夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」

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知り合ったばかりの女子高生の実家に上がって、彼女の前で(上半身だけ)裸になった。それも今は昔の話。誠凛高校バスケ部は無事成立、さらに一名も部員を増やし、なおかつインターハイ予選出場申請は受理された。

誠凛高校の一年七名いや八名は懸命に戦った。容赦などしなかった。相手が二年だろうと三年だろうと、そして差をつけて勝ち、着実に駒を進めている。

「みんな、よくやったわ」

相田リコは選手たちをねぎらった。控室の選手たちは、それより一休みをさせてほしいと、態度より表情で示している。もちろん、その日も勝ったのだ。決して、たやすかったとは、彼女は言わない。だが圧倒的な結果だった。大差をつけられたと、今日の相手も感じたはずだ。相手は一年だったのに、と。それも新設校であることを思えば、意外な結果だっただろうか。

正直なところ相田は、その半々の気持ちで、ここに立っている。監督なのに。

相田はバスケ部の監督である。そして生徒でもある。対戦校からはマネージャーとも見られただろうが、彼女は校内の各運動部からはトレーナーとして勧誘された。スポーツジムの娘なのだ。その環境は、彼女のいくつか特別な能力を伸ばしてくれた。たとえば、スポーツジムを利用しにきた運動部員に、的確に助言する、とかだ。

相田の中学からは、そして多数の同級生が誠凛高校に進学した。バスケ部にも二人いる。日向と伊月だ。バスケ部が相田を誘いにきた原因のひとつは、この伊月である。

同じ中学の出身であるため、相田は二人をよく知っている。それぞれ、よいシューターで、よいガードだ。特に日向は。彼らの中学のバスケ部は、はっきりと言って弱小の部類だったが、シューターの日向だけは頭ひとつ抜けていた。他校と比較しても実力のある選手だった。つまり仲間の力不足が敗因だったと、伊月は自ら認めている。

とはいえ伊月も優秀なガードだ。常に冷静で的確な司令塔である。特に視野が広い。ポイントガードというポジションに求められる能力のひとつだが、このポジションで優秀と評される選手であっても、彼ほどの水準に達した者はそうはいない。誠凛高校の予選成績は確実に彼に支えられている。

誠凛高校は勝ち進んだ。限られた時間で最大限に練習して、対戦校を研究して、戦略を練った。そのなかで導き出されたラン&ガンのオフェンス重視は、あるいは、それしか道がなかった、ともいえる。まず圧倒的な部員不足。事情を鑑みては、八人という数は集まった部類だが、経験者は内四人。おおむねバスケは五対五の球技である。しかし彼らは、まもなく決勝リーグに進出する。

経験者四人のひとり、水戸部凛之助は堅実なパワーフォワードだ。過度に——創部からこの予選まで誰も一度も声を聞いたことがないほどに——寡黙な人物で、派手なプレーも見せはしないが、役目は果たした。体格もある。百八十五センチ以上の身長は、部では上から二番目だ。オフェンスのみならずディフェンスもこなせるところからいって、センターにコンバートしてもうまく機能するだろう。

しかし。

相田は手前のロッカーを見た。百九十センチを越す大男が、タオルを頭にかぶせている。部内最大、木吉である。その並外れた体格は、しかし彼の才能の一部に過ぎない。優秀なセンターだ。いや、その実力は、ほとんど最強そのものなのだ。この東京予選に、木吉を越える選手は、おそらく現れないだろう。全国大会に進出したところで、やはり彼以上のセンターは登場しない。

無冠の四将、鉄心。

木吉は中学バスケの有名選手だ。優秀などというものではない。十年に一人の逸材である。天才と呼ばれたことさえあった。身体能力の高さと、バスケの才能と。それは木吉の身長のことでもあって、またバスケットボールを片手で容易につかむほどの手のことでもある。中学バスケで、やがて木吉は渾名された。それが「鉄心」で、後の「無冠の四将」だ。

まるで奇跡のような学年だった。その年、中学バスケに現れた逸材は、木吉だけではなかった。十年に一人の、ほとんど最強そのもののようなバスケの才能。それが四つも現れた。身体能力と体格はもちろん、四人それぞれが異なる分野に秀でていた。センター、シューター、パワーフォワード、スモールフォワード。だが彼らの中学最後の全中は、そのうちの誰の優勝をも許さなかった。

本当の奇跡は、彼らのわずか一年後、一学年下に訪れる。

——とまれ今の問題は、目の前のインターハイ予選だが。

「わかってるだろうけど、おさらいよ。次の試合に勝てば、予選決勝リーグ進出が確定するわ。決勝リーグでは、私たちと同じように各ブロックから勝ち上がったチームと当たることになる。つまり次の相手も、それほどの強敵よ。霧崎第一高校。三大王者ではないけど、強豪で実績がある」

霧崎第一と比べてしまえば、直前の対戦相手だって、弱かったことになる。かの高校は事実として、これまでの対戦校と一線を画する。誠凛高校も、もう圧倒的には勝てないだろう。誠凛高校には東京予選最強の木吉がいた。しかし圧勝の原因は、それだけではない。直前の対戦校ですら新設校の一年生に油断していた。はたして強豪の油断を誘えるかは、五分と五分といったところだ。

相田は木吉から少し目線を下ろして、日向と伊月を見る。その隣に水戸部と小金井。喋らない水戸部を相手に、小金井は相槌を打ったり笑ったり、話しかけて返事を待ったり。小金井には水戸部の言葉がわかるそうだ。中学が同じで、仲がよかったらしい。彼がバスケ部に入った理由は、水戸部が楽しそうだったから。

まるきりの初心者だった。三歩歩けばサイクリング。中学の授業も受けていない。だってテニス部だったから、体育の授業でも選択種目はテニスをやった。小金井の言い分は、彼だけにルールも用語も教え込まない理由にはならなかったが、その身体能力は本物だ。飲み込みも早い。くわえて立派な体力が、小金井を誠凛高校のシックスマンにした。

その小金井の隣で、同じくまるきりの初心者だった土田聡史が相槌を打っている。もちろん彼には水戸部の言葉がわからないので、そのときは小金井が通訳をする。土田は一番最後に入部届を出してくれて、徐々に力を伸ばしてきた。リバウンドが得意で、相田も防御を固めたいときには小金井より土田を投入する。

そして相田は、

「カントク」

「どうしたの、花宮くん」

木吉の元まで視線を戻して、その少しだけ下を見た。未経験組の真ん中にしてスターティングメンバーの、スモールフォワードの花宮だ。相田は考えごとをしながらも、話を聞ける姿勢を取った。考えごとをしていたから、少し彼を疑っていた。疑心暗鬼というほどではない。ただ、高校生になるまで花宮がバスケに取り組んだことがなかったという事実を、部員の多くが疑っている。

それは最大の嬉しい誤算だった。花宮は、百八十センチはないけれど、部内では水戸部に次ぐ身長だった。まるきりの初心者でもなかった。彼は入部時点ですでに、現役選手と同等の知識とバスケの基礎を身につけていた。本人の言うには、体育の授業で覚えた、あるいは中学時代に接点のあった先輩がバスケ部だったので多少教わった。そうは言っても、それだけでもなかった。

期待以上の選手だった。異常な吸収速度、異常な伸びしろ、並外れて高い身体能力、体格もあって、——それはバスケの才能だった。

花宮にはバスケの才能があった。もし花宮が中学バスケの選手だったら。日の目を見る機会など、彼自身が生み出しただろう。もし花宮が中学バスケの選手だったら。そのときは、もしかして、学生バスケには無冠の五将がいたかもしれない。花宮にはポイントガードの資質がある。

その花宮がバスケ部に入った理由は、隣の席のクラスメイトに誘われたから。つまり「無冠の四将」の木吉のことだが。

「木吉のことで話がある」

「逸材」同士で通じるところがあったというのかと尋ねられて、あのとき木吉は何と返したのだったか。

「花宮」

花宮の頭上から、とどめるような声が落ちた。相田は、おや、と思って顔を上げた。直前、木吉が花宮を組み伏せることを躊躇した。躊躇した。それだけでも木吉という人物の行動としては、十二分に乱暴な所作であった。木吉は、基本的には温厚だ。というよりは腹が黒いのだと言ったのは、おそらく日向だったはずだが。その日向も今は呆気に取られていた。

花宮だけが微動だにもしなかった。

相田は初めに木吉を、それから部員全員を制止して、同じく視線だけで花宮を促した。

木吉は、ぎこちなく固まった。

花宮は躊躇もしなかった。

「木吉が膝を痛めてる」


最大の嬉しい誤算は、それを、よしとした。

誠凛高校は霧崎第一を破った。木吉が戦線に戻ることはなかった。それでも準優勝の成績と同時に、本選出場権を獲得した。