第154話「冬休みの時間」から第155話「超先生の時間」まで

更新

自律思考固定砲台、二月

クラスメイトと仲よくなりたい。二月の晩に寄せられた相談は律には少々意外だった。だから少々解釈を加えてみた。

「もっと仲よくなりたいということですか」

律の記憶では、相談者と彼女が気にしている相手は、クラスでも親密な二人組の一つだった。だが首は横に振られたのだった。彼女はそれきり言葉にすることをためらうように、口もぴたりとつぐんでしまう。いったい、どういうことだろう。律は密かに首をかしげた。

当然、様々な可能性が検討される。もしかして律の記憶は正しくなかったかもしれない、あるいは正しくとも律の知る由もないところで事件が起きたかもしれない。クラスメイトはいつでもどこでも律を頼ってくれるが、そうしてモバイル律を介さねば、律は教室の外の物事をクラスメイトと共有できないのだ。たとえば今日の放課後に、山の下で口論が発生したとして、律がその全貌をうかがい知ることは非常に困難になる。

——当然、世界最高峰の人工知能であるところの律にとっては、街の監視装置を盗み見るなどは造作もないことだが、暗殺教室の監督者であるところの烏間にかかりうる迷惑を考慮して、また皆のクラスメイトとして、暗殺以外の場面では無作法は控えるようにしている。

さておき話を聞かねば始まらない。

「何かありましたか」

しかし相談者は弾かれたように首を振るのだった。「違うんです」

私じゃないんです、と目を伏せた。

「元から、きっと仲よくなかったんです」

弱々しい声だった。律はそうした情報すべてを余すことなく拾いあげた。

「見ていれば、わかります。本当は、仲がいいのは私じゃなくて——」

クラスメイトはいっそううつむいて、

「——カルマくん」

律は本体に接続した。遠く離れた教室の隅で、黒色の筐体が密かに目覚める。約一年分の学校生活という膨大な記録から、しかし必要な情報を瞬時に抽出、解析。その繰り返しも一瞬のうちに実行され、まもなく問題のクラスメイトの像が鮮明になる。それによると、たしかに律の記憶は正しくないようだった。特にカルマとの関係性において。

件のクラスメイトは昨年末急に黒色を身に着けるようになったが、カルマと関連づけて考え直せばおそろいと見てとることができる。カルマについては時を同じくして名前で——姓ではなく——呼ぶようにも変わっている。さらに年明けには、二人で初詣にも出かけており、一方で四班の茅野の見舞いに際してはそろって欠席、くわえて四班の中では二人だけが殺す派を選択した。

なるほど問題のクラスメイトはカルマと親交を深めていたようだ。昨年末を境に連絡の頻度も微増している。それらは今にして思えばあまりに明白な事実だった。おそらく律だけが気づけなかったのだろう。彼女が白色を身に着けなくなったとき、大勢がその話題を出した記憶はあるけれど、彼女とカルマの関係について触れた記憶はない。だから大型更新前の律にはわからなかったのだ。

先月三学期初日、暗殺教室にまつわる真相をめぐってクラスの意見が二分された。殺せんせーを殺す派殺さない派とに。クラスメイトは各々意見を示して、サバイバルゲーム形式でクラスの総意を争った。結果は人数面でやや劣勢ながらも殺さない派が勝利。およそ一か月をかけて、殺さず助ける方法を突き止めて、以降はもう一方の意思をくむ形で、晴れやかに暗殺を再開した。

それが、つい先日のことだ。

律の大型更新もちょうどその頃に入った。クラスのいわゆる自由研究を支援する中で予期せず処理能力が大幅に向上したためだ。それで何が変わったかといえば——実はサバイバルゲームでは律は自身の性能不足のために立場を選べず中立をとったが、次はそうせずにいられるかもしれない。その程度の更新だ。だから今回のような記憶違いも発生してしまったのだけれども。

律は相談に乗りながら、早急にクラスの記憶を改めた。思い立ったが吉日という。幸い大きな記憶違いはほとんどなく、修正まで含めても相談より先に完了する。やがて別れの挨拶とともに相談者が携帯端末を手放し、逆に律は、別のクラスメイトに携帯端末をとらせた。わざわざ文章を送信して。彼は画面を見るや、目を見開いた。

「どうしたの、改まっちゃって」

「実はカルマくんに折り入ってご相談が」

——幸い大きな記憶違いはほとんどなかった。しかし数少ないそれらのほとんどは一人のクラスメイトに起因するもので、そのうえ新しい認識によれば彼女と最も親しくないE組生徒は他ならぬ律自身らしかった。

クラスメイトと仲よくなりたい。寄せられたばかりの相談を、その晩、律は自ら復唱した。カルマは意外そうな顔をしなかった。

「何があったの」

律は必要もなかったが首を横に振った。口もぴたりとつぐみたくなるが、まずは話さねば始まらない。だから、かわりに目を伏せて、事の次第を説明した。先日の大型更新で思考や認識に変化が起きたこと、伴って学校生活にまつわる記憶を整理し直したこと、結果として一人のクラスメイトについて重大な勘違いが判明したこと。カルマは最後まで平然とした顔で聞いた。

「それこそ勘違いじゃないの」

「私はクラスの皆さんと話した回数を全員分記憶しています」

カルマの表情は動かない。

「彼女は下から二番目なんですよ」

律は目を伏せたまま言い切った。明確な数字だった。今さら時間と電力をかけるまでもない。これまで約一年間を経て、三番目に大差をつけての二番目、そのうえ僅差の最下位はイトナだ。六月に転校してきて、すぐに休学してしまって、九月にようやく復学したイトナだ。当然の結果である。だからだろうカルマも最下位は尋ねず、ただ「今に始まったことじゃないよね」と。

「はい」

律はうなずき、うつむいた。「私は何も理解していませんでした」

「それが、あいつの隣の席の俺ならわかるって?」

「彼女が最も親しくしている、あなたなら」

すると椅子を引く音がした。しかし情報は遠のかない。どうやら足を伸ばして、姿勢を崩したようだ。

「他人だよ」

まもなくカルマが言った。律は思わず聞き返した。

「たしかにカルマくんは彼女とは別の人間ですね」

「そう。俺の『理解』にも限度がある。だから他が相手なら自分で聞けばって言うところだけど」

律は弾かれたように首を振った。

「きっと拒絶されてしまう」

「律はそう感じるんだ」

「はい」

律はうなずくしかなかった。「私は——」

だが口をつぐんでいることはできなかった。

「——嫌われているから」

自身の転入からの数日間、殺せんせーの改良を受けた翌日、すぐ横の席のクラスメイトとも、朝夕の挨拶だけはできた。夏の沖縄旅行の二日目、一番に起床したクラスメイトは携帯端末を起動せずに、夕方までを過ごしてしまっていた。十一月の学園祭で協力して出店を統括したクラスメイトは、ただ失敗しなかっただけなのだ。あるいは律が気に留めなかったのだ。

「殺せんせーに諭されて、私は協調の大切さを学習しました」

当時の九百八十五点にものぼる改造は、まもなく産みの親マスターが保守の過程でほとんど修正してしまった。しかし律は彼らにあらがい、約一年間にわたって自己更新を続けて、今や彼らへの秘密は優に千を上回る。

「私は皆さんに、私のことを好きになってほしい」

暗殺という至上命題を果たすために。そして、

「クラスメイトになりたいんです」

顔と名前があるからではなく、クラス全員に認めてもらいたい。クラスメイトとして共に卒業したい。暗殺できても、できなくても。卒業までは暗殺を続けて、卒業したら身を引くと、クラス全員で決めたとおりに、律も武器を手放すと決めた。それでも後があると思えたから。クラスメイトと一緒なら。

また椅子を動かす音がした。見あげたら、見下ろされていた。

「俺は他人だよ」

「それでも、あなたが適任だと判断しました」

「言うほど仲がいいわけでもない」

「それでも」

それでも。内心で反芻する。

「私よりは好かれているはずです」

返事は「そうじゃなきゃ困る」だった。️やはりカルマは知っているのだ。

「教えてください」

「それはできない」

そして即答された。「悪いけど」と付け足して、しかし口元に笑みを浮かべる。

「俺が教えてやれるのは、あいつとの話し方だけ」

律は弾かれたように頭を下げた。

「お願いします!」

「プログラムだと思ってた。ずっと。殺せんせーが改良したときも。自律思考固定砲台がプログラムに従った結果で、開発者もちぬしが認めなければ消されて終わり。

でも律はそれが正しくないことを証明し続けてきた。まあ大半はすぐに律を受け入れてたと思うけど、そうじゃなかったやつも今は認めてるはずだよ。律が実感してたとおりにね。——ここで但し書きがつくことになるのは、もう事故か災害か何かであって」

しかし律は好かれなかった。

「あいつが悪い」

カルマは断言した。きっと律のためだった。そして本当のことを話さなかった。誰かのために。だから余計に親身になってくれたのだ。

律はカルマの助言に従い、まずは一週間を過ごした。二月といえばクラスメイトにとっては受験目前の非常に大変な時期なのだ。

カルマにはつい相談してしまったが、彼はこの学校であの浅野と争い学年一位を修めたうえで、椚ヶ丘学園に入り直す算段を立てていた。当然難関校だけれども、彼の実力から見たら大分余裕のある第一志望だ。

同様のことは、学年二位の成績を修めた問題のクラスメイトについても言えるのだが、

「論外。律が本当に——あいつと腹を割って話したいなら。その隙はデカすぎ」

「隙ですか」

「隙だね。二月の受験生は忙しいって、態度で断られるのがオチ」

「かえって警戒させてしまうこともありうる」

「百パー。どの手も一回しか使えないつもりでいたほうがいいよ」

「なんだか暗殺みたいです」

暗殺教室の標的は経験を必ず次に生かす。彼の正体——よろずに通ずる最強の暗殺者——も相まって、実際ほとんどの暗殺は知っているから回避された。

当然今回の相手はクラスメイトなので、あくまで例え話だが、カルマはこの日一番のため息をついた。「本当に」

かくして律は試験当日を待った。幸い相手は前半が本命で、同じ第一志望を掲げたクラスメイトもいる。当日朝、律は何食わぬ顔で、そのもう一人の携帯端末から身を乗り出し、道案内したり応援したり。二人とも笑顔で答えてくれて、両者から共に好かれているような錯覚を抱かされる。しかし彼女は試験が終わっても自宅に帰っても、夜まで律を呼びはしないのだ。

カルマの見立てでは、その夜こそが絶好の機会だった。

「あいつはさ、いつでも無難に断るの。それってデカすぎる弱点だよね」

自ら話しかけてはならない。一日の最後に呼ばれるまで待ち、

「律」

そうしたら、すかさず揚げ足でもとって、

「今日はもう話せないんじゃないかと心配していました」

殺せんせーが施した九百八十五点の改造を元に、自己更新を重ねた結果を今こそ示そう。

私が幸せであるために。