第142話「迷いの時間」から第148話「過程の時間」まで

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一月、そして戦争

一月八日、朝の両親は、一片の疑いもなく娘を送り出した。冬休みの前も後も変わらぬ学校生活へ。

一度クラスメイトと初詣に出かけたら、二人からの朝の質問は途絶えた。あれからクラスの人間とは会っていないが、そこはそれ、中学三年生の冬だからとようやく納得できたらしい。合格守などに千円もはたいた甲斐があった。

とはいえ、

「おはようございます。三学期もよく学び、よく殺しましょう!」

長期休暇に入る前と同じく、前にも後ろにもクラスメイトが見えない通学路。その頂点の玄関口に担任と副担任が立ち、二週間前に自らの寿命を告げた先生が、今朝も三日月のように笑っている。——それが異様に浮いていた。

「おはようございます」

それだけの挨拶が響き渡るような錯覚がするほど、校舎全体に活気がない。教室が静かであることが、玄関口から把握できる。烏間先生の表情は険しい。暗殺教室の行く末を憂いているのだ。

私は先生の顔を見あげた。いつもの顔が私を見下ろしていた。

——いつか暗殺に来てください。

つぶらな瞳と大きな口が、明朗な笑顔を形づくっている。ヌルフフフと声がする。

烏間先生が私たちに顔を向けて、瞠目する。

私はその横を過ぎて校舎に入った。靴を履き替え、廊下を歩くと、床のきしむ音がよく響く。実際に教室にたどり着いても、やはり様子は変わらない。

開いたままの入口から無言で席まで歩き荷物を置いた。すでに着席していた奥田さんとイトナくんが、そこで僅かに反応を示す。互いに「おはよう」を交わしたが、そうするまで二人とも、ただ椅子に座っていたようだ。そして、それだけで教室は静まり返る。奥田さんもイトナくんも前を向いた。向くだけだ。二人だけではない。皆、会話も読書も工作も、勉強も、暗殺も、方法を忘れたみたいに、しんと時間をやり過ごしている。

初詣でカルマとは少し話したが、これが先生が過去を語らなかった理由だ。生徒の殺意が鈍ったら、暗殺教室は簡単に崩壊する。今や口実だけが必要だった。幸い、殺そうと言い出さなければ済んだ冬休みは終わり、標的との学校生活が再び始まろうとしている。監督役の烏間先生もいる。きっかけなど、いつでも、いくつでも、つくりたいだけ、つくれるだろう。

とはいえ先生も休みの間に覚悟を決めてきたようだ。

カルマは私の五分後に教室に来た。やはり今朝も同じ車両に乗らなかったカルマは、例に漏れず無言で入ってきて、私の読書を目に留めながらも、挨拶以外では口を開かない構えだ。あのカルマでさえこれなのだから、いくら生徒の数がそろっても教室の空気は変わらない。

結局この重苦しい静寂はビッチ先生によって破られる。

「一番愚かな殺し方は、感情や欲望で無計画に殺すこと」

動物以下の行為だと殺し屋は吐き捨てた。齢二十にして潜入暗殺の分野で最高峰と評されるだけのことはあって、重苦しい過去も二つ三つとあるらしい。

「次に愚かなのは、自分の気持ちを殺しながら、相手を殺すこと」

顧みるように告げられた言葉に、生徒たちが顔をあげる。

「私のような殺し方をしては駄目。金のかわりに、たくさんのものを失うわ。散々悩みなさい、ガキ供。——あんたたちの中の、一番大切な気持ちを殺さないために」

それは、ただちに生徒たちに行動を起こさせるものではなかったが、確実にきっかけにはなった。

英語教師が背を向けると、入れ替わるように担任教師が現れて、朝のホームルームが始まる。異様に明朗な表情で、あけましておめでとうございます、と。今年もよろしくお願いします、と。

「まあ今年も残すところ、あと二か月と少しになりましたがね」

先生はぬるりと言葉を選ぶ。

その日クラスメイトは、活気をとり戻さないまま放課後を迎えた。本校舎での始業式にも暗い表情のまま参加して、旧校舎に戻っても、むしろ表情は陰る一方だ。ホームルームも何も手につかない様子で、さすがに先生も授業がなくてよかったとは考えたかもしれない。しかし彼もまた一切の口を出さないまま、最後は「さようなら」の一言で廊下に出てしまう。

その戸が閉まって、すぐのことだ。早くも椅子を引く音がして、久しぶりに生徒が声を出した。渚くんだった。私は横目でカルマを見た。カルマは無表情で渚くんを見ていた。

「殺せんせーの命を、助ける方法を探したいんだ」

渚くんは生徒を裏山に集めた。三月に爆発しないで済む方法を探したい。当てはないが、あれ以来、先生を今までのように暗殺対象ターゲットとして見ることができない。三月に地球を爆破するというけれど、先生本人の意志ではない。何より恩返しがしたい。

これは、たちまち多くの賛同を得た。当然の反応だった。当然の前提として、先生に死んでほしいクラスメイトはいない。殺すより先に助けたいと思うことは、まるで不自然なことではない。

だが同じく自然な思考は、残念ながら他にもある。

「私は反対」

中村さんだ。

暗殺者アサシン標的ターゲットが私たちのきずな。先生はそう言った。この一年で築いてきたそのきずな、私も本当に大切に感じてる」

そして示し合わせたように数人が前に出る。

「だからこそ——殺さなくちゃいけないと思う」

隣に立っていたクラスメイトも、その一人だ。

半年前だったか。渚くんが才能の片鱗を示したとき、彼を友人としていたカルマに、いつか、と考えたことがあった。いつか、まんまとカルマが殺されたところで、私の負う責などありはしないと。その考えは変わらないが、どうやら今がその時だったようだ。

有り体に言って喧嘩である。渚くんとカルマの意見は、ここで真っ向から対立した。助けることを考えなかったわけがない。だが、方法が見つからなかったら、半端な結末を迎えることになったら、とても先生が喜ぶとは思えない。何より、暗殺教室で最も才能のある渚くんが、暗殺をやめようと言い出すのかと。単に反対派としてだけではない。中学三年間の友人関係が、せきを切ったようにあふれ出したのだ。

言い争い、つかみかかり、殴りかかり。さすがにクラスメイトたちが二人を引き剝がして、さらには決定的な仲裁が入る。

「暗殺で始まったクラスです。武器これで決めてはどうでしょう」

話題の賞金首その人である。

「二色に分けたペイント弾と、インクを仕込んだ対先生ナイフ、チーム分けの旗と腕章を用意しました」

今後のクラスの方針をサバイバルゲームで決めようというのだ。先生を殺すかどうかでチームを組み、争い、勝った側の意見をクラスの総意とする。場合によっては先生の努力の結晶である暗殺教室を覆しかねない提案であるが、

「大事な暗殺者せいとたちが全力で決めた意見であれば、それを尊重します」

これも覚悟のうちだということだ。

異を唱える者はなく、早速、二人の生徒が前に出る。クラスの狙撃手たちである。彼らは、はっきりと赤色——殺す——を選んだ。この一年を狙撃という必殺の一撃に費やしてきただけあって、暗殺を続けたいということだった。

すると続けて茅野さんが、これまたはっきりと青色——殺さない——を選んだ。彼女は彼女で、いざ触手で殺そうとしたときに、後悔してしまったのだという。あるいは姉の遺志もあったのだろう。先生を守りたいのだと彼女は告げた。

そして科学の力なら先生を助けられるはずだと、奥田さんも青色に続く。さらに、まるで当てがないわけではないと、また一人。神崎さんも杉野くんも青色だ。今後も相談に乗ってもらいたい、自分の気持ちに素直でいたい、助けたいと思うから助けたい。クラス委員の二人も青色だ。

一方の赤色を選ぶ理由も様々だ。卒業制作の観点から、あるいはかつて先生から受けた助言に従って、地球と恩師の命の重さを比較できなくて。殺すためにこのクラスにきたから、それでクラスメイトに出会えたから。イトナくんは赤色、寺坂くんも赤色。

「私は、先生を生かすべきじゃないと思う」

私も赤色を選んだ。

当然、カルマも赤色で、逆に渚くんは青色だ。人工知能は性能不足を理由に中立をとり、人数は二人の差で赤チームが勝る結果となった。男子生徒や専門家の数においては圧倒的だ。狙撃手二人だけではない。各分野の上位者のほとんどを赤チームが獲得している。超体育着に迷彩を施してくれているチームメイトもその一人だ。

チームメイトの手によって、体育着が徐々に色を変えていく。二学期から激化の一途をたどる暗殺や訓練を考慮して、秋頃に防衛省から支給された体育着だ。世界最先端の強化繊維、世界最先端の耐久性能、名目は性能試験のモニター、触れ込みは地球最強の体育着。一時的に服の色を変えることもできるため、適宜、偽装効果を施されてきた。今回は戦場が裏山であるので、おそらくは全員が裏山迷彩をまとうことだろう。

「意外だった」

ふと、その最中に言われた。

「何が」

「青だと思ってた」

偽装の手は止まらない。

「なんでかって言われても説明できないけど、なんとなく、暗殺に乗り気じゃなさそうだったから」

私ははたと目を見開いた。チームメイトは何事もなかったかのようにフードに色を吹きかけている。さすがに慣れた手つきだった。クラスに迷彩を施せる者は少なくないが、完成度の面から結局、裏山で暗殺するときは彼の手を借りることになる。そして賞金の分け前という名目のために、彼も積極的に協力してくれた。裏山迷彩ばかりではない。変装、小道具、大道具、引く手あまたのクラスメイトだった。

「たしかに私から菅谷くんに声かけたことはなかったかもな」

「あー、それかな。超体育着が来てからも、あんま迷彩してねーんだ。だからだな。びっくりした」

チームメイトは器用にもものを思い出すような仕草をとりながら、迷彩を施し続ける。

「でもって『生かすべきじゃない』なんて言うもんだから、もう啞然としたね、俺は」

「そんなに驚くことかな。菅谷くんたちと大して変わらないよ」

私がそう言うと、チームメイトは手を止めてしまった。また驚かせてしまっただろうかと思えば、ほれ、と彼は手を下ろす。なるほど裏山迷彩の完成らしい。

「ありがとう」

「おう。——けど俺らと変わらないってことは、なくね?」

「似たようなものだよ。卒業制作も、要は半端な結末にしたくないってことでしょ。一緒だよ。私も半端な結末を迎えたくない。それだけは一緒」

「ふうん。なんか、そういうとこカルマに似てるよな」

「はァ? あいつと一緒なわけないだろ、気色悪いこと言うな」

ハハハとチームメイトは笑って、逃げるように次へと向かった。私は追いかけやしなかった。私は私で、ちょうど中村さんに呼ばれたのだ。「カルマが呼んでる」だと。

中村さんに着いていくと、旗のそばでカルマが狙撃手二人と話していた。

当然といえば当然に、カルマが赤チームの指揮を執るらしい。そして中村さんがこの場にとどまっているところを見るに、彼女が副官なのだろう。悪くない組み合わせだ。今日は進んでクラスを分断に導いた二人だが、日頃は手を組んで悪さするような仲でもある。おまけに先の期末テストでは両者共、成績上位者に数えられた。話が合うのかもしれない。渚くんをからかうときなどは、よく息が合うようだから。

それでは青チームの指揮はやはりクラス委員の二人だろうと考えたところで、狙撃手たちがカルマに背を向けた。偉そうな態度をとられる前に、私はカルマの前に立つ。カルマはつまらそうな顔をつくって、しかし中村さんには笑顔で礼を告げた。中村さんは笑顔で応じて、やはりカルマの横に立つ。そうして、狙撃手たちとファーストブラッドの話をしていた指揮官様が、何を命令するかといえば、

「戦い始まったら、ちょっと駆けずり回ってきてくんない?」

「独りで?」

「うん、死なないでね」

中村さんが眉をあげた。私ははっきり言ってやる。

「無理」

「もちろん、多対一をやれって言ってんじゃないのよ。交戦は確実に一対一のときだけ、それも一撃離脱でいい」

「カルマ。いくらなんでも、それは無茶じゃないの」

今度は中村さんも言った。するとカルマは、たしかに、とわざとらしく顎に手を当てる。

「二学期のおまえには、たしかに無茶。——けど今日は一月八日、三学期だ」

カルマは顎に手を当てたまま、私を見る。

「だったら?」

おまえがこっちについた理由はわからないけど、俺らは勝ってる気だよ」

そうだよね、と私をにらんだ。横で中村さんの口が開きかけて、けれども何も言わない。私は思わずため息をこぼした。

「そうは言っても、そんな指示に従えるのは、うちじゃ岡野さん木村くんくらいだ」

共に機動暗殺を得意とする生徒だ。赤チームが獲得した専門家二人でもある。元体操部の身体技術と、元陸上部の瞬発力と、方向性に若干の違いはあれど、他の追随を許さぬ機動力の持ち主だ。カルマも、もちろん二学期の私も、機動暗殺では二人とは勝負できないだろう。

ところがカルマは「わかってるじゃん」と言う。私はまたため息をつく。中村さんは呆気にとられた様子で、私たちを見比べている。カルマは構わず「それで——」と続けた。

「——最後は正面戦闘に回ってもらいたいんだよね」

「——磯貝くんと前原くんを相手しろってか」

多くの専門家を獲得した赤チームだが、中には獲得できなかった者たちもいる。たとえば毒薬使い、爆薬使い、クラス委員、そして二刀流の前原陽斗。磯貝くんも前原くんもナイフ術の専門家で、連携攻撃の成績もよい。二人が連携するナイフ術は二位以下を大きく引き離して圧倒的首位、いくら近距離暗殺といえども、やはりカルマの及ばないところである。

カルマはにこりと笑って答えた。

「俺が二人いれば、かなり戦力が傾くと思うんだけど」

「おまえナイフ術は前原くんに負けてるよな」

「あはは、だから言ってんの」

「じゃあ私も言うけど、さすがに二刀流の岡野さんはやりすぎ」

「それで」

「だから磯貝くんを闇討ちする岡野さんくらいなら、やってらんこともない」

単独のナイフ術の首位は前原くんだが、磯貝くんも三位だ。その間に挟まるものがカルマであるのだから、悪い提案ではないはずだ。元より岡野ひなた自体のナイフ術も五位と突出しているのだけれど。

「じゃあ、それで」

ようやくカルマもうなずいた。一方で中村さんは怪訝な表情を浮かべた。今度はカルマもこたえるようだ。

「こいつが岡野ばりに動いて、前原を倒してくれるって」

「一対一ならな」

私は間髪入れずに訂正する。カルマはにやりと繰り返す。

「そうそう。『一対一なら』ね」

「——いや、そうはならんでしょ」

中村さんは、ほとんどにらみつけるみたいに私を見た。たしかに二学期の私は、岡野さんのような機動力も、磯貝くんに勝てるナイフ術も、どちらも持ち合わせなかった。

「けど今日は一月八日、三学期だから」

深い呼吸の気配がして、私はそれに背を向けた。指揮も司令も私の仕事ではない。追及はなかった。埒が明かないと判断されたらしい。二言、三言の文句の後に、二人の声の雰囲気が変わる。では私も私の仕事をするとしよう。ピストルを手に持って、BB弾を装填して、ナイフの赤色も目視して、そばに立つ木の枝をつかむ。

先生は基礎の一学期、応用の二学期と言っていたが、特に暗殺訓練はそのとおりになった。一学期の暗殺訓練は暗殺初心者に対して狙撃やナイフ術の基礎を仕込み、並行して体力の向上も図った。そして二学期に入ったら爆薬やフリーランニングをとり入れて、裏山で模擬暗殺演習を開くようになったのだ。実戦すなわち賞金首暗殺を想定して、烏間先生に攻撃を当てる訓練である。

烏間先生はマッハ二十ではないが、戦闘能力は極めて高い。攻撃も守備も人間離れしている、とはおよそE組生徒の総意で、実際に昨秋には伝説に比肩するような殺し屋を倒している。その殺し屋は初速といえども先生の触手を見切って撃ち落としたような、やはり人間離れした実力者であって、——しかし彼を倒した烏間先生の口癖は「俺に対して命中N発では、到底やつには当たらないぞ」である。

とにかくサバイバルゲーム形式の模擬暗殺演習は、これが初めてのことではない。ただ今回は、その標的は賞金首はおろか烏間先生でさえなくクラスメイトに変更され、もちろん訓練の一環でもない。さしずめ実戦の三学期といったところか。

よって、いくらかの規定が追加された。相手のインクをつけられたら死亡退場。審判は烏間先生だ。両陣の中間点に立ち、勝負の邪魔はしないように務めるそうだ。そして勝利条件は、敵チームの全滅、降伏、又は敵陣の旗を奪うこと。最初に中立をとった人工知能は、モバイル律を通じて戦況を表示するという。

やがて両チームの準備が完了すると、烏間先生が声を張りあげ、

「開始ッ!」

青チームから二名の死者が出た。狙撃手二人がカルマの指示で仕留めたものだ。しかし、まもなく赤チームも同じく二名の死者を出すことになる。それも片方は超長距離狙撃手だ。近距離暗殺が得意な者に彼の護衛を任せていたのだけれども、早々外側から回り込んできた敵に、不意を突かれてしまったのだろう。

下手人はさらに一名を奇襲して、防衛線を突破しようとする。容易に戻れる距離ではあるが、私は引き返さなかった。旗までとられるとは考えられなかった。とり立てて指示されてもいない。それに。

しばらくしたら案の定、青チームの神崎さんが死亡して、通信機からカルマの声がした。

「赤チーム聞こえる? 俺が指揮、執るよー」

前進、防御、偵察、攻撃。カルマは次々と指示を出した。早速、青チームの駒が二つ減る。偵察で得られた情報を元に、敵陣の深くにチームメイトを送り込んだのだ。さすがに返り討ちにあったものの、元より訓練成績は著しく低い。戦闘が苦手な駒を使って、敵の駒を二つ減らした。それも敵の片方はナイフ術四位の大物だったと思えば、そこには数字以上の戦果がある。

私はというと開戦以来、戦場を「駆けずり回って」いた。まだ交戦には至っていない。さすがに単独行動の者はなかったのだ。渚くんを除いては。

磯貝くんは渚くんを兵士と見なさなかったのだろう。渚くんはとことん戦闘に向かない。彼の暗殺の才能を生かすために、自由にさせている可能性が高い。だからといって、ただちに彼を殺せるわけでもないのだが。彼が独りだとわかった理由は、ひとえに彼だけが見つかっていないところにある。意外性はどこにもない。こうなることはわかっていた。

「そう」

カルマも薄々と察していたようで、通信機越しの返事はつぶやくような声だった。

「——もうしばらく捜しといて。後はさっき話したとおりで」

「了解」

と、私も短く返事したところで、新たな戦闘の気配。岡野さんたちだ。機動暗殺一位の二人組が、青チームのこれまた二人組を襲った。枝から枝へ飛び回る岡野さんに、翻弄されて一名が死亡退場。かたきを討たんと飛び出したもう一人は、茅野さんだ。彼女もまた枝から枝へフリーランニングの要領で、機動暗殺の構えを見せる。訓練成績には似つかわしくない反撃だが、触手の侵蝕から回復したことの表れかもしれない。

しかしながら心配は無用だろう。実際、移動を再開してしばらく、茅野さんの死亡退場が知らされた。岡野さんたちの連携の勝利というわけだ。

これで青チームの生存者は赤チーム十一人に対して六人となった。磯貝くんは、いよいよ兵士を結集させるはずだ。赤チームにはもう一人、狙撃手がいる。彼女は超長距離狙撃はできないものの、射程も命中も優秀で、今は移動砲台として旗を守っている。赤チームの旗をとって勝つには、必ず彼女を攻略しなければならない。それも渚くんを除いた最大五人で、だ。

旗から旗までおよそ百メートル。二つの旗を結ぶ直線は、見晴らしのよい地形に位置している。正面突破を試みようものなら、移動砲台のある赤チームは当然、青チームにさえ容易に射殺されることになる。それほど起伏も遮蔽も少ないからこそ、神崎さんは戦場を取り囲む林から攻めてきて、カルマも岡野さんたちを林に放ったのだ。一撃離脱の機動暗殺で徐々に敵戦力を削いで、あわよくば旗をかすめとる計画だ。

そして、

「岡野と木村が殺された」

通信が入った。

「原さんのトラップだ」

「前原くんと組んでたやつか」

「で、その前原がもうすぐ前線に出るから、おまえも速水さんに合流で」

「了解」

来た道を戻るように、枝を伝った。途中、両チームから一名ずつの死者が出た。赤チームは偵察が露見して、青チームは先のわなの仕掛け人が一人になったところで、それぞれ狙撃されたようだった。かくして赤チームは八人に、青チームは五人に。私は銃を持ち替え、指定の地点へ。移動砲台の根城たる大木の周囲には、すでに二人と四人が集まっていた。皆、銃撃戦を予想して、フードで頭部を守っている。

磯貝くんはやはり渚くんを除いた全員で移動砲台を攻略するようだった。守備を捨てたということだ。カルマはそこに中村さんや寺坂くんを向かわせた。体格の優れた寺坂くんたち三人を盾として、中村さんに旗をとらせる作戦だろう。よって、磯貝くんたち四人に相対するは、移動砲台とその護衛二人——イトナくんと私——の計三人となる。カルマは陣地の旗の元に、そして渚くんは、まだ見つかっていない。

しかし戦闘は始まった。

「行くぞ!」

磯貝くんの合図で、四つの影が飛び出してきた。彼らは移動しながら私たちに銃口を向ける。私たちはすでに銃口を向けている。互いに照準は最優先目標へ。すなわち青チームの指揮官と、赤チームの移動砲台だ。

最初の一人は青チームだった。ただし磯貝くんではなく、流れ弾を受けた奥田さんが。二人目が今度こそ磯貝くんだ。そして、とうとう、こちらも移動砲台が落とされた。すかさず木陰からイトナくんがかたきを討って、私も前原くんを撃つ。だが前原くんは全部かわして、イトナくんに斬りかかった。

ちょうど弾倉が空になったので、イトナくんが殺されている間に、回り込む。イトナくんは銃身で体をかばっていたが、前原くんの一撃は重く、よろめいたところに二撃目を食らってしまった。前原くんの二刀流である。しかし三刀流ではない。

私は背後からナイフを振りあげた。枝の下で前原くんが咄嗟に身をよじって、顔の横で斬撃を受け止める。イトナくんへの三撃目に備えていたナイフだ。彼は荒い息遣いの中で振り向き、左手のナイフも構えた。イトナくんにとどめを刺したナイフが、今度は私の首を狙う。首をそらしてかわすと、互いに姿勢が崩れ、

「してられた」

耳元で忌々しげな声がした。

思わず笑ってしまった。それは直接の返事ではなかったが、通信機は舌打ちを伝える。同時に私は大地を踏み締め、ナイフを振りあげる力を弱めた。前原くんの右腕が追ってくるけれど構わない。ナイフをそのまま滑らせるように振る。その一方で、前原くんの右手のナイフが、私の肩口に確かに触れる。

私たちは無言で一歩ずつ下がった。それぞれナイフを収めてしまい、見つめ合って、やがて、フードに赤色の飛沫を散らした前原くんが、深く息を吐き出した。

「俺は二人っきりの戦いに集中してたのに、そっちは他の男に笑いかけてんだもんな」

「笑いかけてっていうか、私は舌打ちされたんだけど」

「『舌打ち』」

「うん。前原くんにはいい知らせだよ。言葉で聞かされたわけじゃないが、寺坂くんたちが殺されたんだ」

前原くんは動きを止めた。やがて口を開きかけて、それ以上にフードの下で目を見開く。功労者の名前がわかったのだろう。その場で後ろを向いた。私も首だけ動かして振り返る。大きな木陰と、細く浅い水流と、さらに奥の木々に隠れて、赤色の旗が立っている。そして前原くんの視線の奥にも、青色の旗が立っている。この戦争は終わらない。最後の一人が、最後の一人を下すまで。


「渚くーん! 銃、捨てて出てこいよ! ナイフこいつで決めようぜ!」


それから前原くんと私が死体として、ちょうど主戦場を離れたかどうかという頃だ。入れ替わるようにカルマが姿を現した。守るべき旗に背を向けて、敵陣を目指して堂々と、最短距離を歩きだした。武器は右手の一本のナイフ。あまりに無防備な登場だ。今頃、渚くんは照準器越しに標的の身体をとらえている。

「マジかよ、カルマ」

前原くんもつぶやいた。思わずとばかりに立ち止まって、遠ざかるばかりの背中を見つめた。

「マジだろうな」

私も並んで足を止め、同程度の声量でこたえてやる。

「マジか」

前原くんが振り向く。私はうなずいて肯定した。

「最後の二人の一対一、わかりやすくていいね」

「ンなバカな」

「けど、これでカルマが蜂の巣になったら、中村さんや寺坂くんは渚くんを認められないだろうな」

勝った側の意見をクラスの総意とする。もちろん、この戦争の大前提だ。他ならぬ先生の望みでもある。赤チームだろうと青チームだろうと従うだろう。そして、そのための最短距離は、渚くんの銃の引き金が知っている。彼は今、圧倒的好機をすでに握り締めている。これは彼の得意とする待ち伏せ狙撃——暗殺なのだ。もしも、それを手放せば一転、彼は窮地に立たされるだろう。

渚くんは暗殺の天才なのであって、戦闘の才覚は並未満である。ましてや相手がその道の天才ときたら、それは有利を捨てるどころか、自ら不利を拾いに行くようなものだ。

前原くんが再び戦場を見つめる。青チームの一員としては、目を離せない局面だ。正しく渚くんの行動が、彼らの勝敗を左右する。もし渚くんが姿を現せば、青チームは一気に敗北に近づくのだ。だからといって姿を現さなければ、

「渚が挑戦から逃げたって?」

「そう、まさに、そう見える。かもしれない。『かもしれない』だけど、わだかまりが残るかもしれない

そして先生は、クラスが分裂したまま迎える結末を、明確に拒絶している。

「卑劣、悪辣、狡猾。あいつらしい攻撃だよ」

——だが、それが正しかった。

渚くんは現れた。銃を持たずに、姿を見せた。マジか、と彼の仲間の死体が、私の横で目を疑う。しかし戦場で渚くんは、いよいよカルマの前に立った。

「あーあ、撃っちまえばよかったのに」

「——殺す派、だったよな」

「それはそれ、これはこれ」

「いや、そうはならねーって」

「でも嫌なやつが死ぬところは見たいでしょ」

「——いや、べつに」

「——そんな人だったとは」

「——こっちのセリフだ!」

「あ、前原くん、みんなもこっちに来るみたいだよ」

周囲は再び音に満ちた。死体の群れが押し寄せたのだ。最後の勝負が正面戦闘とわかったからだろう。両者が近距離暗殺の構えをとったからか、審判も制止をかけなかった。

そして中央の二人は歯牙にもかけない。迷彩が落ちた死体に囲まれても、ただ向かい合いナイフを振る。いつもみたいに、初撃から思いきり、殺す気で。