夜見山北中学出身の花宮真が誠凛高校バスケ部に入った話。「もうひとりなら殺してた」

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卒業式

目を開けた。布団を脱いだ。朝日が部屋に差し込んでいた。食卓にはいつもの朝食が並んでいた。家族が外を見て喜んでいた。黒子は決まりきって両手を合わせ、何ともなしに顔を上げた。両目に写真が飛び込んできた。黒子は言葉も食事ものみ込んだ。家族も何も言わなかった。だって、あれは親戚が集まった時の写真で、今日は先輩の卒業式だ。

黒子は家を出る前に携帯端末を拾い上げ、荷物に含めた。直後、振動を感じたけれど、そのまま靴を履いて、家を出た。少し道路を歩いただけで卒業生に遭遇した。

「花宮先輩」

朝がかぶることも、よくあった。

「おまえ、いるならいるって言え」

この一、二週間は行きも帰りもご無沙汰だったが。

もうひとりなら殺してましたか」

よりにもよって今朝かぶるなんて。

「ふうん」

卒業生が歩みを緩めた。

「今吉さんと電話でもした?」

黒子は無言で横に並んだ。

「聞かされたな。三年三組のミサキの話」

黒子はまだ覚えていた。

「先輩とはまるで真逆の人だったと」

今吉が話していた。ミサキはなんでもできて人気者だった。比べると花宮は不気味で根暗で陰気で、どこにいても独りで、そして、

いないものだったんですね」

ミサキを失った三年三組は、ミサキに挨拶をして、名前を呼んで、話しかけ、話しかけられた。ミサキをいるものとして扱った。現象で増えるもうひとり——死者——はいわば彼らの一年の具現化である。だからある年の「いないもの」は挨拶をされない、名前を呼ばれない、話しかけられない、話しかけない。

「いいもんだぜ。遅刻しても早退しても、登校しなくても皆勤賞。模試は免除、行事も免除、むしろいなければいないほうがいい。無視されることはストレスだが、無視することもストレスだ。失敗した年の半分は、いないものの扱いに失敗してる」

しかし花宮の年は成功した。今吉の言うには、そういう人選だったらしいが。本人の性格、校内での立ち位置、家庭の状況。友人が多い人間は向いていない。急な単独行動が不自然に映るから。部活のエースも向いていない。単純にチームが困るから。学年一位も向いていない。かといって最下位には教員の支援が欠かせない。校内には兄弟がいるべきではない。家族が熱心だと都合が悪い。消去法だ。——ワシの知っとる花宮は勉強も運動も平凡な成績やった。

「先輩が二号を嫌っているのも三年三組が理由ですか」

「おまえが考えてるのとはたぶん違うぞ」

花宮は黒子を見ずに答えた。

「三組に転校生が来た年がある。なんでって思うだろ。学校としても入れたかなかったろうが、三組にだけ入れない判断もできなかったって話だ。——まあ問題が起きた。ある年かない年かわからなかった。いないものの説明ができなかった」

「『誰それがいないものの役を担っている』と説明することで、その人をいるものとして扱ったことになりうる——?」

結局、当時の三組は転校生に事情の一切を伝えなかった。うまくいけば、いないもののことは幽霊だとして通してしまえる。が、諸事情により転校生は幽霊でないことを確信しており、折に触れて話しかけ、名前を呼んだ。その月のうちに生徒が死んだ。実は転校生のせいではなかったのだけれど、それはまた別の話。いろいろ特別な年だったのだ。

「だから、途中で部員の数が増えるから」

「そういう苦手意識は俺の中にもあったらしい」

黒子は花宮の顔を見た。

——ある年の三年三組は、新学期の朝、教室の席が足りないらしいで。

今吉の声が脳裏によみがえる。

「おまえマジで全部聞かされたんだな。悪趣味。からかわれてるって思わなかった?」

黒子は口をつぐんだ。

「俺はべつに平気だぜ。元からこういう性格だし、俺らの年はうまくいった。先輩みたいに目の前で死なれたこともない。何よりここは夜見山じゃない」

三年三組の経験則。たとえ三組の関係者だとしても、夜見山の外にいれば現象では死なない。

「だからこそ恐ろしくはありませんか」

ところで、黒子が入部してすぐのゴールデンウィーク明け、降旗が練習に来なかった。後から忌引きだったと聞いた。冬の大会が始まる前には学校の前で交通事故が起きた。部員のクラスメイトだった。大会が終わったら病気がちだったクラスメイトが亡くなった。——祖父母は二月に亡くなった。子供と孫に会いに来る途中で。

「コガの家は四月だったな。六月の水戸部も忌引きだった。七月は土田、八月は相田、九月は日向。十一月にまた水戸部。伊月の家も年明けだったっけ」

三月には木吉の祖父が亡くなった。黒子は胸中で付け足して、

「今年も毎月、誠凛の関係者が亡くなっています」

「忘れちゃいねーよ。秋には降旗の友達が死んでる。覚えてる。——だが、偶然だよ」

花宮も黒子を見た。僅かだけ。

「夜見北というか夜見山って土地が、そもそもよくないんじゃねえかって説がある」

黄泉だから、ですか」

「そういうこと。誠凛はそんな場所じゃないだろ」

「でも——」

黒子は反射的に口を開いたが、続く言葉は失われていた。

「俺らは木吉をいるものとして扱ったことはない」


バスケ部の部室には一つ、不自然に使われていないロッカーがある。先輩のロッカーの並びに一つ。一年の夏、青峰に負けた直後だったか、誰かが気づいて教えてもらった。誠凛高校バスケ部を創った人間、木吉鉄平のことをである。

一年前、一年生だけの学校でバスケ部を創るために奔走したこと、日向の勧誘に多少の時間をかけたこと、屋上で全国進出を宣誓したこと、花宮が木吉に誘われたこと、最後に土田が入ったこと。夏の予選の快進撃。木吉が膝を壊して、そして、子供を助けて溺死した。

戦線離脱を余儀なくされた木吉は、入院したり通院したりと膝の回復に専念していた。亡くなったときも、病院の帰りだったらしい。その日は夏特有の豪雨だった。——足を滑らせて川に引き込まれた。死を覚悟した。だが、誰かに助けてもらった。それが、その子供の証言だ。


黒子はまだ覚えていた。

先輩方はいつも、いつでも、このチームでのプレーが最後である可能性を覚悟していた。三年生の有無は関係ない。知っていたのだ。経験していたのだ。木吉と二度とプレーできなくなった、あの夏に。いつも、いつでも、優勝してもできなくても先輩方は悔やんでいた。どうして忘れていたのだろう。黒子も立ったコートの上に、いつも木吉はいなかった。木吉はもう生きていない。だって木吉は亡くなっている。

「いいか黒子、今吉さんの話は忘れろ。あれは人の混乱を楽しんでるだけだ。写真を見てみろ。部室にあるだろ、ウィンターカップで優勝したときの、十三人と一匹で写ったやつが——」

黒子はまだ覚えていた。

木吉の顔を覚えていた。はっきり思い出すことができた。先輩方が写真を見せてくれたのだ。創部当時の集合写真を。そこには、まだ黒子と出会う前の、一年生だった頃の先輩方が写っていた。その中でひとりだけ、わからなかった。後で思い出したんだっけ。中学バスケの有名選手、無冠の四将、鉄心の木吉。

いつしか地面の水たまりを数えていた。

謝らないと。思考することができたときには、学校に着いていた。

「またな、黒子」

花宮が涼しい顔で黒子を見る。校舎に背を向け、足元に水たまりが見えて、あたりまえに桜の木は薄ら寒い。

「ご卒業おめでとうございます」

伝えた黒子に、先輩は「ありがとう」と口元を緩める。「二年前の俺に伝えてくれよ」


「殺した、って」


教室を目指す廊下の途中でクラスメイトとすれ違った。人手を探していたので名乗り出たが、案の定、驚かれた。「いるならいるって言ってよ」って、先輩にも言われたけれど難しい話だ。

「それで、僕でよければ力になりますが」

「うん、全然お願いしたい!」

椅子が余ってしまったのだと、クラスメイトは困り顔だ。大急ぎで卒業生の席を数えなおしているらしい。黒子は二つ返事で承諾して、その場で行先を変更する。何か忘れているような気もしたが、体育館に着く頃には気にすることもなくなっていた。