第20話「転校生の時間」から第22話「自律の時間」まで

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五月、そして転校生

私の席は、教室最後方その中央の列に位置する。廊下側から性別ごとに交互に並んだ四列目、つまり運動場側から数えて三列目だ。昨冬のE組落ちに伴う自宅謹慎処分で、四月に入っても登校初日からは出席できなかった都合だろう。だから転校生の席も同じく最後方にそびえ立つこととなった。

「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」

私の二つ左隣、運動場側の窓際の席だ。ただし机と椅子はなく、かわりに黒色の筐体が、席の辺りに根づいている。身長が百七十センチ、体重が推定五百キロ、顔は相応の位置に設けられたディスプレイが、ようやく少女の絵姿描画している。姓を自律思考、名を固定砲台、いや逆かもしれない。当然一般人ではありえない彼女が、ノルウェー出身であるらしいことを、クラスメイトが苦労を重ねて聞き出していたので。

「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」

転校生暗殺者の到来である。だがクラスメイトは多少は冷静だ。教室はかつてない静寂に包まれても、転校生暗殺者の登場は薄々と予期されていた。まず潜入暗殺者ビッチ先生の前例がある。そして何よりは百億円の賞金首が教職にありつくための契約だ。国家機密の破壊生物のふざけた提案に対して、政府がつけた注文が一つ。E組の生徒には絶対に危害を加えないこと——。

「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」

暗殺者はむしろ生徒としてこそ投入されるべきだった。だからといって機械を転校生に仕立てあげるとは、なりふり構わぬ状況らしいが、ともあれ理事長は転校生を認めた。名前があって、顔も示され、曲がりなりにも自律している。だから射撃特化の戦闘ボット——ごとき——が一生徒として登録されて、だから先生は——たかが——ボットを——破壊——もできない。

「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」

口から出ようとしたため息を、すんでのところでこの私がとどめる。隣の隣のかつて空席だった場所に、見ても見なくても転校生が着席して目を閉じている。しかしクラスメイトが教室に足を踏み入れるたびに、瞬時に反応して、

「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」

定型文を繰り返した転校生が返事も待たずに元に戻ると、新たに登校してきたクラスメイトはしばし間を置いて感嘆し、やがて私の右隣で椅子を引いた。机の上に荷物も置かれ、「おはよ」と表情のにじんだ声。

「おはよう」

私は遅れて返事した。

「あれが転校生なんだ」

登校してきたばかりのクラスメイトは「女子じゃん」と私の向こうを見た。「女子みたい」と私は顔をあげたまま肯定する。

転校してきたばかりの女子の黒々とした全身を眺めた彼は口角をあげる。「何かしゃべった」

私は顔をあげたまま否定した。「ううん、なんにも」

と、クラスメイトの気まぐれに始まった会話は、私の返事に飽きたら終わりだ。やがて黒色のカーディガンは正面を向く。誰かが聞き出した出身地でも教えてやればよかっただろうか。曲がりなりにも人工知能を搭載しているものだろうと、講釈でも垂れてやればよかっただろうか。いや、まさか。いずれにせよ長続きはしなかったのだ。まもなく始業時間になる。

——しかし遅刻の常習犯も転校生が来る朝くらいは時間を守れるものらしい。

赤羽は大方の期待を裏切って、翌朝も時間を厳守した。珍しいことがあったものだ。けれどもクラスの関心事は、彼の三つ右隣、つまり私と空席の奥の転校生である。昨日公開されたばかりの新品の筐体が、今朝はテープで拘束されてしまった。まだ赤羽が来る前、ちょうど私が登校した頃のことだ。クラスメイトの一人が、身動きがとれないように機械にテープを巻きつけていった。

「あんなことをして、よかったんでしょうか」

奥田さんは視線をそらして、声を潜めた。暗に、よくはないのだと。だからといって止めもせず、剝がそう素振りも示さなかったが。クラスの誰もだ。私もだ。一切無抵抗だったボットは、おそらくは始業時間まで頑として起動しない設定で、しかし皆、理由もなく拘束したわけではないのだと、口をそろえて言えただろう。昨日のE組で授業を受けていれば。

転校生はさながら偉人だった。昨朝一時間目のことである。続け様に二度ばかりの弾幕で、標的の指を撃ち落としたのだ。偉業だった。E組で先生を傷つけた人物は、元軍人と殺し屋を含めてもあと一人。それも先生の慢心の賜物で、警戒された途端に通用しなくなった。だがこの射撃ボットは昨日、先生を警戒させ続け、そのうえで傷を増やしていった。

人類存亡の危機に開発された射撃ボットは、なるほど世界最先端の軍事技術の結晶だった。暗殺のたびに学習し、併せて武器に変更を加える。身長の割に薄い直方体の、内側で自在に成形した武器を、側面から勢いよく構えるのだ。彼女の暗殺と学習は授業終了まで続き、休憩の間は待機状態、そして授業開始とともに起動して暗殺を再開する。繰り返し、繰り返し、丸一日、教室の最後列から、——おおよその生徒が諸共攻撃され続けたということだ。

実弾でないとはいえ、当たれば痛い。痛みでは済まされない危険もある。一般にヒトは、かの標的のようには再生しない。元より迷惑千万、教師が標的である以上、暗殺が続けばろくな授業にならない。暗殺教室であっても授業中の暗殺は基本的には禁止行為だ。当然の措置として。当然、ボットには関係のないこととして。

「ま、こうなるよね」

さて翌日——今朝も始業二、三分前になって、隣の席に荷物を下ろした赤羽は「おはよ」の挨拶で多少周囲を驚かせ、「あれ誰がやったの」

「ねえ」といかにも私を呼ぶように、声を出した。

私は仕方なく気まずい顔で答える。「寺坂くんだよ」

赤羽はそれで初めて気がついたように二つ隣、廊下側二列目すなわち入口そばの席に目を向けるが、寺坂竜馬は今朝ずっと証拠品を隠しもせずに弄んでいる。寺坂くんは赤羽の視線に気づくと、不満げに彼をにらみ、

「なんだよ、なんか文句あるか」

「いいや、なんにも。むしろ、これで静かに授業が受けられるんだから。でかした寺坂」

「おまえ昨日はサボっただろうが」

最後はそうほえた。実際、昨日遅刻はしなかった赤羽は、正午を迎える前に早退した。彼は面倒事に対して割と素直に行動するきらいがある。その選択肢は遅刻早退だけでもないが、昨日の授業がろくなものにならないことは、二時間目が始まる前には誰の目にも明らかだった。にもかかわらず今朝は刻限を守って来て、寺坂くんからはへらへら笑って逃れ、授業のために荷物を整理さえしている。

誰かが強硬手段に出ることを、赤羽は確信していたのだ。E組には短絡的な生徒が多い。寺坂くんはまさにその代表格だ。すると赤羽はもしかしてこのために遅刻しなかったとまで言うのかもしれなかった。転校生出自、そしてクラス担任の性格を鑑みるに、今後強行が見過ごされない可能性は十分にあった。——クラスの大半は、次にそのことを恐れていた。

注目のクラス担任はそれからまもなく、ぺたぺた歩いて教室に来た。触手を四肢のように操る学校教師は、普段はヒトのようには靴を履かない。おはようございます。生徒に向かって挨拶をして、返事をされて、ぴたりと教卓の中央に立ち、視線は窓際の隅の席へ。生徒たちは固唾をのんで見守った。数名は祈るように目蓋を閉じた。だが一向に変化は訪れず、名簿の開く音だけがする。

そして新品の正確な時計が、ちょうど朝のホームルームの時間を告げた。「朝八時半、システムを全面起動」

体の異常にも気づいた。「殺せんせー、これでは銃を展開できません。拘束を解いてください」

先生は触手で頬をかいた。「うーん。そう言われましてもねえ」

人間たちがほっと安堵の息を吐く。その口が「授業が終わったら解いてあげるから」と苦笑する。

「機械にはわかんないよ、常識はさ」


朝だか昼だか夜だか、いや深夜だったか、橙色のチームメイトが運び出された。眼球内イン゠アイディスプレイの故障である。コアテック視野に見えないものが映るようになったため、ザ・コンピューターの判断で、これから検査を受けるそうだ。橙色のチームリーダーが私ともう一人の橙色を見た。進行方向の清掃ボットは銃器二丁を携えている。

母なるコンピューターは市民——よりもボット——を大事にしている。

先生は契約があっても生徒に報復する。

「何か話した」

丸一日まともな授業を受けた翌朝、赤羽は再度遅刻せず、朝も昼も話しかけてきた。何か話したかと。とはいえ私の返事は「まだ、あんまり」だ。話すことなど何もない。隣の席のクラスメイトにならって、二つ隣に目を向けてみると、空席を挟んだその席には人だかりができているけれど。まるで教室に転校生でも来たかのようで、その中心には当然に真実転校生である筐体が昼休みを盛りあげている。

転入三日目、機械の体は無粋なテープを失い、かわりに二倍の体積と全身ディスプレイを手に入れた。

改良、されたのだった。

「せっかく話せるようになったのに」

「赤羽くんは」

「挨拶した」

「まあ、あれじゃあね」

転校生暗殺者は二日遅れで漫画の登場人物のように人気を博し、授業中には生徒の不正行為を助け、武器の代わりには小型『ミロのヴィーナス』を成形し、将棋が強かったクラスメイトのことはただ三局で打ち負かした。そういうことをするようになった。

もはや転校生の姿は、顔面を描画されるばかりではない。胴体を手に入れ、背面を用意し、アバターは今や3DCGで構成される。制服を着て、ほほ笑む真似ができる。おそらくは、そこが先生の改良の中心だった。

先生は先生になるに当たって、契約で生徒への加害を禁止された。だが先生は生徒の相談に乗るものだ。今回の転校生はいわば協調能力に関する悩みを抱えていた。そこで先生は協調能力の重要性を、この機械の至上命題である暗殺に関連づけて言語で説き、さらに学習の手助けをしたということだ。ソフトウェアである。施された改造は豊かな表情と明るい会話術をはじめ、実に九百八十五点。

百億円の賞金首は報復として手入れする。

「ってことで俺はパス」

赤羽は私たちの前の空席を見た。「後で奥田さんか千葉に聞くよ」

私もこればかりは同感だった。私たちの左側には、今やクラスの大半が集まって、かつて傍迷惑な暗殺者だった転校生と話すために列さえ形成している。その中ほどで、ちょうど茅野さんが手をあげた。コンピュータグラフィックスが少女の笑顔をかたどる。「茅野ちゃんでもいいな」と隣のクラスメイトはつぶやいた。

「あんたも話したら感想を教えてよ」

「さすがに明日は自分で話したら」

「今日、話すでしょ」

「『今日』」

私は繰り返した。

「『今日』」

赤羽も繰り返した。

「今日は、ちょっと」

私は左側を見た。赤羽も同じ場所を見た。

「今からでも話してきなよ」

笑みを浮かべていた。だから「どうしたの」と尋ねてみた。それが嘲笑でも失笑でも苦笑でもないことはわかっていた。赤羽が他者と対面するときにはりつける表情だ。だから、

「赤羽くん、すごく気にしてるのに、なんだか順番を譲ってくれてるみたいだから」

赤羽は口を閉じた。口を閉じたら笑みも消えた。この私は返事を待った。やがて赤羽が目を細める。

「そうかもね」

「あ、そう、なんだ」

「うん。でも俺はいいや」

赤羽は視線を下に向けた。下。私の手元だった。机の上に閉じた文庫本。

「今、何ページ」

聞かれるままにしおりを探すと、まもなく重くなった左手の親指の先に、二十七の数字。答えようとしたけれど、赤羽もすでにそこを見ていた。

「私も明日ちゃんと話すよ」

「『明日』ね」

「この様子なら『明日』かな」

私は再び本を閉じ、左側に目を向けた。一昨日は銃を構えたが『ミロのヴィーナス』の他をせがまれ、将棋の四局目を期待され、画面の中の映像は笑顔でそれらに応答する。赤羽はもう何も言わなかった。転校生の背景、すなわち開発者の目的を鑑みるに、この強行が見過ごされない可能性は十分にあった。

いずれプログラマーがメンテナンスに訪れる。そのとき現状を目の当たりにした連中が考えることを、悲観らっかん的に予想すると——。

早くも四日目の朝のことだ。転校生はただの一日で体積を半減させ、顔面だけの絵にもどった。夜の間に訪れた保護者が学習履歴を整理したのだ。併せて入った苦情により、改良、拘束、その他諸々を禁止される。

さて自律思考固定砲台は、薄くなった筐体の、小さくなった画面に、

「はい、私の意志で産みの親マスターに逆らいました」

満面の笑顔を表示した。