五月、そして転校生
一
「おはようございます。今日から転校してきました。自律思考固定砲台と申します。よろしくお願いします」
修学旅行から帰ったら、烏間先生がメールをくれた。旅行明け初日だが一人の転校生が加わると知らされて、いざ登校した二つ隣の窓際に、すでに彼女は着席していた。姓は「自律思考」名は「固定砲台」いや逆かもしれない。どうもノルウェー出身だという。クラスメイトが苦労を重ねて聞き出していた。なにせこの転校生ときたら、無表情に一言一句も違わぬ自己紹介を繰り返すばかりなのだ。
身長は百七十センチ、体重は推定五百キロ、顔は相応の位置に設けられたディスプレイ。ディスプレイは少女の顔のイラストを映し、転校生の席に机と椅子はない。かわりに黒色の筐体が、席の辺りに根づいている。自律思考、固定砲台。転校生暗殺者の到来だった。
クラスメイトは多少は冷静だ。教室はかつてない静寂に包まれたが、転校生暗殺者の登場は薄々予想されていた。潜入暗殺者ビッチ先生の前例があり、何より百億円の賞金首は無条件で教職にありついたわけではない。E組の担任ならしてもよい、などの提案に対し、政府はいくらかの注文をつけた。その中にはE組生徒にまつわる条項も含まれている。E組の生徒に絶対に危害を加えないこと——。
素人を暗殺者にできた大きな理由で、素人を暗殺者に仕立てあげた理由でもある。むしろ暗殺者は生徒としてこそ投入するべきだった。そう理屈のうえでは理解していた。いずれにしても名前があって、何はともあれ顔がある。まがりなりにも「自律」している。だから射撃特化の戦闘ボット——ごとき——が一生徒として登録されて、だから先生は——たかが——ボットを——破壊——もできない。
口から出ようとしたため息を、すんでのところでこの私がとどめた。隣の隣のかつて空席だった所に、見ても見なくても「転校生」が「着席」して「目を閉じて」いる。私は本のページをめくった。教室後方の入口に、また登校してきたクラスメイトが立ち、止まって、歩いてくる。
ボットは瞬時に反応した。音をさせながら状態を移行し、定型文を繰り返し、返事を待たずに元に戻る。音が小さくなっていく。私は本のページをめくった。登校直後のクラスメイトはしばし間をとって、笑い出して、その場に荷物を置いた。椅子を引いて、表情のにじんだ声で、おはよう、と。私は顔をあげる。隣の席のクラスメイトが、ちょうど椅子に座って、私を見ている。
「おはよう」
私は遅れて挨拶を返した。
「あれが転校生なんだ」
女子じゃん、とも、登校してきたばかりのクラスメイトは言った。女子みたい、と私は顔をあげたまま肯定する。彼は転校してきたばかりの女子生徒の黒々とした全身を眺めて、また口角をあげた。
「何かしゃべった?」
「ううん、なんにも」
クラスメイトの気まぐれに始まった会話は、そう長続きしなかった。このとき彼はもう私の返事に飽きていた。誰かが聞き出した出身地でも教えてやればよかっただろうか。まがりなりにも人工知能を搭載しているものだろうと、講釈でも垂れてやればよかっただろうか。いや、まさか。これで、よかった。いずれ五分とたたず始業時間だ。必要な先生は烏間先生がしてくれる。
それにしたって。私は再度ページをめくった。——あの赤羽でも転校生が来る朝くらいは時間を守れるものらしい。
きっと現実逃避だった。
翌朝、教室に入ったら、とあるクラスメイトがまだ新品の筐体にテープをぐるぐると巻きつけていた。
二
教室最後方、窓際の片隅にそびえ立った転校生は、取り囲まれても起動せず、私が荷物の整理を終える頃には、まるで身動きのとれない体にされていた。テープを持ったクラスメイトは満足げに立ち上がり、空席そして私の席の後ろを通って引き揚げていく。
とっくに来ていた奥田さんは視線をそらして、声を潜めた。
「あんなことをして、よかったんでしょうか」
暗に、よくはないのだと。だからといって止めもせず、今から剝がそう素振りも見せないが。クラスの誰もだ。私もだ。理由もなく拘束したわけではないのだと、口をそろえて言えるだろう。昨日のE組で授業を受けていれば。
すべて昨日のことである。朝のホームルームで正式に紹介された射撃ボットは早速一時間目から仕事をしてくれた。暗殺である。続け様に二度ばかりの弾幕で、標的の指を撃ち落としてみせたのだ。偉業だった。E組で先生を傷つけた人物は、元軍人と殺し屋を含めてもあと一人。それも先生の慢心の賜物で、警戒された途端に通用しなくなった。だが転校生は昨日、先生を警戒させ続け、そのうえで傷を増やしていった。
丸一日、全授業時間を費やして暗殺を重ね、都度、学習する。転校生の思考能力は、世界最先端の軍事技術の結晶である。あわせて体内では武器が自在に成形され、攻撃の際には、その身長の割に薄い直方体の側面から勢いよく構えるという寸法だ。そして授業の時間が終わると決まって武器をしまい、待機状態へ移行する。繰り返し、繰り返し、丸一日、おおよその生徒が先生と共に攻撃され続けたのだ。
ほとんどBB弾だが当たれば痛い。痛みでは済まない危険もある。たとえ痛みも危険もなくとも確実に邪魔ではあって、誰より授業を受け持つ教師が標的となっているのだから、昨日はろくな授業にならなかった。にもかかわらず、迷惑の始末は人間の生徒が持たねばならなかった。BB弾は当たっても外れても蒸発しないのだ。射撃ボットも、ボットはボットでも、清掃ボットではなかった。
昨日丸一日、迷惑だけ被った生徒たちは、この朝は静観を決め込んだ。奥田さんもやがて背を向け、私も本を開いて読む。そして始業の二、三分前、隣の席に荷物が置かれた。
「おはよ」
前の席の男子生徒が振り向いた。思わずとばかりに口を開けて、一秒後にまったく同じ挨拶を発する。私もまったく同感だった。遅刻の常習犯がテストでもないのに二日連続でホームルームに間に合わせるとは。口では、ただ挨拶をしたけれど。奥田さんも振り向いて、おはようございますとほほ笑み、また正面を向く。私も同じく読書に戻ろうとした。
「あれ誰がやったの」
ねえ、と呼ばれたので、私は仕方なく気まずい顔で答える。
「寺坂くんだよ」
赤羽はそれで初めて気がついたように二つ隣の席を見た。
「へえ寺坂が」
赤羽の席から廊下に向かって二つ隣、同じく教室最後方の廊下側二列目すなわち入口そばの男子生徒の席だ。体格のよいクラスメイトが、私たちの視線に気づいて顔をあげる。寺坂竜馬。その手が今なお弄ぶ証拠品の所有者にして、転校生拘束の容疑者だ。そして彼のそばの入口を、後ろの席の大半が使う。私も使う。赤羽も使った。
「なんだよ、なんか文句あるか」
「いーや、なんにも。むしろ、これで静かに授業が受けられるんだから、——でかした寺坂!」
「おまえのためじゃねーよ!」
寺坂くんは赤羽にほえた。赤羽はへらへらと笑って逃れる。想定内だったのだろう。
昨日、遅刻はしなかった赤羽は、正午を迎える前に早退した。彼は面倒事に対してわりと素直に行動するきらいがある。これは一年生の頃からだ。彼の選択肢は遅刻早退だけではないが、昨日の授業がろくなものにならないことは、二時間目が始まる頃には誰の目にも明らかだった。
にもかかわらず今朝は時間のとおりの登校で、今は授業のために荷物を整理さえしている。クラスメイトが強硬手段に出ることを確信していたのだ。E組には短絡的な生徒が多い。実際に代表格が寺坂くんだ。赤羽はもしかすると、このために遅刻しなかったとまで言うのかもしれない。転校生の出自、そして担任教師の性格を鑑みるに、強硬が見過ごされない可能性は十分にあった。
誰もがそのことを恐れていた。
注目の担任教師はそれからまもなく、ぺたぺたと歩いて教室に来た。触手を生やした学校教師は、普段はヒトのようには靴を履かない。おはようございます。生徒に向かって挨拶をして、返事をされて、ぴたりと教卓の中央に立ち、視線は窓際の隅の席へ。生徒たちは固唾をのんで見守った。数名は祈るように目蓋を閉じた。だがクラスメイトの姿には一向に変化が訪れず、名簿の開く音だけがする。そして新品の正確な時計が、朝のホームルームの時間を告げた。
「朝八時半、システムを全面起動」
体の異常にも気づいた。
「殺せんせー、これでは銃を展開できません。拘束を解いてください」
「——うーん。そう言われましてもねえ」
人間たちがほっと安堵の息を吐く。その口が、授業が終わったら解いてあげるからと、苦笑する。
「機械にはわかんないよ、常識はさ」
朝だか昼だか夜だか、いや深夜だったか、橙色のチームメイトが運び出された。眼球内ディスプレイの故障である。コアテック視野に見えないものが映るようになったため、ザ・コンピューターの判断で、これから検査を受けるそうだ。橙色のチームリーダーが私ともう一人の橙色を見た。進行方向の清掃ボットは銃器二丁を携えている。
三
母なるコンピューターは市民——よりもボット——を大事にしている。
先生は契約があっても生徒に報復する。
丸一日まともな授業を受けた翌朝、赤羽は再度遅刻せず、再度、話しかけてきた。朝も休み時間も、昼になっても。
「何か話した?」
「まだ、あんまり」
話すことなど何もない。とはいえ隣の席のクラスメイトにならって、二つ隣に目を向けてみる。空席を挟んだ隣にできた、人だかりに。まるで教室に転校生でも来たかのようで、その中心には当然に真実転校生である黒色の筐体がある。転入三日目、彼女の体は無粋なテープを失い、かわりに倍の体積と全身ディスプレイを手に入れた。
改良、されたのだ。
転校生暗殺者は二日遅れで小説の登場人物のように人気を博し、クラスメイトのカンニングを助けたり、武器のかわりに小型『ミロのヴィーナス』を成形したり、将棋が強かったクラスメイトを三局で負かしたり——、そういうことをするようになった。
倍増した体積の正体は、もっぱら全身ディスプレイで、もはや転校生の姿は漫画のごとくに描画される顔ばかりではない。胴体を手に入れ、背面を手に入れ、アバターは今や3DCGで描画される。制服を着て、ほほ笑んでいる。表情さえも手に入れた。おそらくは、そこが先生の「改良」の中心だろう。
生徒への加害は禁止されたが、教師は生徒の相談に乗るものだ。今回の転校生は協調能力に関する悩みを抱えていた。先生は生徒間の協調が暗殺成功率を飛躍的に向上させることを、言語つまりはソフトウェアで説き、さらに「豊かな表情と明るい会話術」他多数をインストールした。施された改造は実に九百八十五点。
これが百億円の賞金首の「報復」だ。
「せっかく話せるようになったのに」
「赤羽くんは?」
「挨拶した」
「私も挨拶はしたよ」
「——ま、あれじゃね」
初日の無表情は見る影もなく、クラスメイトは『ミロのヴィーナス』の他をせがみ、将棋の四局目を期待し、かつて傍迷惑な暗殺者だった転校生と話すために行列さえも形成する。
「ってことで、俺はパス。後で奥田さんか千葉に聞く」
ちょうど列の中ほどに茅野さんと奥田さんが並んでいる。
「あんたも、話したら感想を教えてよ」
「さすがに明日は自分で話しなよ」
「いや今日」
今日。私は繰り返した。今日。赤羽も繰り返した。
「今からでも話してきたらってこと」
赤羽は笑みを浮かべているが、特に意味はないだろう。笑顔というと、彼が他者と対面するときによくはりつける表情だ。
私も、修学旅行から話すようになった隣の席のクラスメイト、という顔をつくっておく。
「どうしたの」
「どうしたのって」
「そんなに気になるなら赤羽くんが話してきたらいいんじゃないかな、って思ったんだけど、まるで私に話してきてほしいみたい」
赤羽が口を閉じる。私も口を閉じる。やがて赤羽は目を細めた。
「そうかもね」
「あ、そう、なんだ」
「俺はいいよ。話す相手いるし」
「話す人は私も——」
「——奥田さんと茅野さんと神崎さんと渚くん」
あの七人班の四人の名前を、赤羽は指を折って数える。私はさらにもう一本を折り曲げる。
「赤羽くんもだよ」
赤羽はわざとらしく顔をあげた。眉もあげた。私も、そろそろ彼の意図するところを理解し始めていた。彼がもう一人の班員の名前をあげるまでもなく。
私は元々クラスの大半と良好な関係を築いていない。
修学旅行以前の私にとって、良好な関係のクラスメイトがいたとしたら、それはクラスの誰とも分け隔てなく仲のよい茅野さん、そして三年連続のクラスメイトとなる渚くんがせいぜいだった。特に他のクラスメイトと険悪だったということはないが、次に話す機会が多かった相手をあげると、クラス委員の二名になる。
そこに修学旅行を通じてあの第四班から数名が割って入った形となる。一方で、いまだろくに話さない班員もいる。
もっとも赤羽とて状況は変わらない。私たちは何はともあれ同日にE組落ちと自宅謹慎の処分を受けた間柄だ。E組落ちはただでさえ関心を引く話題で、それが学期途中の処分とあらばなおのこと。加えて、つえとギプスの上級生だ。彼は幾らでも暴力事件の顛末を言い触らしただろう。元より赤羽はその暴力性を知られており、対して椚ヶ丘にかようような生徒の多くは暴力沙汰を起こさない。
エンドのE組でも状況は大きく変わらない。素行不良は同じく忌避の材料だ。さらに言えば、自宅謹慎期間は四月の半ばにまで及んだ。いくら暗殺教室といえども遅れて現れた私たちはよく浮いて、もちろん暗殺教室でなければ現状はより悪かったのだろう。今年のE組のように、巨大な目標にかかりきりでなければ。
つまり赤羽はこの件に関して責任などを感じているのだ。まがりなりにも三年連続のクラスメイトなら、E組落ち以前の私の学校生活も多少は把握するところだろう。
「ありがとう、赤羽くん」
でも大丈夫だと、この私は言った。
「こないだも言ったけど、今も楽しい学校生活で、それに——」
人だかりへ目を向ける。
「——少し落ち着いたら、明日くらいには私もちゃんと話してみるつもり」
「明日、ね」
「この様子なら、明日かな」
「そう」
返事はうってかわって静かなものだった。
赤羽はすでに気づいている。転校生の背景、すなわち開発者の目的を鑑みるに、この強硬が見過ごされない可能性は十分にある。誰も恐れていないことだったが。
いずれプログラマーがメンテナンスに訪れる。そのとき現状を目の当たりにした連中が考えることを、悲観的に予想すると——。
四
早くも四日目の朝のことだ。転校生はただの一日で体積を半減させ、全身ディスプレイを失った。夜のうちにメンテナンスが入り、学習履歴が整理されたのだ。併せて他の生徒や教師の行為に対しても指導が入り、「改良」「拘束」その他諸々を禁止される。
さて自律思考固定砲台は、薄くなった筐体の、小さくなったディスプレイに、
「はい、私の意志で産みの親に逆らいました」
満面の笑顔を表示した。