第83話「泥棒の時間・2時間目」から第85話「駒の時間」まで

更新 公開)

九月、又は下着泥棒

白色の天井、白色の壁、白色のカーテン、薄っすら日光だけが差し込む静かな部屋で目を覚ます。時刻は確認するまでもなく五時三十分。必要な物はすべて所定の場所に位置している。白色のタイツも、白色のワイシャツも、灰色のスカートも。

身支度を終えても他には物音さえしない。台所もいつものとおりに人がいない。そして求めた紫色はやはり所定の場所に位置していて、まもなくワイシャツの上から前掛けのひもを結ぶ。今朝の献立は野菜、焼き魚、白米、味噌汁。弁当のおかずはタコさんウインナーだ。

両親が起きてくる頃には、とうに静かな台所ではなかったが、音の数は一気に増えた。足音、挨拶、席に着く音、新聞紙の音。まもなく朝食も完成する。しかし二人はすべて食卓に並んでも、新聞から顔をあげなかった。そろって食い入るように同じ記事を読んでおり、やがて紙面から目を離すと、深刻な表情で私を見る。

——下着ドロ、再び出没。


椚ヶ丘に不審者が出たらしい。二学期開始からしばらく、新学期特有の新要素を除けば目立った事件も起きていない、ごく平凡な朝の小見出しだった。

八月末から椚ヶ丘市内ではブラジャーの盗難が多発していたそうだ。共通点はその寸法。被害がFカップ以上に集中したことから、大衆媒体は巨乳専門と書き立てた。

「黄色い頭や大男には気をつけなさい」

Fカップの娘などいないのに、両親も出発の直前まで口々に注意を促してくれた。ヌルヌルの笑い声、ヌルヌルの液体、とにかく不審者。「どれも学校の近くで起きているからね。怪しいと思ったら走って逃げるんだよ」

それでは登校できなくなる、とは、まさか教えるわけにもいかなかったけれど。ヌルフフフと笑い、謎の粘液を出す、黄色の頭の大男。私のクラス担任である。

考えるだに妙な話だが、マッハ二十の国家機密が新聞デビューを果たしたのだ。

朝の教室でも「まさか先生が」と奥田さんは不安げに目を伏せた。

「こんなこと、するわけない、ですよね」

「うん。ちょっと信じられないよね」

私も控えめにうなずいておく。クラスでも全面的な擁護は皆無に等しいが、本人に確認するまではと言う声はある。今はまだ、だけれども。

「それはどっちの『信じられない』」

「『どっち』って」

私は隣を向きつつ尋ね返した。

「殺せんせーがこんなことをするなんて信じられない、それとも——、殺せんせーが証拠を残すなんて信じられない」

「そんな」

当然後者だ。

「だって先生だよ。沖縄でもプールでも京都でも、あんなに助けてくれた先生が、まさかこんなことをするなんて」

私がマッハ二十の泥棒なら、先生と同等の身体能力があったなら、証拠は完璧に隠滅する。仮に隠滅しなかったものがあるとすれば、それはぬれ衣を着せるための偽装である。

「信じたくないよ」

赤羽は黙った。奥田さんが黙りこくってうなずいた。

だが、どこかの席で誰かは言う。「殺せんせーじゃなかったら誰なんだよ。だって殺せんせーは——」

——国家機密の超生物は結局、ホームルームの頃には信用を失墜させていた。

先生が聖職者然とした人物だったら、このような事件は起きなかったのだろう。だが先生は現に俗物的で、教室でもグラビア誌を読みふけり、さらには同僚(ビッチ先生)への性的な関心を露骨に示すこともしばしば。何より彼は自他共に認めるほどに巨乳を好んでいる。

「先生まったく身に覚えがありません」

先生は反論したが、

「アリバイは」

「高度一万メートルから三万メートルの間をあがったり下がったりしながら、シャカシャカポテトを振ってましたが」

当然証明できる者がいない。マッハ二十の現場不在証明ほど無意味な行為はあるまい。ただの一問答で皆が同じ結論に達すると、逆に容疑者が潔白の証明を申し出た。

「準備室の先生の机に来なさい。先生の理性の強さを証明するため——今から机の中のグラビア全部、捨てます」

ところが忙しなく雑誌をつかんでは投げていたはずの触手が、いつの間にかブラジャーを絡めとった。かと思うとクラス名簿にカップサイズと思しきアルファベットの記載、市内のFカップ以上の女性の個人情報の一覧、挙句の果てには——

「い、今からバーベキューしましょう、皆さん。放課後やろうと準備しておいたんです」

——ブラジャーの串が出てきた。

この日、先生の容疑は晴れることなく、むしろ深まる一方で、彼は針の筵に座らされた。最後の授業などは露骨に帰り支度を進める者がいたほどだ。先生もホームルームのホの字もなく自ら別れを告げて去った。返事はない。生徒も生徒でそそくさと教室を後にする。奥田さんも今日は早かった。

「また明日」

意気消沈した様子で挨拶を交わすと、そのことでさらに落ち込んでみせて、しかし教室には背を向ける。

降ってわいたような疑惑だが、クラスの論調は固まってしまった。多少不自然だったとしても、証言は国家機密を表すようで、また本人も巨乳好き。さらにいえば間の悪いことに今日は他の大人がいなかった。

覆面の下でほくそ笑む白装束が目に浮かぶ。

先生の次の行動も手にとるようだった。生徒の信用を失った彼は、ただちにその回復を試みなければならなかった。とはいえ現場不在証明は無意味、通り一遍の主張ももはや逆効果だ。彼が真に潔白を証明するには、真犯人を暴くよりほかない。そして思い立って今日明日で、いや今日中に試せることといえば、たとえば現行犯の確保——。

嫌な予感がした。

シロは梅雨時に訪れたイトナの保護者を自称しておきながら、その実、彼を駒以上でも以下でもなく扱ってきた。それは堀部イトナが相手だからではなく、いかなる者に対してもそうなのだ。七月の寺坂くんしかり、私たちしかり。

ただの予感だが。先生の目を盗んで校舎に工作できる人物は限られている。先生は超人的な五感を有する。だから基本的にE組以外の暗殺者は旧校舎に近づくこともさせてもらえないのだとか。だから沖縄での暗殺は、殺し屋との共同計画にはならなかった。だから七月は寺坂くんが使われた。いずれにせよ、ろくなことがない。

私は荷物を持った。顔をあげると、いよいよ皆が立ちあがり、教室にはもう半数もいない。一方で隣の席には何やら人が集まっており、過半数にならって立ちあがった私を、まさにその席の人物が呼び止めた。

「どうしたの」

「とか言って、聞いてたくせに」

「多少は。たしかヒーロー漫画の話だったよね」

「そう。にせ殺せんせーよ」

赤羽の横でクラスメイトが独り、高らかに宣言する。

クラス随一の少年漫画愛好家、不破優月は主張した。ヒーローもののお約束、偽者悪役の仕業だと。

「復讐よ。殺せんせーに秘孔を突かれたの。だから黄色いヘルメットを着けてなくちゃいけないのよ」

「『秘孔』」

「人間の急所の一つよ。ここを突かれると人体には様々な変化が起きて、最悪の場合——死ぬ」

そういう漫画があるらしい。

とにかく不破さんの推理によると、真犯人の正体は、黄色の保護帽の大男。ヌルフフフではなくフフフッと笑い、粘液は、「あ、暗殺教室は少年ジャンプなんだから」

とはいえ事件が続けば担任も居心地を悪くする一方だろう。そのようなことで賞金首に逃げ出されてはE組が困る。だから先んじて真犯人を捕らえ、賞金首その人には貸しをつくろうと、赤羽が提案したのだった。

誘われた以上は断れない。私はその晩、彼らの作戦に加担し、とある合宿施設に侵入することになる。参加者は他に茅野さん、渚くん、そして寺坂くん。体育の授業で教わったことを生かして、塀を越えて茂みに潜んだ。不破さんと人工知能の調査では、ちょうど巨乳アイドルグループがこの施設に合宿に来ているそうだ。

「真犯人なら、この極上の洗濯物を逃すはずがないわ」

ので、向かいの茂みには筆頭容疑者も隠れている。ほっかむりつきで。

「どう見ても盗む側の恰好なんだが」と寺坂くん。

「でも見て、真犯人への怒りのあまり、下着を見ながら興奮してる」

「いや、あいつが真犯人にしか見えねーぞ」

だが、寺坂くんたちがささやき合ううちに第三の人物は現れた。塀を越え、素早く洗濯物に駆け寄る大男。頭を覆い隠す黄色の保護帽が、全身の黒ずくめを台なしにしている。そしてそれ以前にいかにもただ者ではない身のこなしだ。

ああ、ろくでもない。

私たちが手を出すまでもなく、ほっかむりつきの冤罪被害者が触手で絡みついた。

「押し倒して隅から隅まで手入れしてやる」

ヌルフフフ、どったんばったん、性犯罪の現場に早変わりだ。しかし、やがて触手は被り物をとりあげ、真犯人の素顔を暴く。

「——なんで」

先生はたちまち硬直した。ダイラタント光線を浴びたからではない。クラスメイトも次第に気づいた。距離はあるが、暴かれた素顔を私たちはよく知っている。茅野さんが名前まで思い出した。烏間先生の部下だった。

微動だにしなくなった賞金首の周囲で、物干し台が音を立てる。彼がはっとなった頃には、白色の敷布が広がり、さおは上へ上へと伸び、洗濯物は地面に落ちた。変形したのだ。さながら敷布のおりだった。先生を隠した敷布の下から、かの部下が保護帽と共にはい出てくる。そして、やはり堀部イトナが上からおりに飛び込んだ。

「君の生徒が南の島でやった方法だ。当てるより、まずは囲うべし」

シロがこちらに歩いてくる。「君たちの戦法を使わせてもらったよ」

悪びれることなく私たちを見ると、シロはあっけらかんと下着泥棒も自供した。烏間先生の部下は、今回限りの代役だとも。彼も青ざめた顔で肯定する。はるか上からの指示で——やりたくなかったが断れなかった。

だが何を言っても今さらだ。シロの暗殺は始まってしまった。

「シーツに見せて囲ったのは対先生繊維の強化布。とても丈夫で、戦車の突進でも破けない」

「イトナの触手に装着したのは、刃先が対先生物質でできたグローブ。高速戦闘に耐えられるよう混ぜ物をしてあるので、君たちが使うナイフと比べて効果は落ちるが、触手同士がぶつかるたび、じわじわ一方的にダメージを与える」

「そしてイトナの位置どり。常に上から攻撃して標的を逃がさない」

白ずくめの暗殺者は今日も呪う。「これで仕留められないようではね」

おりに阻まれ中は見えない。しかし、それは絶えず揺れ、標的の生存を伝達し、——やがて光が漏れ出ると、遅れて衝撃を連れてくる。

南の島でも見た景色。だが先生の生死は疑わない。同じ光景だったから、完全防御形態を知っていたから。白装束が狼狽したから。賞金首が立っていたから。宙に舞った生徒の体を、彼の触手が受け止めたから。

それは堀部イトナの三度の失敗を意味する。

椚ヶ丘で先生と別れた。電車通学のクラスメイトともおよそ構内で別れてしまって、赤羽と二人で電車を待つ。赤羽と私の定期券はかなり範囲が重なっているのだ。そういえば。いつものプラットホームに今日は椚ヶ丘生がただの二人だけだ。いっそ一人で帰りたかった。自動販売機程度でも寄り道をしてくれればよかったのに、少し時間が遅かったからか、一緒にまっすぐ歩いてしまった。

とはいえ話し込むような事態にもならない。プラットホームに着くやどちらからともなく端末と一緒にイヤホンをとり出したほどだ。重い空気も引き継いでいた。今晩またも堀部イトナが標的を仕留められなかったのだ。保護者は子供に見切りをつけ、子供は独り夜の闇に消えた。私たちは彼を見つけようとしたが、触手の機動力は超人的だ。だから先生がまた捜索に出るのだろう。

見つかればよい、とは思う。しかし依然として予感はなくならない。

電車の到着を待つ間、私は親に帰宅の連絡を入れ、幾らかの通知に対処した。数は少ないがいずれもこの一時間の連絡で、大体はクラスメイトから、身の安全を心配する内容だった。詳細はすでに不破さんや人工知能が共有している。私は奥田さんの連絡から順に返事を送信するだけでよかった。

「大丈夫でしたか」

「私は大丈夫だったよ。それよりもイトナくんが心配だな。雨が降らなければいいんだけど」

烏間先生からも連絡があった。ちょうど電車が到着する頃で、私は赤羽と顔を合わせて、けれども黙って電車に乗り込んだ。走行音だけが響く車内で、イヤホン越しに合成音声が内容を読みあげる。真新しい情報はほとんどないが、現場に居合わせた生徒を心配する言葉と、一連のできごとを謝罪する言葉と。「暗殺のために君たちに不安な思いをさせてしまってすまなかった」などとは、彼とて今しがたまで何も知らされてはいなかっただろうに。

そうした通知も徐々に落ち着き、電子書籍を開いて二十分、区切りよく降車駅に着く。私は赤羽と形式的に挨拶を交わすと、いつもの扉からプラットホームに降り立った。まっすぐに、いつもの改札に向かい、外でまた親に報告を入れる。迎えを申し出てくれたが、この時間ならまだ人通りがある。彼らはすんなり引き下がった。とはいえ私も早まったのかもしれない。

人の波に紛れて歩くうち、妙な気配がして振り返ったら、

「あ、バレたか」

電車で別れたはずの赤羽がいた。

「ど、どうして電車降りて——」

「めっずらしー、驚いてんの」

距離をとっていたらしい赤羽が、あっという間に隣に並ぶ。私は仕方なしに足並みをそろえた。

「別の扉から出たんだけど、そっちは気づかなかったんだ」

「手も振ったし、赤羽くんはもっと先でしょ」

「まあね。でも今夜は遅いから」

「送っていこうと思って」と赤羽は言った。謝りもした。「混雑状況の想定が甘かった。ごめん。本当は改札でバラすはずだった」

驚かせる計画ではあったようだ。

「なんで、わざわざ」

「家までしばらく歩くんでしょ。夜の一人歩きは危険だって殺せんせーも言ってたじゃん」

「そんなの赤羽くんも一緒だと思うけど」

おとなしくやられるとも思わないが。むしろ並の相手なら、その相手側の心配をしてやるべきだろう。まともな判断がつけば逃げの一手をとってくれるだろうけれど、さもなくばたやすく倒されることになる。

そして私に対してこそ、かような心配はお門違いというものだ。ミュータントパワーを使うにしろ使わないにしろ、たとえ相手が赤羽だろうと遅れをとるつもりはなかった。

「訓練の成績、俺より下じゃなかったっけ」

もっともミュータントパワーをひけらかすことはできない。暗殺訓練を引き合いに出されれば、この私は確かに赤羽より劣ってもいる。よって赤羽や不審者から無事に逃げおおせる根拠も薄くなる。

「赤羽くん、また駅まで引き返すことになるよ。いざとなったら私は迎えを呼べばいいけど、赤羽くんは——」

「そのときは俺も殺せんせー呼ぶから」

赤羽に想定できていなかったことは、たしかにこの駅の混雑状況だけだったようだ。返す手があり、私の足元を見ている。説得を続ける私を、彼はみるみる退屈を表しながらも、割合辛抱強く待っていた。時間に直せば三分もかからなかったことだが、彼は確かに待っていた。何かを私から引き出せる時を。しかし、それだけは赤羽も知らなかったのだ。

この私は決して不相応な振る舞いをしない。

結局先に赤羽が折れた。

「俺から誘った遊びの帰りに何かあったなんて聞かされたくない」

「そんな、何もないと思うけど」

いずれにせよ、この私も折れなければならない。

半年ほど暗殺教室で過ごした身としては、今晩あの場に居合わせておいて何事もないとは断言できない。シロと堀部イトナの名前は、このとき赤羽の切り札だった。彼らの存在を示唆されては、この私はますます説得力を失う。シロと堀部イトナはE組教師陣にとってさえ一筋縄ではいかない相手だ。親を呼ばなかった最大の理由もあの二人にある。そして、それらを覆すほどの反論はまったくもって私らしくない。

街路灯が等間隔に並ぶ道を二人で歩いた。親に伝えたとおり人通りはあるが、誰も彼も滅多な音をさせない。私たちも無言だったから、常に静寂に包まれていた。ひどく奇妙な時間だった。仮にも送ってもらっている立場である以上、イヤホンを装着することもできず、時々所在なく夜の空を見あげた。だが爛々と三日月が存在を主張するばかりだ。

半年前、月は真に三日月になった。半年後、地球は三日月を描きすらしない。三月だ、三月。今年の三月から来年の三月まで。三月までに私を殺すと、隣の中学生はそう言った。

しかし夏祭りから一週間以上、赤羽は殺しに来なかった。それどころか殺気の一つも向けてはこない。無論E組に賞金首がいる限りは、実際的な殺人は不可能だろう。だが社会的に殺すという言葉はある。また小説ではたびたび比喩表現として扱われる。それさえ大半は先生が防ぐのだろうけれど。だから問題は手段ではない。

赤羽の動機がわからない。

べつに赤羽に殺されるとは思わない。それどころか返り討てる自信がある。程度によっては、それこそ社会の一員として対処することもできよう。だが実際的にしろ比喩的にしろ、あまつさえクラスメイト当人を目の前にして宣言できるような殺意は、十分に不安要素たりうる。赤羽はなぜ急に私を殺す気になったのか。私は何もしていないのに。——それとも頭上に星が見えるとでもいうのか。

私は三日月ばかりの夜空から目をそらす。もっと綺麗な星空を知っている。まるで空虚な天井を知っている。だから。

静かな夜道で立ち止まった。赤羽もぴたりと歩みを止めた。

「ここまででいいよ」

辺りはすっかり住宅街だったが、目の前の道を曲がると、いよいよつき合いのある家の前を通ることになる。

「そっか」

赤羽の短い返事。私はうなずき「今日はありがとう」と謝礼をつなげる。次の言葉も決まっていた。また明日。電車を降りたときの月並みな挨拶。私は今度こそ実現すべく口を開く。しかし赤羽は疑問符を投げて遮った。

「シロが来ること、わかってたよね」

いや何も問われてはいなかった。ただの確認作業だった。

「ええと、それは今夜のこと、だよね」

「そうだよ今夜あの場所に、いや、朝からずっと気づいてた」

「そんな——なんて言えばいいかわからないんだけど、違う、よ。先生のことは信じたかったから、犯人が別にいてよかった、そう思った。それだけだよ」

「白々しい」

「最近の赤羽くんは、ちょっととげがある、とも思ってる」

「『ちょっととげがある』」

赤羽は復唱した。笑みが漏れた、といった程度の声も続く。

「はは、それで。犯人のことはどう思ってんの」

私は一拍おいて答える。

「心配だよ。シロはともかく、イトナくんは。だって——」

堀部イトナは泳がされている。

「——すごく苦しそうだった」

堀部イトナ、いや触手の改造人間は毎月およそ火力発電所三基分のエネルギーによって維持されているという。それが尋常ならざる様子で姿を消したというのに、シロは慌ても追いもしなかった。これ以上ない意思表示である。先生は正しく危険性を理解していただろう。居合わせただけの中学生にも、その末路は察せられた。そもそも先生は、苦しむ生徒を見殺しにできる人物ではない。

「悔しいな」

先生の次の行動が、やはり手に取るようにわかるということだ。

「相手はシロとイトナだ」

「それでも心配だし、死んでほしくないよ。たとえクラスメイトじゃなくても、人が苦しむところは見たくない」

私は今一度、赤羽を見た。目は合わなかった。ただ冷たい表情が浮かんでいた。

「思ってもないくせに、よく言うよ」

「そう、かな」

私も表情をつくるために目を伏せる。

「ううん、そうなのかも、しれない」

小さな苦笑、か細い声を発して演じる。

「私は一度も死んだことがないから」