。彼がバスケ部に入った理由は、水戸部が楽しそうだったから。</p>
<p>まるきりの初心者だった。三歩歩けばサイクリング。中学の授業も受けていない。だってテニス部だったから、体育の授業でも選択種目はテニスをやった。小金井の言い分は、彼だけにルールも用語も教え込まない理由にはならなかったが、その身体能力は本物だ。飲み込みも早い。くわえて立派な体力が、小金井を誠凛高校のシックスマンにした。</p>
<p>その小金井の隣で、同じくまるきりの初心者だった土田聡史が相槌を打っている。もちろん彼には水戸部の言葉がわからないので、そのときは小金井が通訳をする。土田は一番最後に入部届を出してくれて、徐々に力を伸ばしてきた。リバウンドが得意で、相田も防御を固めたいときには小金井より土田を投入する。</p>
<p>そして相田は、</p>
<p>「カントク」</p>
<p>「どうしたの、花宮くん」</p>
<p>木吉の元まで視線を戻して、その少しだけ下を見た。未経験組の真ん中にしてスターティングメンバーの、スモールフォワードの花宮だ。相田は考えごとをしながらも、話を聞ける姿勢を取った。考えごとをしていたから、少し彼を疑っていた。疑心暗鬼というほどではない。ただ、高校生になるまで花宮がバスケに取り組んだことがなかったという事実を、部員の多くが疑っている。</p>
<p>それは最大の嬉しい誤算だった。花宮は、百八十センチはないけれど、部内では水戸部に次ぐ身長だった。まるきりの初心者でもなかった。彼は入部時点ですでに、現役選手と同等の知識とバスケの基礎を身につけていた。本人の言うには、体育の授業で覚えた、あるいは中学時代に接点のあった先輩がバスケ部だったので多少教わった。そうは言っても、それだけでもなかった。</p>
<p>期待以上の選手だった。異常な吸収速度、異常な伸びしろ、並外れて高い身体能力、体格もあって、——それはバスケの才能だった。</p>
<p>花宮にはバスケの才能があった。もし花宮が中学バスケの選手だったら。日の目を見る機会など、彼自身が生み出しただろう。もし花宮が中学バスケの選手だったら。そのときは、もしかして、学生バスケには<em>無冠の五将</em>がいたかもしれない。花宮にはポイントガードの資質がある。</p>
<p>その花宮がバスケ部に入った理由は、隣の席のクラスメイトに誘われたから。つまり「無冠の四将」の木吉のことだが。</p>
<p>「木吉のことで話がある」</p>
<p>「逸材」同士で通じるところがあったというのかと尋ねられて、あのとき木吉は何と返したのだったか。</p>
<p>「花宮」</p>
<p>花宮の頭上から、とどめるような声が落ちた。相田は、おや、と思って顔を上げた。直前、木吉が花宮を組み伏せることを躊躇した。躊躇した。それだけでも木吉という人物の行動としては、十二分に乱暴な所作であった。木吉は、基本的には温厚だ。というよりは腹が黒いのだと言ったのは、おそらく日向だったはずだが。その日向も今は呆気に取られていた。</p>
<p>花宮だけが微動だにもしなかった。</p>
<p>相田は初めに木吉を、それから部員全員を制止して、同じく視線だけで花宮を促した。</p>
<p>木吉は、ぎこちなく固まった。</p>
<p>花宮は躊躇もしなかった。</p>
<p>「木吉が膝を痛めてる」</p>
<hr>
<p>最大の嬉しい誤算は、それを、よしとした。</p>
<p>誠凛高校は霧崎第一を破った。木吉が戦線に戻ることはなかった。それでも準優勝の成績と同時に、本選出場権を獲得した。</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-2/n-2.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
夏 – 高校一年 – 冠は余らない – 二次創作
2021-11-05T19:15:00+09:00
<h1>春</h1>
<p>校長が上級生に関してを言わなかった。新入生代表も先輩の存在に触れなかった。そして在校生代表の挨拶は式次に存在しなかった。千人を優に収容する体育館に、新入生三百名と教職員、来賓、そして新入生の親類縁者、他。在校生は元よりいない。存在しない。するはずもない。私立誠凛高校は、その日、初めて生徒を迎える。新設の学校の入学式だ。</p>
<p>皆が知った話題だった。志望動機の大半がこれだ。そうでないなら家が近いのだ。たいした特徴のない学校だった。担任が自己紹介をさせるまでに、とうに使い古された話題だった。</p>
<p>「出席番号三十三番、花宮真です。夜見山市というところから来ました。得意科目は化学で、部活は、高校ではやりたいと思っています。新設校なので、——心機一転、したいです。三年間よろしく」</p>
<p>それでも、話題を見つけられなかったやつは何番目になっても言った。彼らの何人かは、それから人間関係を広げたが、片手の指くらいの人数は早々に孤立した。よくある春、よくある四月、よくある高校一年の教室。ただ新しいだけの学校で、花宮真は後者だった。</p>
<p>レクリエーションにしろ班分けにしろ新設校の新学期の新入生の人間関係構築の機会を、花宮はことごとくふいにした。委員会にも入らなかった。かわりに、得意科目を覚えていてくれたクラスメイトのおかげで化学係に当たった。化学の授業のために担当教師とのやり取りをする、雑用係の一種である。また同じく得意科目を覚えていてくれたクラスメイトから化学部などに誘われたが、</p>
<p>「せっかくだけど、部活は運動部を考えてる」</p>
<p>花宮は二度と誘われなくなった。</p>
<p>教室には次第に友人グループが生まれ、花宮を取り込むことなく、形を決めていく。花宮は教室の片隅の席で独りで、弁当を食べて本を読んだ。クラスメイトとの会話は、とっくに大半が事務的だ。ゴールデンウィークを待たずして、せいぜい人間のよくできた数名に<em>声をかけてもらう</em>、そういう存在になっていた。</p>
<p>だから、そいつは久方ぶりの勧誘だった。</p>
<p>「なあ花宮、バスケやろうぜ」</p>
<p>せいぜい人間のよくできたクラスメイトが一人、隣の席の大男、木吉鉄平である。</p>
<hr>
<p>新設の校舎の真新しい屋上で、バスケ部(仮)五名が指導を受けた。</p>
<p>ちょうど今朝のできごとだ。全校集会の時間に合わせて、宣誓、したのである。</p>
<hr>
<p>「いや、それはね! このC組の日向順平くんが! ——勝手に言っただけでねえ」</p>
<p>「まァだ、そんなこと言ってんのか」</p>
<p>木吉のクラスの席の周りに立って、小金井慎二は釈明する。その日の放課後のことだった。</p>
<p>「マネージャー、とは違うかもだけど、誘った子が、本気で一番目指すくらいじゃなきゃ引き受けないって」</p>
<p>「全校生徒の前での宣誓が条件だった?」</p>
<p>「いや、そこは俺らで。本気だって態度で示そうって。木吉が言ったでしょ。日本一目指して、今年必ず全国出場!」</p>
<p>「全裸で告る、なんでもやる! って、その後で日向くんも叫んだよな」</p>
<p>「だから、それが! あの後先生たちに𠮟られて、絶対やるなって——」</p>
<p>「——だからこそ、だろうが」</p>
<p>日向順平が、かぶせるように反論した。</p>
<p>「先生の言い分は、たぶん正しいよ。新設校で一年しかいないし、スポーツに力を入れてる学校でもない。けど相手は二年も三年もいて、勝ち進めばそれだけ強豪ってことだ。でもなあ、だから目指しちゃいけないなんてこたァねえだろ。</p>
<p>俺は本気だ。もし、もしもできなかったとしても、そのときは俺が、俺ひとりでも、本気だったってことを証明してやる」</p>
<p>言い終わると、他の部員まで口を閉じた。教室も、しんと静まり返ってしまった。</p>
<p>放課後とはいえ多くの生徒が残っている。新設だけが取り柄の新設校、運動部も文化部も、生徒が申請するまで存在しない。創部を望まれているものは、バスケ部だけではない。</p>
<p>他の生徒がささやき合っても、日向は撤回しなかった。小金井も口を結んで、花宮を見た。席の木吉は、ひとりだけで笑っている。伊月俊は、その隣の席の花宮を、じっと見下ろして口を開けた。こういうこと、と。</p>
<p>「俺らは本気でやるって決めた。マネがどうっていうんじゃなくて、やるからには本気でやって、日本一を目指す。——でも」</p>
<p>そして言葉を切った。</p>
<p>花宮が伊月を見上げた。</p>
<p>「俺も覚悟のうえだよ。本気なことはわかってた。木吉、自分で誘ったくせに、教えてくれたんだぜ。バスケ同好会をつくろうってやつらがいるんだと。——全裸で告るのはごめんだが、やる前から負けたときのことを考えるのもバカな話だろ」</p>
<p>「隣の席だもんな、花宮」</p>
<p>「そうだね、木吉」</p>
<p>「じゃあ」</p>
<p>「やるからには本気で、したい。と思うよ、俺も。これからよろしく。伊月くん、日向くん、小金井くん、水戸部くん」</p>
<p>木吉も。花宮は最後に、それを付け足した。</p>
<p>教室の友人グループは花宮を取り込むことなく、形を決めた。花宮は教室の片隅の席で独りで、弁当を食べて本を読む。クラスメイトとの会話の大半を事務的に済ませ、そして放課後にはバスケ部の練習のために体育館へ走るのだ。ゴールデンウィークを待たずして花宮は、それになる。</p>
<p>思い出して、伊月は形式的に質問する。</p>
<p>「確認までに、経験者?」</p>
<p>なぜか木吉が先に答えようとして、</p>
<hr>
<p>「あっ、いた! あなたたち、放課後、暇よね?」</p>
<hr>
<p>男子高校生六名が女子高校生の家で上半身を披露するのは、それから一時間ほど後の話。</p>
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夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
春 – 高校一年 – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:01+09:00
<h1>卒業前夜</h1>
<p>雨が降っていたから傘を差した。水の飛び散った音はするけれど、世界はザアザアうるさいから、どれがどれだかわからなかった。バケツをひっくり返したような雨だった。土砂降りが体をザアザア流していく。飛び散った液体が視界を延々邪魔していく。額に前髪がはりついて、ぼたぼた雨が垂れていく。足りないと思った。だから、もう一度、傘を差した。</p>
<p>うつ伏せに倒れたから、仰向けになおして差した。</p>
<p>もう一度。もう一度。もう一度。もう一度。</p>
<p>差して、差して、差して、差す。</p>
<p>傘を差す。</p>
<p>もう一度。</p>
<p>傘を刺す。</p>
https://tetraminion.org/ff/uncrowned-another-gene/main/n-1/n-1.html
夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」
卒業前夜 – ある年 – 冠は余らない – 二次創作
2022-08-24T19:00:00+09:00