# 夏 誠凛高校バスケ部にはかつて十三人と*一匹*がいた。カントクが一人、選手が十二人、*犬*が一匹。十三人と一匹。 「*テツヤ*二号です」 いきなり脱がされた新入部員は、二年生からは小型犬を紹介され、破顔し、反芻し、——見比べる。 「黒子*テツヤ*先輩」 --- 「二号先輩が!」 トイレから戻ったら同じ一年のバスケ部員が、こぞって俺を振り向いた。二号先輩が。体育館の入口から、口々に必死に言ってくる。何かあったかと走ってみたが、二号先輩に何かがあったなら俺より先輩方を呼ぶべきでは? 喉元まで出てきた言葉は、駆けつけたところで引っ込んだ。輪の中央には二年がいて、その先輩は小さな犬を抱きかかえていた。 どうしたんですか。先輩がいたことで一応敬語を使ったけれど、真っ先に一年がかみついてくる。 「どうしたもこうしたも!」 ただ首を振る先輩の前で、同じ一年の彼は訴えた。いわく二号先輩が、やたらひっついて離れないのだ。 「そうなんですか、二号先輩」 黒子先輩の腕の中で*二号先輩*はクウンと鳴いた。 一年より入部が先だったから、二号先輩。二年三年がただ「二号」と呼ぶところ、一年は明確な線引きの下で「先輩」を付ける。実際に二号がどれくらいの先輩かというと、ちょうど先日、インターハイの打ち上げと同時に彼の一周年をお祝いした。二号先輩は昨年この時期に拾われたのだ。黒子先輩に。 だから「テツヤ二号」というわけでもないけれど。もちろん「黒子テツヤ」の「テツヤ」らしいが、由来は拾ったエピソードでなく、一人と一匹の顔だそうな。黒子先輩と二号先輩は目元がとてもよく似ているのだ。さらに言えば、顔にかぎらず性格も似ている。インターハイも終わった八月、思うに、彼らは多少頑固であった。 今回もそれが発揮されたのだろう。理由まではわからないが。 「いやもう休憩入ったらすぐよ、すぐ。水取りに来たら二号先輩が走ってきて、俺の周り回りだすの。もう危ないのなんのって」 おちおち歩いてもいられなくなり、黒子先輩を呼んだそうだ。拾われた恩か、二号は黒子に懐いている(黒子以外に懐いていないわけではない)。案の定、二号は、黒子にはおとなしく捕まったのだ。とはいえ原因は先輩にもわからず、やがてトイレから彼が戻ってきたということだ。 「いや俺だって、黒子先輩がわからないならお手上げ——ですよ」 「そうですか」 黒子先輩は困ったように腕の中を見下ろした。どうやら解放しようものなら、再びつきまといを開始するだろう確信があるらしい。二号先輩もこたえるようにワンとほえた。 解決が見込まれないまま、時間だけが過ぎていく。途中で火神先輩も来たが、なぜか「バッシュ」と一単語つぶやいて去っていった。いよいよ三年に相談する時か。横目でステージを見てみたら、ステージでもちらちらこちらを見ていた。中には火神先輩もいる。先輩たちにも状況は伝わっているのだ。そのうち二人がまっすぐ入口に向かってきた。 「バッシュ」 黒子先輩がつぶやいたのと、ほとんど同時の到着だった。 「カントクが呼んでる。歩いて行け」 三年の先輩は一年のたった一人を見つめた。黒子先輩が顔を上げる。あいつは大量の疑問符を浮かべたが、呼ばれたと聞けばただちに向かう。歩けと言われれば歩いて急ぐ。同じく疑問符を浮かべた他の一年を残して、あいつはたちまち背中を向けた。離れていくあいつに、別の声が飛ぶ。 「後で二号に礼を言うんだぞ!」 いったい何だというのだろう。しかし二号先輩は飛び出さず、逆に黒子先輩は解放し、輪を離れた。ステージ前で火神先輩が黒子先輩を呼んでいる。 バッシュがどうかしたんですか。木吉先輩にも花宮先輩にも聞けなかった答えは、その日のうちに返ってきた。 --- 「二号大明神様!」 怪我をするところだった、らしい。ステージ前でそのように診断したカントクは、あいつに別のメニューを厳命すると、二号先輩をたいそう褒めた。二号があいつの体について予兆を感じ伝えてくれたのだと、カントクは信じているようだった。カントクだけではない。他の先輩も二号は本当に賢いと言った。火神先輩などはバッシュの損耗具合を警告されたそうだ。半年未満の付き合いとはいえ、一年にも二号の賢さを否定する気はないが。張本人ともなれば、 「ああっ二号大明神さまっ」 こうなった。再度休憩に入るや否や、二号先輩にやたらひっつき、離れなくなった。小型犬はキャンと鳴いて逃げ出した。立場が逆転してしまっている。 付き合っていられないな、と、彼はカントクの元を目指した。元々、先の休憩で聞いておきたかったことがあるのだ。休憩時間に申し訳ないと思いつつステージ前を訪れると、カントクは一人でバインダーをにらんでいた。 「あら」 まもなく顔が上がる。 「何か用?」 「まずは、あいつの足のことで、ありがとうございました」 「いいのよ。それも仕事のうちだわ。あのバカが二号追いかけるのをやめてくれればベストだけど、まあ、日向くんか鉄平が止めるでしょう」 すると向こうで三年二人が立ち上がった。おお。感嘆が音になる。それでとカントクは彼を見た。 「別の用事があったんでしょ」 「実はお盆休みのことなんですけど」 やっぱり練習したいなー、って。 返事はすぐにはやってこない。体育館には怒声が響く。主将の声だ。それから木吉先輩がなだめる声。一年生が謝る声。二号先輩がワンと鳴く声。再び主将が何かを言って、ようやくカントクは口を開けた。 「一応言っておくけれど、意地悪したいわけじゃないのよ」 二度目だった。彼は以前もこのことについて話した。お盆もバスケを練習したいと。夏休み前、練習日を渡された日だった。カントクはそのときも首を横に振った。お盆は休み、そのかわり明けたらまた嫌というほど練習をすると。実際、お盆行こうのカレンダーはバスケの練習で埋められており、休養も鍛錬のうちとまで言われれば納得して引き下がらないわけにはいかない。それに食い下がる理由もなかった。ただ、習慣だった。お盆休みは三年ぶりだったのだ。 彼の中学は歴史的かつ伝統的で、男子バスケ部は強豪だった。キセキの世代の帝光中学ほどではなかったが、それだけのことだ。明くる日も明くる日も練習三昧。お盆も正月も関係ない。そういうものだと思っていた。 「あの、わかってます。でも、あんな試合を見せられたら、なんか——。インターハイ、すごかった」 「その結果が*あのバカ*なんだけど?」 カントクが再び喧噪に横目をくれる。「二号大明神様」をあがめる声。不調の(前兆の)原因はオーバーワーク。そこを突かれると少しだけ痛い。ああはならないようにしますから。たやすく言えるはずだったのに、なぜか喉から出ていかない。カントクがため息をこぼした。 「十五日」 「え?」 「うちが体育館を使える日」 ワン! 二号先輩の鳴き声が響く。またあのバカが何かやらかしたのか。しかしあきれる暇などなかった。 「えっと、えっ、——なんで?」 「さあね。理由はいろいろあったはずよ。もちろん。でも今ここで重要なのは、十五日にうちが体育館を使えるってこと。その日に部員が集まらないこと。 意地悪したいわけじゃないのよ。 ただ、その日は*集まれない*の。三年は全員いないし、二年も一人か二人じゃない? だから去年も一昨年もお盆に練習はやってない。 納得してもらえたかしら?」 返事はすぐにはできなかった。かわりとばかりに二号先輩がほえた。当然、関係はないだろうが。またあのバカがやらかしたのだろう。もう一度、先輩がほえる。それを聞き届けて、ようやく彼はうなずいた。自分でわかるくらい、ぎこちなかった。カントクの顔も見れなかった。 ワン! 二号先輩がまたほえた。 気づいてしかるべきだった。いや、考えなければなかったのだ。バカは俺だ。こんな*わかりきったこと*をよりにもよってカントクに言わせてしまった。 ワン! またまた二号先輩がほえて、 「休憩はもうすぐ終わりよ。あんたは顔を洗ってきなさい。私はあのバカを仕留めに——」 ワン! 二人は顔を見合わせた。 「——なんか二号先輩」 「——よくほえる日ね」 ワン! どちらからともなく二号を探す。居場所は当然わかりきっている。部員の背中、背中、その向こう。体育館の入口の一つ。そこに立ちはだかるように、二号がいた。私服の男を阻んでいた。 有り体に言って運動部らしく、同年代のようだった。しかし制服でも運動着でもなく、誠凛生かもわからなかった。特徴らしい特徴もない。強いて言えば眼鏡をしているが、ありふれた特徴である。バスケ部だけでも三人はいる。ということは、やはり他校生なのだろうか。 彼は瞬時に推理した。カントクは違った。 「今吉、翔一」 --- 「おっ、花宮」 所変わって入口付近。ワンワンほえる犬を挟んで、その場の半数が彼の名前を知っていた。特に名指しをされた一人は渋々ながらも前に出て、犬を抱えて部員に渡す。犬はたちまち口を閉じた。たまたま黒子が引き取ったのだ。押しつけた花宮はこれまた渋々、今吉を見た。 「今日の部活は十九時までです」 「あと二時間、半、っちゅーとこやな」 今吉は見上げるように顔を動かした。体育館の時計を見たのだ。その隙に花宮は背を向けた。「では」 ちょうどそのとき、ステージ前から三年と一年が到着する。つかつか歩いた三年生は最初に花宮を呼ぶことにした。 「いいの?」 「ああ」 彼女は次に今吉を見た。全然よくない目と目が合った。 「花宮くん」 「何?」 こちらもこちらで全然よくない声を響かせる。 一年生はこっそり一年の輪に加わった。みんなが首の動きで彼を見る。彼らも来客の正体はわかっているらしい。彼の横でカントクがこぼしたように、彼らの横でも先輩方が口にしたのだろう。何なら来客本人が自ら名乗った可能性もある。桐皇OBの、と最初に付けたかまではわからないが。 あの桐皇学園の*元*主将だった。あのキセキの世代の青峰が入った年のバスケ部で、ポイントガードを務めていた。今吉翔一の試合映像を彼らはこの夏に何度も見た。遠目には思い出せなかったが、近くで見たら、なるほどビデオに映っていた。ビデオで見るより何倍も穏やかな顔をしていた。いっそ柔和とまで言い表せそうだ。あの青峰をチームに招き、主将を務めきった人物なのに。そして中学時代の花宮先輩の、先輩だった——。 一年同士そうこう目配せするうちにカントクが花宮と立ち位置を替えた。 「おめでとうございます」 「せやったな。そちらさんも」 今吉もひとまずカントクと話すことにしたらしい。 インターハイ、ストリート、大会、スターキー、アメリカ、ジャバウォック。覚えのある単語ばかりが飛び交い、徐々に声が増えていく。主将、木吉、小金井、そして二年から火神。 「マジで待つつもりなんですか?」 「え? まー久々に後輩のバスケ見るのも悪い選択肢やないな」 「木吉おまえアイマスクは?」 花宮も口を挟んだ。 「部室だな。ヘッドホンも。——まさか今吉さんに使わせるつもりか?」 「べつにいいだろ。後で消毒でもしてやれば」 「まあ俺は構わんが」 木吉は答えつつ今吉を見る。ライバル校OBの大学生の顔には、はっきりと疑問符が浮かんでいた。 「いや、なんや*ええ話*してるなーってことは」 今吉はカントクを見る。 「すまんな。突然押しかけたのはこっちや。時間取らせて悪かった。いろいろ疑うところもあるやろうけど、ワシが用があるのは花宮や。花宮だけちょっと借りることはできんやろか。三十分も一時間もかかりはせん。ワシにとっても貴重な時間や」 「だそうよ、花宮くん。私としても、今吉さんみたいな人を真夏の炎天下に放って置くわけにはいかないわ」 カントクは花宮を振り返った。心底嫌そうな目と目が合った。ハァ、と心底嫌そうに息を吐く花宮。 「すぐ終わる話なら今ここでしてください。それができないなら二時間後に。あなたももう大学生です。時間くらいどうにでも潰せるはずだ。それもできないなら、幸いうちにはアイマスクとヘッドホンとオーディオプレイヤーがありますが」 「八日」 今吉は間髪入れずにそう答えた。今度は誠凛生が首をかしげる番だった。「八月八日」と言い直した花宮を除いては。あと何日もない日付である。特に何もない日であって、つまり練習の予定がある日で。 「わかるな、花宮」 「まったく意味がないということくらいは」 今吉は今ここで話すことを選んだのだ。 「*あいつ*もわかっとる」 外野にはとんとわからない話だが。花宮はうなずいた。 「そうか。あいつももう中三か」 「意外やろ。おまえが卒業してから三年たった」 「意外な事実です」 「いっぺんも帰ってへんのやってな」 「うちは母親しかいないんで」 「なあ、夜見山に帰ってくれんか」 「あなたと一緒に?」 「そうしたいのは山々やけど、ワシの予定は知ってのとおりや」 それだけは外野にもわかった。もちろん花宮にも。花宮はまた一つため息をつくと、 「仕方ないですね。久々にド田舎の空気を吸っておくのも悪くない——なんて言うわけねえだろバァカ!」 と言った。 外野はぎょっとして花宮を見た。三年から一年まで皆、花宮の言動は知っていた。が、今回は仮にも大学生が相手である。チームメイトの動揺を知ってか知らずか、花宮は冷たい声で言葉を続ける。 「ゼロ点です」 「手厳しいな」 しかし今吉も柔和な表情を浮かべている。 「なんなら禁忌肢だ。俺は*母親似*なんです。冗談じゃない。あなたもルールはご存じでしょう」 「せやったら、大会優勝おめでとう、いうのはどうや?」 「ああ、いいですね。大会優勝おめでとうございます。次の試合も頑張ってくださいね。応援してます」 「キッショ。五十点」 「わかってるじゃないですか」 ではこれで。花宮は今吉に背を向ける。ついでにカントクを呼んだ。 「もういいの?」 「ああ。悪かったな」 「うちはいいのよ。みんなオーバーワーク気味だった。ただ、あの人は全然よくないって顔だけど」 背を向けた花宮にはわからないことである。 「花宮」 それでも声は届いたが。 「大会優勝おめでとう、いうのはどうや」 花宮はぴたりと動きを止めた。 「ふうん。あんた本気なんだな」 花宮の顔は部員からも見ることができない。そして、 「そんなん初めっから本気や」 この瞬間の今吉の表情も、誰も見てはいなかった。 「*始まってはいない*んですね」 「ああ」 「けど*足りなかった*」 「そうらしい」 「百点です」 次に見たとき、今吉は元より、花宮も笑みを浮かべていた。 「カントク、後で話がある」 「もう今ここでしなさいな」 「なら八日から十日まで帰省するかも」 「いや『かも』じゃないだろ」 横から主将が口を挟む。 ワン! 久しぶりに二号もほえた。 「じゃあ、その埋め合わせと言っちゃあ何だが十五日——」 鼻歌でも歌いそうな返事。花宮は主将と並んで遠ざかり、 「——あ、花宮、ちょお待て」 行ってしまった。 一年はそろりと他校のOBを見た。なんと、ぴったり目が合った。 「あっ——あの、俺でよければ伝えましょうか」 「なら頼むわ」 今吉はほとんど即答した。もうひとつ言いたいことがあったのだと高校生の目を見て——顎に手を当てた。 一年生はいつでも聞き逃さないよう、聴覚に神経を集中させる。一方で今吉は眉根を寄せて、天を仰いだ。 「あかん、忘れた」 大丈夫ですか? 高校生は尋ねたが、大学生は最終的にはうなずいた。大事な用事は済ませたからと。それなら高校生にできることはない。大学生もくるりと背を向けただけで帰り支度を終えてしまった。 「ええと、親善試合、応援してます」 「どーも、おおきに。そちらさんもウィンターカップがんばってや」