第33話「球技大会の時間」から第36話「近い時間」まで

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中村莉桜、六月

来た。

六月、梅雨明けすぐ、見出しよりも大きなアルファベットが四つ。E組にもやってきたその知らせを受けて、中村莉桜の内心だけの第一声だ。瞬時に意味が理解できたから、その瞬間くらいはうんざりさせてもらった。A対Cと、B対D。勝ったアルファベットが決勝戦に進出して優勝を争う、学年四クラスによるトーナメント。——球技大会の到来である。

この時期お決まりの学校行事。夏が始まってしまう前にと、椚ヶ丘中学では学年ごとにA組からD組まで、何らかの球技を競い合う。基本四クラスの構成はこのような場合に単純にトーナメント方式を採用できて便利、というより、その合理性をも重んじたものだろうが。昨年も一昨年も、体育祭の団体競技もそうだった。

「E組は?」

今年赴任してきた担任教師はトーナメント表を凝視したけれど、中学三年生には慣れっこだ。ちょうど中村の隣人も肩をすくめる。

「本戦にはエントリーされないんだ」

十時、A組とC組による第一試合。十一時、B組とD組による第二試合。そして昼休憩を挟み十三時、勝ち進んだクラスで決勝戦。以上をもちまして試合は終了! トーナメントバスケ三年はA組が優勝です! それでは最後に——E組対バスケ部選抜の余興試合を行います。

大会の締めのエキシビション。勝っても負けても最後は楽しく、三年E組の栄えなき舞台。

一般生徒のための大会ゆえ、当該種目の部活動生は本戦にエントリーすることができない。かわりの彼らの見せ場がここ。梅雨明けの頃の学校行事は、我が校の誇る選手たちによって、華々しく最後を飾られる。

——例によって中村も各行事を楽しんだ思い出が多い。元々催し物は楽しむよう心がけていたけれど、駄目押しがこのE組制度だ。

本校においてE組は存在自体が笑い種で、そして見かけるたびに苦しんでいる。たかだか全校集会だって、山の上だからと免除されずに、その数十分のためだけに長い山道を上り下りするのだ。笑いものにするまでもない。でもE組よりマシだと考えられる、そのことに救われるものがいかほどあるか。それは警告でもあるのだが。

「E組に落ちたらこんな恥かきますよって」

「なるほど、いつものやつですか」

三か月目の新米教師も完全に理解した。

中村の左耳に、努めて明るい声が届く。

「心配しないで、殺せんせー。暗殺で基礎体力ついてるし、いい試合して全校生徒を盛り下げるよ。ねー、みんな」


部活動生が当然圧勝、最悪の場合においても勝つ。そういう展開が求められているからして、E組が誰か一人でも活躍しただけで場は白け、善戦などしようものなら通夜を迎えることだろう。逆転勝利の暁にはいったい何が起こることやら。もちろん前例は一つもない。昨年までも、そして今年も相手は部活動生で、そのうえ実力で選び抜かれた。

作戦会議でエースの名前が出た途端、

「あー、あのライオンみたいな——」

エースがライオンならキャプテンはトラ、他の主力はクマ、ワシ、パンダ。控えまでゴツくて、マネージャーまでデカい。ライオンもといエースにいたっては女子のくせたてがみを錯覚させるほど威圧感があり、相対しては素人集団E組などさながらパンダの笹のごとし——。などとは、中村たちのリーダーは決して言いやしないけれど。

E組の劣勢は明白だ。さすがに部活動生が負うことになるハンディキャップの存在さえ有利な条件で惨敗するE組のための布石に過ぎなかった。部活動生のハンデ、球技大会のためのルール。そういったものたちを歯牙にもかけない、日々の部活動に裏打ちされた自信、大会の成績に示された実力。

無理もない話だが、過去二年間で中村が見てきたE組は戦う前から負けていた。いや中村でさえ、すでに敗北を確信している。

——猛獣の連想ゲームは、クラス委員が手を鳴らすまで続いた。

「でも私たちにも武器がある」

E組のクラス委員にして頼れるリーダー、片岡メグは笑顔で女子を励ましていく。

「女バスはたしかにデカくてゴツい。けど、ハンデはハンデ。他のルールも、未経験者も楽しめるように変わってる。もちろん私たち自身も日々暗殺で鍛えてる。活路はあるよ。いつもの暗殺とやることは一緒。弱点を探って、作戦を立てて、刃を磨いて、——目にもの見せてやろう。殺す気で」

球技大会においても片岡はリーダーだ。授業にしろ暗殺にしろ、クラス委員の肩書は彼女を中心に据えたがる。異論が挟まることはない。文武両道で特に運動神経は抜群、暗殺訓練も成績が目覚ましく、もっと言うとE組女子(ヒト・四角くない)で最も背が高い。後でグラウンドに出てみたら、バスケットボールも一番うまかった。


中村も当然に諸手を挙げた。実際に体を動かしてみると、片岡のみならず性格が見えてくる。

「やっぱり莉桜は動けるね」

たとえば中村は運動に苦手意識があるでもなく、シュートの要領も得ており、身長は上から三番目。うれしいことに主力に数えてもらえそうで、

「メグも——あんたやってるね」

「人聞きが悪い!」

結局、片岡は頭一つ抜けている。未経験ですと言われるより、経験者ですと言われたいくらい。背が高く、得点力もあり、リーダーシップまで兼ね備えている。格差対決に挑むE組にとっては、どうしたって必要不可欠だ。そして片岡がフォワードを担うときは、中村自身は一歩くらい引いたところからシュートなどして貢献したい。

「とはいえ、メグも出ずっぱりってわけにはいかんでしょ」

「あー、うん、それね」

練習初日、その終盤、中村と話していた片岡はおもむろに周囲を見回した。誰かを探し、やがては当たりをつけて歩き出す。茅野や奥田の方向だと気づいて間もなく、中村は瞬時に思考を修正した。何か声をかけたかったのに、何も音にならなかった。グラウンドの方々でバスケットボールが跳ねている。

「どうしたの」

片岡が呼び出したクラスメイトは、素直に顔を上げ、おとなしく着いてきた。十分に四班から離れたところで、片岡は改めて口を開く。中村は目を細めて二人を見た。かくかくしかじか、片岡が言葉を切ると、相手が首を縦に振った。

「なるほど、わかった。片岡さんにはなれないけど、任せてほしいな。私なりに全力を尽くすから」

片岡の表情が僅かに緩む。彼女もほほ笑みを浮かべてこたえ、

「うん、一緒にがんばろう」

同じ言葉を交わし合った。

中村は一人それを追いやる。

——来た。

上から三番の中村が主力なのだ。片岡には及ばないながらも、中村に差をつける背丈の女子(ヒト・四角くない)が、なおかつ運動神経もよいときたら、当然貴重な戦力である。わかりきったことだった。けれども実際の人選を前にしたときは、その瞬間くらいは息をのませてほしい。

球技大会の練習は男子も女子もつつがなく進んだ。女子のバスケットボールに対し、男子は——ころ投手ピッチャーは三百キロの球を投げ、ころ内野手は分身で鉄壁の守備を敷き、ころ捕手キャッチャーはささやき戦術で集中を乱す!——阿鼻叫喚のマッハ野球だったが。

なんだか四月が懐かしい。同時にこうも考える。しかし彼女は知らないだろう。今でこそ烏間の暗殺訓練だが、初めは殺せんせーの体育だった。反復横跳びをやってみましょう、まずは基本の視覚分身から、慣れてきたらあやとりも混ぜましょう。という具合に、妥当に教師が交代したのだ。最初の暗殺訓練は、彼女の登校初日だった。

昨冬のうわさの真偽はともかく、彼女の新三年生の初日は事実として遅かった。冬休みも春休みもまたいでなお、新学期の始業式にさえ間に合わなかった。これほどの処分、それほどの事件。真偽のほどはともかくとしても、警戒するには十分だ。実際にもう一人の登場人物は、うわさに違わぬ危険をはらんでいた。

だが練習は順調だ。カルマは多少不真面目だとて和を乱さない程度に取り組んでおり、女子バスケットボールの部においても同じく問題は起きていない。そもそもうわさの暴力性は、今日までクラスメイトに向かっていない。片岡が朗らかに指示を出す。

「中村さん」

ちょうど彼女が走ってきた。次は二人組での練習だ。

「うん。ペア、今日もよろしく」

かけ声に合わせて、皆が一斉にボールを投げる。二人も遅れず参加する。一通り済むと、一息ついて、もう一回。もう一回。繰り返すうち、動作がそろわない組が出てくる。中村たちも少しずつ息が荒くなる。とはいえ二人の脱落よりは、終了の合図が先だった。二人は互いにねぎらって次の内容へ。

そもそも彼女は真面目に練習に取り組んでいた。以前の評判のままの、美人で模範的な優等生。勝手な遅刻や早退をせず、授業には出て、宿題は提出する。名指しで𠮟られるよりも褒められる。そして四月の初日から今の今まで、距離を詰めてきたことがない。

彼女が初め教室に来たとき、気づいた端から言葉を失って、たちまち神妙な空気が流れた。なぜか一緒だった茅野だけが困ったように眉を下げ、当の本人は無言で席を見つけると、荷物を置いて、涼しい顔で本を開いた。うわさはうわさだったのか、はたまた爪を隠しているのか、そのとき誰にも判断がつかず、一、二か月を過ごしてしまった。

結局まともに接した生徒は、通学路で一緒になったという茅野と、同じクラスだったことがあるという渚と、あとはクラス委員の二人ではなかったか。最近は他のクラスメイトと話す姿も見るが、それも修学旅行がきっかけで、彼女の班員だったから、茅野と渚を除いて四人。奥田、神崎、杉野、カルマ——。

何から何まで以前の評判のままだった。何から何まで下衆の勘繰りだった、ような。

その六月、梅雨明けの週末、E組はうまいこと球技大会の日を迎え、女子は目標どおり善戦、男子はなんと勝利を収めた。こちらも目標どおりと言えば目標どおり、ころ監督もついていた。とはいえ、

「まさか一回オモテから理事長ラスボスが登場したときはどうなることかと」

理事長。この学校を十年足らずで名門に仕立て上げた敏腕経営者。マッハ二十の超生物にも引けを取らない教育の名手。で、その教育をめぐって殺せんせーと対立している。

たとえば先月の中間テスト。三年E組は全員が学年五十位以内を目指していた。これは殺せんせーの指導の下、かなり現実的な目標だった。対して理事長は、テスト前日に範囲を変更することで、E組の成績を引き下げにかかった。A組からD組までは理事長の直々の授業を受けたが、E組は変更の事実すら知らず。さて成績は、よくて七割。もちろん学年五十位は夢のまた夢。さらに「いつものやつ」で一切はE組の自己責任とされた。

で、どうしてここまでしたかというとだ。理事長いわく、E組は常に下を向いて生きていなければならない。

今球技大会の野球においては、この理事長にも引けを取らない殺せんせーが全面的に采配を振るった。一回オモテ、素人のE組が、野球部の選抜チームから、ななななんと三点先取。女子だって片岡が先制点を取ったけれど、男子はより大きな衝撃を受けただろう。椚ヶ丘の野球部は強豪で、そのうえ投手は超中学級なのだ。いくらE組に元野球部がいるといっても勝負は決まりきっているべきだった。

そして信念に反する事態だからといって、野球部側の指導者が交代する。

「なんだっけ、顧問が重病だったんだっけ」

以降は殺せんせーと理事長の采配対決だ。もちろん戦力差は甚大だった。経験者の実力は侮れない。E組とて杉野がいなければ守備は困難を極めただろう。そのうえで数々の戦略が張り巡らされ、野球部はE組のさらなる得点を許すことなく、E組はE組で野球部から優勢を守り抜いた。

「あの前進守備はヤバかったな」

「なになに、前進守備返し?」

「——そっちもヤバかったけど」

その夕方、旧校舎で打ち上げをした。杉野と片岡が人気を集めていた。勝った野球が注目を集めがちだけれども、バスケットボールも善戦したのだ。中でも片岡の功績は大きく、彼女一人で三十得点、十リバウンド、十二アシスト。結果は四十八対五十六だったのだから、なかなかの貢献度だ。何度か勝てそうだったよね、次はリベンジを目指そうね、とは試合後の片岡の激励である。

中村も片岡の近くで楽しんだ。そこにいると、女子同士で試合や練習を振り返ったり、男子の振り返りに口を挟んだり、逆に口を挟まれたり、話が尽きることはなかった。特に男子は女子のバスケットボールを見ていない。チームメイトの活躍を聞かせると、男子は新鮮な反応を示してくれた。

「ちょうど真ん中にいたんだけど、そこで覚醒したってわけ」

「まさか——」

「そう——長距離3Pシュート」

「うひょー、かっけー!」

とかなんとか冗談を言い合ったところでペットボトルが空になった。切りもよいので席を立つ。片岡の後ろを通って、——杉野の所にはちょうど四班の過半数がそろっていた。

渚と茅野、そして神崎。さすが神崎さん! バスケットボールの話かな、杉野は瞳孔をかっ開いて神崎を褒めた。神崎もいたって淑やかにこたえた。杉野くんもすごかったよ。杉野は神崎に想いを寄せており、神崎も杉野に友情を抱いている。中村が通り過ぎた後で、杉野は悲鳴に似た声とともに拳を突き上げた。すれ違いざま、たまたま渚と目が合った。何か言えばよかっただろうか。捕手を務めきった渚に。

中村は何も言えなかった。

正面を向いたら、今度は視界に四班の残りが映りこんだ。

「あー渚くん? 変化球の練習に付き合ってたんだって」

ちょうど野球の話をしていた。けれども、その場にいない人間の話は、女子二人がうなずいたら終わる。その場にいた人間と「極端な前進守備」の話だって、長続きはしなかったようだが。——カルマくんも大活躍でしたよね。訓練の成果が光ってたよね。ん-、ありがと。

空のペットボトルを袋に入れて、おかわりを引っつかんで、

「あっ、中村さん」

引き返したところで名前を呼ばれる。

「なになに、どったの」

努めて軽い調子で返事をしたら、あの二人が、そろって中村を見た。一人は薄く笑って、もう一人はかすかに眉を下げて。

「中村さん、すごいシュート決めたんだって?」

「勝手にごめんね、中村さん。バスケのプレーの話になって。ほら、後半に、ハーフラインから連続で」

二人の間で奥田がこくこくうなずいた。中村に言えることは少なかった。

「あれね、自分でも驚いてるところ。まさか入るとは思ってなかったのよ」

それから、会話には加わらず、杉野と片岡の後ろを抜けた。杉野の所にはまだ四班の四人が集まっていたけれど、渚とは目が合わなかった。席に戻ると、マッハ野球の話が聞こえてくる。球速三百キロ、分身守備、ささやき戦術。

「まあバントは習得できたけど」

「バントだけな」

「二度とやりたくねえよな」

「ありそうだもんな——バットが当たる位置で守備するときの対処法」

「いや、あれは磯貝とカルマのクソ度胸だって」

さすがに、と付け足した男子の横で、練習してたわけじゃなかったんだ、と中村は口を挟んだ。そりゃな、と返ってきた。

「それもそうか」

中村はもう一度だけ四班を探した。四人組と三人組はそれぞれまだ同じ場所にいた。「クソ度胸」のカルマは紙パックにストローを挿していた。煮オレかな。中村はその正体に見当がついていた。やたら甘ったるいブランドだが、昼休みや放課後に話すとき、カルマがよく飲んでいる。「うわさ」に含まれなかった部分だ。その事実がカルマの危険性を損なうことはないけれど。

カルマの元にクラスメイトが歩いていく。クラス委員でも四班でも、席が近いわけでもない、男子生徒。カルマは気安く立ち上がって、一緒にどこかへ去ってしまう。残された二人はしばらくそこにいたが、やがてどちらからともなく四班の四人に合流した。

中村はそれの正体に見当がついている。