# 五月、さらに修学旅行 ## 一 高校生が手数を期待した修学旅行の、およそ一か月前の朝、私は進級して初めて登校して、手数の多い担任に会った。 信号のごとく黄色の皮膚に、球のごとく丸い頭、まるでわざとらしいアカデミックドレス。ただ衣装だけが「殺せんせー」の教師らしさをかろうじて支えているようで、袖から裾から、触手、触手、また触手。タコにしては多すぎて、数えきれるかもしれなくても、数えたくないほどの触手と触手。それらの超人的どころか世に知られている生物とまるで一線を画す特徴を、余さず操る三メートル弱。 「おはようございます。はじめまして。月を壊して地球も壊す、百億円の賞金首です。いつでも殺しにきてください」 出会ったばかりのクラスメイトは、私の横で苦笑した。私は啞然とした表情で、それを見上げた。決して冗談だからではない。決して冗談ではないからだ。つい三月、月は本当に爆発した。その四月、私と私のクラスメイトは国から武器を支給された。翌三月、地球を本当に爆破する前に暗殺せよと。しかし極秘といえども世界から命を狙われて、一か月以上も死なずにいる。 殺せないから、殺せんせー。 --- 卒業までに殺せなければ。地球が爆発し、人類は滅亡する。 --- それを成し遂げるという国家機密の担任教師は、この五月、修学旅行で起こった事件を瞬く間に解決した。異常な担任による常軌を逸した修学旅行のしおりの付録百三十四に、拉致実行犯潜伏対策マップがある。渚くんたちはそのうち最寄りの地点を訪ねてきて、担任は残りをしらみ潰しに確かめたそうだ。人間には不可能でも、この賞金首なら最高速度はマッハ二十。「瞬く間」は、比喩ではない。速すぎるから殺せないのだ。 速すぎるから、かわされる。速すぎるから見つからない。しかしクラス担任をするなら、どうだろう。 もちろん賞金首による提案だったということだが、結果的に条件の下で認められた。学校教師をするならば、授業の間は教室にいる。クラス担任をするならば、クラスの生徒と関わる時間は、より多い。そのうえ椚ヶ丘中学校の三年E組であるならば——。 こうして私たちは即席の暗殺者にされた。武器を支給された。体育の授業と称して、暗殺の訓練を受けている。国家機密の賞金首は、むしろ並みの教師より手厚く、マッハ二十を生かしに生かし、生徒全員を教え、助け、守っている。 今日も助けられた。私たち三人は瞬く間に拘束を解かれた。ほとんど同時に、制服に残った拘束の跡も取り除かれた。廃墟に転がされた汚れもなくなっており、擦り傷には消毒液、ボタンも全部ついていて、さらには顔まで拭われた。 「ちょっと大袈裟じゃないですか」 「いいえ、ちっとも」 担任教師は即答した。それから、たちまち、すまなそうに私を見る。 「今日は先生のスピードが至らないせいで」 「マッハ二十で、それを言います?」 「言います。先生もっと速くなります」 「——もっと?」 「超生物たるもの志は常に高く! マッハ四十でどうでしょう」 「やっぱり、ものすごく速いんですか」 「それはもちろん、二倍ですから」 楽しみにしていますと伝えたら、二十一まで下方修正されたけれど。それだって相当な速度だろう。 「頭痛や吐き気はありませんか」 「先生の目が四つに見えます」 「どれか二つは鼻の穴です」 ——これでよいのだと思ってしまった。 担任教師を待たずとも私ひとりで解決できた。ミュータントパワーで解決できた。正体を秘めたまま解決できた。渚くんたちが到着するまでカウンター席にとどめておけた。盗難車に乗せられたとき、交通事故でも起こせばよかった。路地で高校生を弱らせればよかった。戦闘のうまい班員を強化してもよかった。旅館で殺せんせーに申し出ればよかった。何かが不自然に思われたなら、記憶を改竄すればよかった。 ミュータントパワーなら、それができた。私なら、それができたのだ。 にもかかわらず、しなかった。私は、さらなる安全があることを信じた。賞金首の担任教師を計算に含めた。三月に地球を爆破するという担任教師が、私たちを助けてくれると、知っていた。待っていた。そして、そうなった。当然ではない。けれども当然のように感じられた。 先生は、ただの一か月で、そういう存在になってしまった。 それでよいのだと思えてしまった。 きっと、これは、——信頼とは呼ばれないのだろうけれど。 ## 二 私たちは、そのまま担任教師と合流し、京都見物に戻っていった。せっかく下見した*プロの狙撃手との共同暗殺*は、残念ながら、お蔵入りだ。とはいえ、暗殺を抜きにしても楽しい旅行は楽しいまま、特にしおりを書き上げた先生との観光は充実して、それこそ瞬く間に時間が過ぎた。そして先生と別れた後、最後の予定の手前の道で、見慣れた金髪と遭遇した。 そろいもそろって名前を呼んで、歩み寄ってすぐ。 「あんたたち、ちょうどいいところに来たじゃないの」 誰がビッチよとは返らなかった。月の初めに出会ったときは正しい発音を説いていたのに、テスト前にはやめていた。三年E組英語教師、*ビッチ先生*ことイリーナ・イェラ*ヴィ*ッチ。百億円の賞金首を殺せなかった殺し屋である。専門は潜入暗殺、得意技はハニートラップ。頭の天辺から爪の先まで非の打ちどころのない美形にして、産毛の先から骨の髄まで非の打ちどころのないビッチなのだ。 さてビッチいやビッチ先生は班の男子を手で招いた。のこのこ向かって足元に目をくれ、ゲッとうめいた杉野くん。標的は彼に定まった。三十秒後、彼は紙袋複数を両手に持たされ、美女の後ろを歩いていた。 「こんな引率教師がいてたまるか!」 「それがいるんだなあ、杉野の前に」 ビッチ先生は、そのまま私たち四班に合流して、やいのやいのと京都を歩く。さらに一緒に旅館に戻ると、 「美女の帰りよ、出迎えなさい」 最後のE組教師を呼びたてた。いつもなら徹頭徹尾の無視が返るところだが、今日はその人が現れた。いつも黒スーツの体育教師兼副担任兼、表向きのE組担任。防衛省が現場に派遣してきた暗殺の監督役である。専門は戦闘、得意技も戦闘。が、生徒の人気は、すこぶる高い。今も、わざわざ私たち全員の目を見て、おかえりと言ったり、大変だったなと声をかけたり。——こういうところだ。 「早速で悪いが、いくつか聞きたいことがある。荷物を置いたら俺の部屋に来てくれないか」 まあビッチ先生は、いつものように無視された。 部屋が男女別だから、私たちは男女で別れて大部屋に戻った。四班が最初だったようで、大部屋は無人だった。私たちは黙々と荷物を置いて、廊下に出る。来た道を戻る。そして男子の大部屋へ続く廊下の途中の部屋から、荷物を抱えた渚くんが現れた。男子を先に済ませたらしい。入れ替わるように部屋に入ると、E組教師三名が女子生徒四名を待っていた。 烏間先生を中央に置き、三人共が座っていた。ビッチ先生だけは座布団を使っている。 やはり先に男子と話を済ませたようだった。烏間先生が、すでに状況説明は受けたと言って、女子は、まず具合を聞かれた。全員が首を横に振る。黄色の触手生物と一秒ばかり視線が交わる。わかった。烏間先生は表情を変えずにうなずいた。具合が悪くなったときは教師を頼れということで、教師陣の部屋の位置も改めて確認した。それから。 「こいつのことだが」 烏間先生は親指を向けてクラス担任を示してみせた。黒子がいた。私たちは顔を見合わせた。クラス担任だとわからなかったからではない。先生がたびたび変装をすることは、E組の間ではよく知られている。だから、そうではなくて、その恰好自体。黒子といえば、ちょうど今日、高校生から助けてくれたときの変装だった。烏間先生は苦々しげに聞いてきた。 「相手の高校生たちが、正体を怪しんだ様子はなかったか?」 「殺せんせーの変装なら、今日のはいいできだと思うけど」 茅野さんが正直に返した。残る三人で同調してうなずく。賞金首のクラス担任は、正体を隠すためにも変装する。かつらで髪を生やすとか、顔に鼻をつけるとか、ズボンで触手の足を隠すとか、触手の手に五本指の手袋をつけるとか。それでも人前に出るのはどうかと考えさせられる変装だが、全校集会に参加しても正体は露呈しなかった。それと比べたら、黒子は正体を隠せた部類ではなかろうか。いやないか。 「大丈夫ですよ」 本人も言った。 「この顔が暴力教師と覚えられないよう、万全を期して駆けつけました」 そういえば、そういうことも言っていた。 烏間先生は、もの言いたげな顔をしたが、飲み込んでから口を開いた。 「いずれにせよ彼らには、しばらく監視がつくことになる。国家機密と接触したわけだからな。——同じ理由で、君たちにも頼まなければならない」 そして、まっすぐ私たちと目を合わせた。 「今回の件を表沙汰にしないことについてだ」 ## 三 件の狙撃手が辞退してしまった。夜の自由時間に聞かされた。明日の共同暗殺も、もちろん、すべて中止である。しかし即席の暗殺者たちは、今夜も支給品の武器を手に手に、旅館の廊下を駆け抜けた。貸し切りだから苦情は来ない。捕らえて吐かせて殺すのよ、とは男子禁制恋愛話を盗み聞きされた女子の総意だが、男子までもが殺気立った理由は謎だ。もっとも、あの先生のことだから男子の大部屋でも盗み聞きなどを働いたのだろうけれど。 挟撃、狙撃、斬撃、連撃。支給品のナイフとピストルは、すっかり両手に、なじんでしまった。玩具同然の代物なのに。ふと思い立って後ろへ下がり、自分の腹を刺してみる。*刃先*は決して浴衣の先には進まなかった。かわりに、ぐにゃりと体を曲げて、やがて元の形に戻る。周囲のクラスメイトが標的に向けているものは、そういうナイフで、ピストルだった。あちらこちらからBB弾が発射する。標的は、それらすべてから身をかわす。 とりあえず人体を傷つけることのない、素人の生徒でも安全に扱える支給品は、標的たる触手生物には覿面に威力を発揮するのだ。 もしも先生に当たったら、もしかして先生は蒸発を——。いや。いや。私は頭を振って後ろに下がった。そこで敷居を踏んでしまって、また下がって、空き部屋の畳に足が乗った。浴衣を着ていた、裸の足が。何色だろうと、白色ではない。いや。いや。けれども私は、また下がって、そのまま後ろを振り返った。窓があることを知っていた。 歩いていったら外が見えた。構えたままのピストルを、そちらに向けて照準を合わせる。京都の星空が見下ろしている。指を引き金にかけてみる。三日月の姿は見えなかった。もしも、もしかして。また私は考えた。もしも地球が爆発したら。月は爆発して三日月になった。では地球も、もしも爆発したときは三日月形を取るのだろうか。 また考えた、ちょうどそのときクラスメイトが私のようにひとり輪を離れ、私のように空き部屋に上がった。同じ部屋の畳の上を、こちらに向かって歩いてくる。私は、さもその足音で気づいたような顔をして、ピストルを下ろして振り向いた。二、三人ほどの間隔の向こうに、そのクラスメイトの顔が見えた。 「何してるの」 クラスメイトは、まっすぐ歩いて、私の横に並び立つ。二、三人ほどの間隔の向こうで、そして静かに窓を開けた。入ってきた空気が少しだけぬるい。私より十センチ高いところについた目は、同じ星空を見上げて再び私に問いかけた。 「空なんか見てた?」 「そんなとこ」 私も星空を見上げて答えた。クラスきっての戦闘能力は退屈そうに相槌を打ち、それでも夜空を見上げ続けた。目的はわからなかった。尋ねることは簡単だった。ただ、このクラスメイトとの関係性が、私にそれを許さなかった。もしも今日が先週だったら。もしも奥田さんを断っていたら。もしも六人班だったなら。今夜またしても考える。もしも彼と同じ班にならなかったら。 先週の午後。奥田さんが私を誘い、杉野くんが神崎さんを誘った。七人班の七人目を、そして渚くんが最後に誘った。赤羽。喧嘩で評判のクラスメイト。渚くんとは正反対の人種のようで、私から見たら妥当な人選。彼らは一年のころから同じクラスで、親密にしていた時期もあった。否が応でも知っている。私にとっても今年で三年連続になるクラスメイトだ。珍しいことではない。二年生になったとき、二年目のクラスメイトになったのだ。 渚くん又は赤羽は私の三年目のクラスメイトである。あるいは二年目のクラスメイトで、ただのクラスメイトだ。特に赤羽とは接点がなかった。渚くんは一年のころからクラスの大半と良好な関係を築いていた。一方で赤羽は、この学校で浮いていた。遅刻、早退、はたまた欠席の常習犯なら、喧嘩癖も一年の冬には周知だった。もちろん私とも、事務的な会話の有無もわからなかった。同じ班にならなければ——、 「先生、殺せた?」 ——世間話も不要だった。 「ううん、全然」 赤羽は軽い調子で返事をした。 「明日、千葉と速水さんを駆り出そうぜって」 「狙撃の成績いいもんね」 「二人は乗り気だったけど、磯貝と片岡さんが却下」 「どうして?」 「——二人の観光の時間がなくなるって」 「そっか。計画は班ごとに立てたんだった」 「——何か別の計画でもあった?」 「てっきり、みんなで暗殺するのかなって」 私たちは世間話を必要としていた。私たちは、ただ三年目のクラスメイトではなくなってしまった。一週間以上をかけて、今日のために作戦を練って、計画を立てた。この二日間をかけて、同じ単位で京都旅行を実行した。明日も一緒だ。帰りの電車の席まで一緒だ。世間話をすることも、今日も明日も、明後日以降も、もはや珍しくも何ともない。とはいえ世間話の内容は、まだ少しばかり偏るけれど。 おみくじの話をした。今日、先生と一緒に立ち寄った神社で引いた。先生も引いた。大吉がよかったと言って落ち込んだ。それを、ちょうど、この赤羽が末吉だと言い当てた。先生は腹を立て、彼の運勢を盗み見たが、そちらが大吉だったものだから、神社を出るまで死にかけみたいな顔をすることに。とはいえ、おみくじは最後に引いたから、二、三分の間のことだ。 赤羽は今になって言う。 「だって殺せんせー隙だらけだったし。デカい文字のぞくくらいなら通るんだよね」 「たしかに、殺さない攻撃には油断するところがあるよね」 「やっぱ精神攻撃かー」 「どんな?」 「明日、神社のおみくじを全部大凶にすり替える」 「なるほど殺せそう」 京都みやげの話もした。明日は木刀を買わせようかなと赤羽は言った。無論、担任教師にだ。今日も破魔矢を買わせていた。渚くんが、その横でしおりを開いて、苦い顔をしていたっけ。しおりの作者は生徒に起きうるあらゆる問題を未然に防ぐべく、東京での京都みやげの取り扱いの調査もしたのだ。つまり先生自身のことだが。東京のデパートで見たことがある京都みやげも買っていたから、きっと木刀も買わされることだろう。 話題は尽きない。かつてはどうあれ、このひと月は異様に濃密に過ぎていった。爆破された月と、爆破される地球と、爆破する担任と、暗殺するクラスメイト。ただでさえマッハ二十の触手生物は、驚異的な行動力で何から何までしてのけるから、この修学旅行に限ったとしても、話題には事欠かない。窓の外を見続けたとしても。言葉を形にできさえすれば、ウンもアーもエットも要らない。だから。 ——赤羽は、なかなか本題に入らなかった。 私たちは元より事務的な会話も発生しないような関係だった。もしも同じ班になったとしたら、そのときは事務的な会話が発生するようになるだけだ。いずれ世間話は珍しくなくなる。しかし、それは今ではない。渚くんもいないのに、他の班員もいないのに、私たちが目的もなく世間話をする道理など、今は、まだどこにもない。関係は急に大きくは変わらない。私たちの間には、まず用件が必要だった。 そして心当たりも、あった。ひとつ、あった。暗殺の話題ではない。おみくじの結果でもない。京都みやげの内容でもない。しかし修学旅行のできごとが関係していて、あるいは、その前から、一週間以上前から、一か月以上前から、三年生が始まる前から、二年生の冬のうちから始まっている。 「俺に言いたいこと、ないの」 「まあ、ひとつくらいは」 私たちは二年生の冬のうちから、三年生が始まる前から、三年連続になることを、確固たる事実として知っていた。珍しいことではない。この学校では。国家機密の賞金首が担任教師を務める前から三年E組は特別だった。特別なクラスだった。この学校の劣等生は末路を用意されている。*特別*強化クラス、通称、エンドのE組。劣等のままに二年生を終えた生徒は、三年E組に*落ちる*ことを校則で定められている。 ## 四 見殺しにされた。 一週間以上前、一か月以上前、三年生が始まる前、二年生の冬のこと。一学年上、三年生がそう言った。A組の生徒だった。つまり成績がよかった。進学校にはよくある話、特別進学クラスである。*だから*私は巻き込まれたとも言えなかった。心当たりもあったのだ。その前日、少し外れた帰り道に、喧嘩を制したクラスメイトが得意げな顔で立っていた。赤羽が。 劣等生の条件は様々だ。たとえば成績不振はそのひとつだが、その判断は二年の学年末テストの成績によって下される。総合順位が下位だったとか、主要五教科で赤点を取ったとかだ。特に赤点は満点より重大な事実らしい。*E組落ち*の基準は、公然の秘密だ。生徒は基本的に、成績の維持に集中すればよい。椚ヶ丘にかようような生徒の多くは素行不良など犯さないのだ。 大半の生徒の心配することではないけれど、素行不良で落とされる生徒も中にはいる。出席日数が足りないとか、授業態度が悪いとか、校則違反をしたとかだ。今年のE組には、実際に校則違反のアルバイトで落ちてきたという生徒がいる。喧嘩で評判の赤羽もE組に落ちてきた。実際のところ、彼のそれは、どだい暴力沙汰だった。一年のころから有名だった。E組落ちは二年の冬の決定だけれど。 物事には例外がある。いや。E組落ちの処分を誰が下すかという話だ。これはクラス担任の責任である。つまり二年の冬まで赤羽はクラス担任に見逃されていた。いや、かばわれた。彼は成績がよかった。頭ひとつ抜けていた。遅刻も早退も欠席もしても、暴力沙汰を起こしても、定期テストは必ず受けた。彼が学年末テストを受ければ、A組入りは確実だった。受け持ちの生徒のA組入りは、クラス担任の功績らしい。 実力主義は、この学校の根幹である。 受け持ちの生徒の成績が、教師としての評価につながる。だから赤羽は、かばわれ続けた。だから赤羽は、かばわれなくなった。あの日、彼が暴力で倒した三年生はA組の優等生だった。 「こいつです」 朝、ホームルームに現れなかった担任が、放送で私を呼び出した。一時間目の最中のことだ。廊下で赤羽とすれ違った。訪ねた教員室は荒れきっていた。待ち構えていた担任教師は、かろうじて自分の席を整えていた。ひとりの生徒が、その隣で、つえをついていた。ギプスに支えられていた。包帯に巻かれていた。一目瞭然の姿である。重傷だった。*そいつ*が言った。その瞬間、すべてが決定づけられた。 担任が何事かを喚いた。おそらく彼がいかに優秀な先輩であるかを語っていた。三年A組の成績上位者だった。そのうえ季節は冬だった。冬の二年生は学年末テストが心配だろうが、冬の三年生は高校受験が心配だろう。椚ヶ丘学園は中高一貫校だから内部進学もできるけれど、外部進学を選ぶ者はいる。実績づくりの受験もする。 「どうして赤羽の肩を持つ? 彼の実績に傷がついたら、俺の評価まで下がるんだぞ」 ひとしきり喚いたら、いくらか落ち着いて、そのようなことも言ったけれど、尋ねる体を取っただけだ。同じ言葉を先のひとりも聞いただろう。だから次も、きっと同じ言葉だった。 「おまえの*転級*も申し出ておいた。停学の届け出もしなくちゃあな。おまえは、もう少し賢いと思っていたよ。それが赤羽なんぞと一緒になって、こんな問題を引き起こすとは。さあ、三年になるまで登校しなくていいようにしてやる。二度と俺の前に現れないでくれ」 三年E組の教室だけは、本校舎の先、さらに山の上、特別校舎——旧校舎——に存在する。校則で、そう定められている。 --- 「ごめん」 --- 浴衣のクラスメイトが腰を折っていた。私は、そんなと、口で言った。彼は頭を上げなかった。頭を上げてと言ってみる。それでも腰は曲がったままだ。そして、そのまま口が動いた。 「俺は今でも正しかったと思ってる」 「赤羽くん」 「けど、だからあんたがE組に落ちてよかったとは思わない」 「いいクラスにきたと思ってるよ」 「もっと豪華な修学旅行だった」 「暗殺旅行で充実もしなかっただろうな」 「あんたが、——あんな目に遭うこともなかった」 ごめん。浴衣のクラスメイトは再び言った。私は、こう言うことに、なっていた。いいよ。と。 浴衣のクラスメイトが頭を上げた。そのとき初めて目が合った。白い顔が妙に真面目で滑稽だった。 「何もよくない」 「たしかに悪くはあったけど、いいよ、そんな。済んだことだし」 「済んだ——?」 白い顔が、ひと時、硬直する。疑問符の理由は、すぐわかった。烏間先生の「頼み」のことだ。国家機密の諸々のために、今日のできごとを表沙汰にしないことを求められたのだ。男子は女子と話すまで返事ができないと言ったと聞かされ、では女子も話し合って考えますと保留した。 「そういえば、まだ男子とは話せてなかったんだっけ。先に大部屋で考えたんだけど、女子は協力する方向でまとまったんだよ。もちろん返事は七人全員で話してから、——ほら、殴られたり蹴られたりしたわけだから」 「そんなの、最初から決まってた」 「烏間先生は頼んでくれたよ」 「その『頼み』を断るって選択肢、おまえらにはあった?」 「なかった、かな」 「済んでないよ」 赤羽が言った。先に言い出したのも彼だろうなと、私は半ば確信した。教師三人、誰も何も言わなかったが、話してみると、渚くんより杉野くんより彼が一番それらしいように考えられた。 思うに、そこが赤羽のクラス随一の戦闘能力を支えていた。堪えない喧嘩で培われた部分、あるいは彼に誰より早く高校生の襲撃を知らせた部分。警戒心だ。まるで獣のような、——だから真剣な表情が、もの珍しくて滑稽だ。らしくない。その赤羽らしさは、すべて警戒心を隠すために、警戒させないために、彼自身の不断の努力によって形成されたものだろうが。普段、皆に見せている飄々とした立ち振る舞いは。 今、大幅に崩れている。 「済んだことだよ」 理由は、わからなかった。 「E組落ちって言われたときは、この世の終わりみたいだったけど。——月が爆発したし、地球も爆発するっていうし。先生に会えてよかった。暗殺者に、なれてよかった。ありがとう、とも言わないけどさ。赤羽くん。いいことが、たくさんあった。私すごく幸せなんだ」 意表を突けた手応えも、あった。理由は、わからなかった。しかし元々赤羽は捉えどころのない人物だった。 赤羽は黙り込んでしまった。同じころ、背中の喧騒が収まりを見せ始めた。今夜の暗殺は終わったようだ。 私は窓の外に目を向けた。赤羽も同じところに目を向けた。そして窓が閉まる。吹いていた風が、やむ。私は、まだ外を見ていた。相変わらず月は見えないけれど、星は空で瞬いていた。巨大シェルターで——守られていて——は見ることができなかった*アウトサイド*の景色と、人間を殺さない程度に汚染された大気と。 二人分の足音が、ふすまの前までやってくる。開けっ放しの部屋の外に、やがて奥田さんと杉野くんが現れる。 「なんだ、二人だったのか。あっちで明日の計画を見直そうぜって、話してて」 「邪魔しちゃいましたか」 私たちは、それぞれ振り返った。 「いや、べつに」 「ちょうど、そっちに行くところだったから」 赤羽は言葉の終わりを待たなかった。最初に部屋を出ていった彼を、慌てたように杉野くんが追う。奥田さんが視線をせわしなく移しつつ、追いかけるように部屋を出る。 「私たちも」 私を見た。 私は最後に部屋を出た。ふすまを閉めるために腕を上げた。ピストルが持ち上がった。指が引き金にかけてあった。私は、そのまま、ふすまを閉めた。