第115話「学園祭の時間」から第118話「縁の時間」まで

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十一月、そして学園祭

進路相談が終わったら、いよいよ期末テスト、ではなくて、その前に椚ヶ丘学園には最大の学校行事が訪れる。学園祭だ。例年、十一月中旬の土日二日間で、中学校のみならず高校と同時に開催される。さらに独自の風習もあり、最も学校がにぎわう季節だ。

旧校舎の三年E組も例外ではない。今年のE組はどんぐりつけ麵を中心に、山の幸を出す飲食店を開く。——被差別待遇のE組も学園祭には出店できるのだ。先の中間テストから今日までに劇的に待遇が改善したわけではなく、ただ毎年のことである。そして毎年やはり待遇が悪い。学園祭の規則が一つ、すべてのクラスはクラスの教室がある校舎に店を出さなければならない。

「おい、店、外だってよ」

「だよね、わかった。配置は」

「磯貝がやってる」

「ありがとう、寺坂くん」

「おー」

「そういえば人力車の話は聞いた?」

「人力車だァ?」

「まだみたいだね。来てくれるお客さんを中腹まで送るの。決定ではないんだけど——ほら、引く人が必要だから」

「で? それが俺と——」

「——吉田くんには声をかけたって、赤羽くんが」

「クソカルマ! 俺にも直接、言えよ!」

基本的には、中学生は中学校の校舎で、高校生は高校の校舎で、というだけの規則なのだが、E組にとっては大打撃だ。十二クラスが本校舎に店を出す裏で、E組だけは旧校舎に店を出さなければならない。山の下から山の上まで、その距離およそ一キロメートル。登り慣れ、登るよりほかないE組生徒はともかく、ただの客が、なだらかとはいえそれだけの上り坂をわざわざ歩こうとは思うまい。

だから形式的に尋ねただけで、人力車はすでに決定事項だった。人員もだ。見るからに体格がよく、そこに体力も伴った者たちが、クラスに現状は寺坂くんとあと二人。その内一人が料理長として引き抜かれた以上、ぎりぎりの人選だった。

「いいぜ、休憩できるんならな」

寺坂くんは理解したようだ。諦め交じりでもあろうけれど。赤羽の名前を出した影響だろうか。

「もちろん。基本は二人にお願いすることになるけど、ちゃんと交代要員は用意するよ。——吉田くんとイトナくんの所に行ってもらっていいかな。グラウンドにいるはずだから。人力車の件で確認することがあるんだって」

寺坂くんは最後にもう一度だけ悪態をついた。彼の背中を見送って、私はタブレットに視線を戻す。幾つかの操作を挟んで、作業が一つ減り、二つ増える。画面の端で通知が一件、薫製について。詳細を確認しようとしたところに、ちょうど渚くんが訪れる。

「薫製のこと?」

「うん。みんなの確認がとれて、倉庫でやることになったんだ」

「道具も用意できたんだってね。メンバーも——」

改めて詳細を開くと、渚くんの他に茅野さんと杉野くんの名前が挙がっている。

「——これで大丈夫だよ。それにしても薫製なんて、いったい誰が考えたの」

「えっと、たしか茅野だったかな」


学園祭準備期間に突入してから、私の前には入れ替わり立ち替わりにクラスメイトが訪れる。寺坂くん、渚くん、磯貝くん、イトナくん、それから。また誰かが来た、そういう体で顔をあげると、今度は赤羽に見下ろされた。

「忙しそうだね、マネージャー

まるで他人事のように私を呼んだ。

「赤羽くんも、お疲れ様」

「どーも。——嫌がらせ対策なんだけど、やっぱ何人か置くことにした」

赤羽はこの学園祭で防犯まわりの相談役として起用された。対策が効力を発揮するような事態など訪れないに越したことはないが、少なからず可能性があることを、E組はこれまでの経験で学びに学んでしまっている。もっともマッハ二十の担任が目を光らせる中で異物混入などを試みることは、至難の業ではあるだろう。烏間先生とて先月あの自称『死神』を倒した猛者だ。

「律から聞いてるよ。調達班でローテ組むんだってね」

「それ。麓のやつらも制服ってことになったから。エプロンは着ないけど」

「わかった」

私は返事とともにタブレットを操作する。触れて現れたキーボードをたたき、指先でオブジェクトを移動させ、瞬時にクラスメイトから返答され、

「うまくやれてるみたいで何より」

正面から感想をいただいた。私は中断して顔をあげる。

「赤羽くんが推薦したんだよ」

「得意そうだったから」

つけ麵、人力車、薫製、防犯、クラスメイトが学園祭のために様々な役割を担う中で、私も一つ役割を与えられた。マネージャーと呼ばれることもあるが、要は自律思考固定砲台の補助である。

類まれなる人工知能はこの最大の学校行事に当たって、情報処理を担うことになった。モバイル律をはじめ、常日頃からクラスの暗殺のために様々なアプリを開発してきた人工知能だ。文句をつける者などE組にはいない。

その一方で、人工知能であり固定砲台でもあるこのクラスメイトは、本体が教室に根づいており、物理世界での活動に明確な課題を抱えていた。その解決に向けた試みの一つが、各クラスメイトの携帯端末にインストールされたモバイル律である。とはいえ根本的な解決には至っていない。いまだこのクラスメイトの制約は多く、よって誰か補佐が必要だと、直接に求められ、なぜか私が推薦された。

赤羽に推薦された。他に候補がいなかったわけではない。たとえば人工知能と親しく、時に鋭い推理を披露する不破さんもいた。だが彼女はイトナくんの偵察ヘリや他数名と敵情視察を任されてしまって、候補から外れてしまったのだ。他にはただでさえ忙しいクラス委員の二人だとか、もっと適役があるだとか、元よりしたいことがあるとか。この私に特に用事も希望もなく、一つの異議も上がらなければ、甘んじて引き受けるよりほかにない。

「律が全部やってくれるから、私がすることはほとんどないんだけどね」

すべて情報は人工知能の下に集約され、そこでありとあらゆる加工を受ける。私はほとんど整然とした情報を眺めているだけで、準備期間を過ごしていた。

「裏山でとれるキノコのリストなんかもつくってくれて——あのマツタケがとれるなんてことから、タマゴタケとベニテングタケが似てるなんてことまで」

「あ、それ俺だわ。キノコとって殺せんせーに見せたら分別してくれた。タマゴタケは絶対に毒キノコだと思ったんだけど」

「たしかに毒々しい見た目だね」

「実際はレア食材らしいよ。ただ、そのベニテングタケって毒キノコと間違えやすいって」

間違えて食べたところで死亡例はまれだが、報告は上がっている。死なずとも食後数十分で消化器系の症状や、神経系の症状まで現れることもあるようだ。

「気をつけてね、赤羽くん」

「間違えてなくて残念だって素直に言えば」

退屈になった赤羽がそのようなことを言うので、この私は苦笑して一覧を閉じた。

学園祭まであと五日。期末テストまで、あと一か月。

学園祭までの五日間は慌ただしく問題と隣り合わせの日々だった。

「やっぱりウエイター陣には執事服とメイド服を着せたい」

「オプションとかどうかな。ツーショット千円とか」

「先生ももっとちゃんとお店の様子を見たいです」

「今までに報復した仲よくなった方々も招待したいです」

前半は即否決。後半は烏間先生に相談の上、条件つきで許可が下りた。一つ、置物に徹すること。二つ、初日午後昼食時を外してまとめてお呼びすること。彼がどこに頭を下げて回ったかは定かでないが、どこかに頭を下げたことは確かだ。

そうして制服に関する要望をとり下げたり受け入れたり、先生の扮装おきものを美術班と相談したり、とはいえ大半の問題は教室の隅の人工知能が解決して、いよいよ土曜日が訪れる。

「とりあえず、おつかれ」

「まだ学校にも着いてないよ」

「まあまあ」

その朝もはや驚くことではないが、クラスメイトと同じ電車に乗って、同じ電車を降りて登校した。

「マネージャーは昨日が一番、忙しかったでしょ」

「それは、そうかも。律からもあとは一人でできるって言われてるし、今日は学校で磯貝くん片岡さんと話したら、たぶんキッチンに入るんじゃないかな」

「そういうこと。よくやったじゃん」

「それなら、ありがとう、赤羽くん」

面倒事の半分はこうして隣を歩くクラスメイトが引っ提げてきたわけだが、それには触れず笑みを浮かべておく。彼はたちまち表情を削ぎ落して、隣で露骨にため息をついた。そしてこの私はそのことにも触れずに、ただ僅かに眉を寄せる。彼の表情にはもうなくせる部分がない。ただ、道を曲がった。

「勝てると思う?」

「勝ちたいね」

「うわ出た、模範解答。そういうのじゃないって、わかってるくせに」

「私、真面目に答えたつもりなんだけど」

言わずもがな、今日から二日間の学園祭の勝敗である。椚ヶ丘学園は実力主義。たとえ学園祭だろうと、生徒が実力を示す場でなければならないのだ。たとえば中学校も高校も問わず全クラスが出店するこの行事では、各クラスの売上が競争の対象だ。だからこそE組も出店しなければならない。言わずもがな例年の最下位は、山の上の最悪の立地の旧校舎のE組なので。

しかし今年は少々様子が異なるようで、本校舎の生徒たちはなんとE組に前向きな期待を寄せているという。先々月の体育祭や、先学期末のテスト対決、さらにさかのぼれば梅雨明けにも球技大会があって、今年のE組は番狂わせを起こしてきた。その影響だろう。それでE組は今回は、彼らの期待にこたえる形で、そして競争するからには優勝を狙おうと、前向きに準備や偵察にとりかかったのだ。

高校まで無差別に売上を競う中でも、中学校の三年A組は依然として強敵で圧倒的な優勝候補だ。中学校の三年A組には浅野くんが在籍している。浅野くんは万年首席の生徒会長だが、その肩書だけで済まされる中学生ではない。たとえば私たちが入学してからの売上競争は、二回共、浅野くんのクラスが優勝した。エースばかりでもない有象無象の入り乱れたクラスがだ。

A組は偵察ヘリにもなかなか手の内を明かさなかったが、昨日、小冊子が配布された。浅野くんは飲食店ではなくイベントを選んだという。生徒同士のグループが出し物をするそうだ。要約すると——飲み食い無料、芸能人も出演するよ!

「期末までは言ってやるけど。俺は客観的な意見を聞きたいわけ」

「そんなこと、私以外の人には聞かないでね。クラスの士気に関わるから」

さらに言えるなら、私にも二度と尋ねないでほしい。言えなかったけれど。期末テストがまだだったから。

そして期末テスト前のクラスメイトは、

「頼まれなくてもおまえ以外には聞かないよ」

と刺すような声音で答えた。


いざ始まったらやはり浅野くんのA組は凶悪までに売上を伸ばした。偵察ヘリの映像を見れば優勝さえ一目瞭然のようだ。一方のE組は、まあ、立地の割には客入りがよい。

私は通学路で話したとおりに厨房に入った。クラスメイト数名と共に調理室で、料理長と副料理長を手伝ったり、食器を洗ったり、ごみを出したり。昼食時を迎えると調理室はにわかに忙しくなった。一般の招待客が入ったのだ。クラスの誰もが知るところでいくと、わかばパークの面々が訪れた。渚くんが対応していたから、おそらく彼の招待客だ。同様に時折り調理班からも一人、二人が招待客の対応に出ていって、それでも忙しくなったはずの調理室はよく回って、

「カルマのやつが呼んでる」

まもなく十四時を迎える頃、室内の磯貝くんを経由して呼ばれた。まるで手順にないことだったので、何事かと素直に廊下に出ると、今度は、

「家族が来てる」

と赤羽が言う。私は改めて時計を見あげた。十四時前。先生の招待客あんさつしゃはまだしばらく来ない。肩の力を抜いて、礼をする。

「教えてくれてありがとう。お母さんかな、お父さんかな」

「どっちも、じゃないの。二人だったよ」

「そっか。先生のお客さんが来る前でよかった」

「麓で注文したみたいだから——」

赤羽がおもむろに腕をあげる。その先を追うと、二人分の料理がちょうど配膳盆に載せられている。

「何から何までありがとう」

「いーよ。テストで決着つけるって、ちゃんと覚えててくれれば、それで」

赤羽の指し示したとおりの料理が、私の両親の注文だった。私はただ運ぶだけでよかった。外に出たら、私に遺伝子の半分ずつを提供しようとした二人組が、横並びに席に着いて待っていた。彼らは娘に気づくと名前を呼んだ。この私も笑みを浮かべて二人を呼び、それぞれ料理を提供する。看板商品のどんぐりつけ麵だ。

「がんばってるね」

「うん、ありがとう。つけ麵すごくおいしいから、冷めないうちに食べちゃってね」

「あなたはもう食べたの」

「ちょっと前に。デザートも食べた。二人はモンブランとゼリーを頼んでくれたんだよね。今つくってるところだから、食べ終わる頃にできあがるんじゃないかな」

向かい側に回って椅子を引くと、父親が麵をスープにつけ、母親が麵を口に運び、ずるずると音を立ててさもうまそうに胃に収めていく。店はがやがやと活気づいている。知らない制服も、知らない大人も、知らない子供も、大体がつけ麵とデザートを注文して、時にさらなるサイドメニューがつき、時にデザートだけが注文されたり。

学園祭での出店に当たっては、各クラスは飲食店かイベントかを選択することになった。全体としてほとんど差は出なかったが、イベントが比較的少数派で、多数派のうち半分は甘味や飲料が主体。そしてまた半分が、実は食事の提供を主体としない。とはいえ数少ない食堂をわざわざ山の上に求めようとする者は、やはり少数派であるだろう。両親は屈託なく「おいしい」と言うけれど。

「料理上手が二人いてね。一人はラーメン屋を目指してるんだって」

「あなたは」

「私は皿洗いだってば」

「ホームページもポスターも、メニューもよくできてたよ。それに松茸! この山に生えてるんだって?」

「私たちもみんなでびっくりしたところ」

ドングリからマツタケまで、E組の模擬店の売り文句の一つは、山の天然食材だ。麓で客引きのクラスメイトに口説き抜かれただろうから、今さら詳しくは言わない。

「ずっと心配してたけど、ちゃんといい雰囲気のクラスだね」

ただ両親がほほ笑んで、まもなく丼を空にした。すると前言のとおりにちょうどデザートが運ばれる。二人は再び笑顔になった。——それだけでよかった。この様子なら私は三月までこの教室にいられる。

ついにデザートまで食べ終えて両親が山を下りたので、私は後片づけがてら数十分ぶりに校舎に戻る。すると来客を教えてくれたクラスメイトが、鞄に何かを片づけていた。声をかけたわけでもないのに気づかれて、何やら袋を見せつけられる。メイド服である。たしかに彼はコスプレ喫茶を熱心に訴えた一人だったが、

「着る?」

「着ないよ。なんで持ってきてるの」

「万が一のためにね」

何の万に一つだか。給仕係の女子生徒は頭にそれこそメイド的ヘッドドレスを装着しているが、後は男子生徒と一緒にただ制服の上からエプロンを被るだけだ。きちんと否決されたおかげで、E組の模擬店はコスプレ喫茶にはならなかったのだ。しかしこのクラスメイトは種類も豊富に衣装を用意していた。本当にどうしてと改めて顔を見たら、彼はこのような言葉でこたえた。

「ねえ、渚くんにはどれが似合うと思う?」

学園祭二日目。その朝は日曜日にもかかわらず電車が混雑していた。だが予想を突き合わせるような真似はしない。私も赤羽も答えを知っている。そのとおり、乗客の全員が椚ヶ丘駅で降りた。浅野くんの商売が恐ろしくうまくいったのか、否、共に降車した大勢は、共に本校舎を通り過ぎる。

「まさか女装した自分に一目ぼれした男が、超有名グルメブロガーだったなんてね」

山道を上りながらでこそ赤羽はこのような口調だが、車内でわざわざ話したときには「コスプレ撮影会までやればよかった!」とかなんとかいたく惜しんだ様子だった。

何かというと、渚くんのことである。彼は男子生徒ではあるのだが、女子生徒と比べても小柄で華奢で、そして中性的な造形をしていた。ので、いつだったか、警戒を避けて女子のみで潜入するときにそれでも男手が必要だとなって、彼に白羽の矢が立った。女装である。そこでよりにもよって渚ちゃんに心を奪われてしまった何某が、彼女に会うために旧校舎に現れたのが昨日の話。

「あっちも、まさか渚ちゃんくんだったなんて、思いもよらなかっただろうね」

「そうだろうね。これはもう寺坂たち要らないんじゃないの、マネージャー」

赤羽が進行方向に顎を向ける。まだ中腹にも至らないのに、とうとう開店待ちの行列とすれ違うことになりそうだ。たしかに人力車もとい自転車タクシーは不要だろう。客引きは案内人として引き続き置いておくとして、護衛を用意するとなると、

「シフトEかな」

調理班と調達班も増やさねばならない。

「まあ判断するのは律だけど」

「いやマネージャーが言うなら、そうなんじゃない」

実際に頂上に到着したら、ただちにEのシフトを言い渡された。


テレビ番組の生中継が入った。クラス委員と料理長たちがインタビューを受けて、担任教師として烏間先生も挨拶をした。当然に看板商品も映ったので、それからますます客足が伸びた。開店前から五百メートルだった列が、正午には一キロメートルを超える大盛況だ。しかし十四時過ぎのこと、とうとう在庫が切れ始めた。学園祭の終了にはまだ早いが、先生は打ち止めを提案する。

「これ以上とると山の生態系を崩しかねない」

反論は出なかった。

完売まで人工知能は休みなく計算した。模擬店は計算に基づき徐々に品目を減らし、完売すると一足先に閉店した。

「勝てなかったね」

結果発表の後、小さな声で赤羽が言った。優勝は浅野くんのA組、二位が高校三年A組。E組はどちらにも負けた。

「でも三位は私たちだよ」

私は小さな声でこたえる。